るるどの覚書

全く私的な独り言から、素朴な疑問や社会的な関心ごとまで、北欧での生活の中で感じたり、思ったり、考えたことの覚書ブログ。気軽にコメントして下さると嬉しいです。

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2008/08/15

福祉・・・人間の可能性

なぜ、日本に戻ってきてから、私は「福祉」の分野に関心を持てないでいるのか自問していた。日本の外にいたときは、そんな分野の仕事に関心も持っていた。負の面もみてきたけれど・・・でも、よい面もたくさんあった。

最近強く感じることは、日本では福祉の仕事に携わると行政の決めた規則に沿って、既製の枠組みの中で利用者(障害者、高齢者、生活上何らかのサポートを必要としている人々等)へサービスを提供する。利用者にとって使いにくいサービスがあったり、こんなサービスがあったらよいという要望をくみ上げ、それらの声をまとめ、行政に訴えかけ、よりよいサービスを構築し、一人ひとりが質の高い生活ができるような協働を進めていく・・・そんな福祉サービス提供者の姿はほとんど見かけられない。

サービスを提供する施設や人たちは制度からはみ出ないように、監査が入ったら罰されることのないように・・・そんなことばかり気にしている。利用者がよりよい生活を送れるようにと望んでいる人たちが集まっている業界が福祉であるべきなのにと思うのだけれど・・・。

この国では、福祉のサービスを受ける人たちは、「利用者」になることで、選択肢やいろいろな可能性を奪われているような気もする。「障害者」「要介護高齢者」「生活保護受給者」等とレッテルを貼られないと利用できない。本来、皆、社会サービスを受ける権利があるのだから、肩身の狭い思いをしてサービスを受けるものではないと思う。福祉のサービスを得ることで、一人一人の生きる道が開けたという話はあまり聞かない。それよりも、制度を使ったら「障害者」として一生生きなければ・・・とか、生活保護を受けたら、どうもがいても“普通”の仕事に就けるわけがないという話を聞く。福祉というのは人間が、よりよく生きていく為の支援をするためにあるのではないのだろうか。日本の福祉というのは、福祉のサポートを受ける人たちを「福祉」という枠組みに収めるためにあるような気がしてならない。そして、福祉の仕事は福祉の仕事に就く人たちのためにあるような気がする。福祉の仕事は、福祉サービスの受け手のためにあるべきものではないのだろうか。

できることなら、人間の持つ可能性を押さえ込み、はみ出したものたちを枠に収め、この社会が効率的に運営される為に国や行政や社会の手先になるのではなく、人間の一人ひとりの持つ可能性を見出し、この世の生きとし生けるものたちの持つ“力”を最大限に引き出し合い、この世に一人一人が貢献し合いながら生きていけるような仕事をしたい。この世に貢献できない人なんて一人もいないんだから。病気を持っていたって、障害を持っていたって、寝たっきりだってみんな、いろいろな方法で、いろいろな人に貢献しているし、存在する意味を持っている。互いにそんな生き方を支えあう、本当はそれが福祉ではないのかなあと思う。
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うみぼうず

胸に手を当てて、じっと考えてみます。

そうか

おぉ・・・「引っ掛かっていたモノ」の整理の一助になりました。
ありがとうございます!

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好きな言葉:"Differences are not a threat, but a treasure" by Jean Vanier (ジャン・バニエは、尊敬する人の一人です)

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