るるどの覚書

全く私的な独り言から、素朴な疑問や社会的な関心ごとまで、北欧での生活の中で感じたり、思ったり、考えたことの覚書ブログ。気軽にコメントして下さると嬉しいです。

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2007/09/30

いただきます

食事の前には手を合わせて「いただきます」と言う。

私が生きるために、命を「いただきます」。
植物の命、動物の命・・・きっとたくさんの人の命も。

梅の命、かぼちゃの命、サツマイモの命、鶏の命、豚の命、汗水流して働くお百姓さんの命、農薬を吸って命を短くしているかもしれない農業従事者さんたちの命・・・。

品種改良された種無しぶどうやすいかや柿や精米されたお米を食べる時、これは「いただきます」と言って、食べるものではないのかも・・・とふと思うことがある。そんな時、人の手による命の断絶を感じ、とても寂しくなる。
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≪ The Last Dayホーム病と共に生きる友 ≫

Comment

大きな命

るるどさん、こんにちは。

「いただきます」

私もその言葉を言うようになってきました。最近のことです。

幼い頃は親からそういうようにしつけられていました。けれど、ひとりで生活を始めるようになってから、「いただきます」を口にしなくなってしまっていました。母親からこれはお父さんが稼いできたものなんだから、感謝しなさい”とよく言われていて、それで自分が自立したと思ったとき、もう親から施しをもらっているわけではないのだから、誰にも「いただきます」なんて言わなくていいんだ、と思うようになってきていました。

でも、違うんですよね。自分が稼いだとか親に食わせてもらってるとか、「いただきます」という言葉は、そんな人間の勝手な都合で口にする言葉ではない。動物も植物も人の命もひっくるめた、大きな命”に「いただきます」。

人の技術は、命を歪めるところまで来てしまいました。歪められた命に「いただきます」は...、違うとは断言できないけど、釈然としないものが残ります。

愚樵さん コメントありがとう!

そうですね。 一家の大黒柱や調理している人たちに向けての感謝の意を示すだけでなく、「大きな命」に「いただきます」ですね。

今日、帰り道に呼吸をしていて、「あぁ、最近意識して腹式呼吸していないなあ」と思いながら、深く呼吸をした時、「息を通しても私たちはつながっているんだなあ」としみじみ感じました。

死んだら、呼吸はとまる。そして、すべての生き物との空気の循環によってのつながりをも途絶えてしまうんですよね。

命あるもの、すべて呼吸をしているんですよね。不思議です。

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好きな言葉:"Differences are not a threat, but a treasure" by Jean Vanier (ジャン・バニエは、尊敬する人の一人です)

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