るるどの覚書

全く私的な独り言から、素朴な疑問や社会的な関心ごとまで、北欧での生活の中で感じたり、思ったり、考えたことの覚書ブログ。気軽にコメントして下さると嬉しいです。

--/--/--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2006/09/25

緩和ケア

検査の結果、祖父はやはり肺がんだと言われた。リンパにも転移しており、余命数ヶ月とのこと。本人には癌だということだけ知らせた。

癌だと告知された日から、おじいちゃんは気落ちしている。なんか生きる希望を奪われてしまったような気がする。何歳になっても人間は、もっと生きたいという気持ちがどこかにあるんだと思う。

生きること、日々の生活、告知、病気、痛みの緩和と治療、大切な人、ケア、心地よさなどについて考えさせられる。

昨日はお彼岸、お線香をあげに祖父母の家に行った。おはぎを一緒に食べた。

おじいちゃんの隣に座りながら、無性に、心底悲しくなっている自分がいた。

祖父の「死」ということ自体が恐ろしいわけでもない。死んだ後どこに行くのか不安であるわけでもない。

ただ、こうやって同じ空間の中で、お茶を飲みながら、昔の話を聞いたり、たわいのない話ができなくなる。公園にさく季節の花を一緒に見に行くことができなくなるということを考えるだけで、ブラックホールのような無限大の悲しみに吸い込まれていきそうになる。

病気や余命について家族と話していると、誰かが「余命数年といわれていた白血病の患者さんが、白血病とは関係なく、交通事故で亡くなったという話もあるよ。いつ、誰がどうやって死ぬかは、誰にもわからない。健康な人が先に逝くこともあるから…」なんてことを言っていた。死ぬことを心配するより、いつ来るかわからないその時まで、与えられた時間の中で、自分なりに、納得のいくような生き方―心残りなく「どうもありがとう、悲しむ必要はないよ」と最期に澄んだ気持ちで言えるような生き方―をすることを少しでも試みようとするほうが大切なんだろう。

日本ではなかったけれど、ホスピスのボランティアをやっていたときは、大きな理想を実現化しながら素敵なサービスを提供していた人たちが少なからず、身近にいた。末期の充実したケアに関心を持ち、ホスピスの活動に熱心だった医師、看護師、福祉士、心理士、事務員、地域の人々、家族、教師、生徒、牧師、心あるボランティアの人、患者、芸術家…。

その中に、いろいろな病院で音楽を弾いていた人たちがいた。今、手元にあるCD「Heart to Heart」をつくった芸術家、Susan Mazer(ハープ演奏者)とDallas Smith(木管楽器演奏者)も、病院やさまざまな小さな団体に支えられながら、音楽活動を行っていた。病んだり障害を持っている人びとのところへ行き、心に水を与えるような音楽をいろんな場で奏でていた。二人の一番の関心は、末期の患者さんとその家族や身近な人々を支えるホスピスケアにあった。

今、ここにいる日本の地元では、痛みや苦痛を軽減する医療、病気と共に余命を生ききることを支えるケア、心地よい生活を促す心身のケア、家族のケアなどを提供する緩和ケアについては全く聞いたことがない…。

家族では負いきれない負担があるから、社会があり、地域の支えがあるべきなのに、日本では身内の「重荷」は家族だけが背負う。個人の持つ「重荷」を支えあうという価値観はないのかなあ…。支えあいの価値観があるようだけれど、ない日本。不思議な国だ。

****************************
国の「重荷」を支えることをますます期待される人々がいる国、日本では、個々の人々の負担や責任は「自己負担」「自己責任」という言葉で片付けられていっている変な風潮がある。

多面的に、ますます日本は、一人一人の生活する人々にとって「不思議な日本」になりつつある(新しい首相一族にとっては都合の良い「美しい国」になりつつある)。そんな社会形成を阻止しない、家畜化された、お行儀の良い、おりこうさんメディアの姿勢がなんとも怖い。
スポンサーサイト

≪ 自給自足の生活ホーム自由 ≫

Comment

こんばんは。ご無沙汰していました。

おじいさまのこと、ご本人もご家族も大変だと思います。
心中、お察しします。

私の父もガンで亡くなりました。
わかった時はやはり数ヶ月と言われたのですが、それから
1年生きました。
本人にはいいませんでしたけど、ガンだということは察知して
いたようです。

本人が一番大変だと思いますが。家族もどうしていいか
わからないところがあって、精神的な負担が大きいと思います。
私なんか弱いので、最初の頃は父を見るとついウルウルして
しまったりして。・・・でも、家族でその思いを分かち合って、
何とか乗り切れたような気がします。

父はできるだけ家で過ごさせてあげたいと思ったので、最期の
1ヶ月・・・いよいよ具合が悪くなって病院にはいりましたが。
死ぬために病院にはいるというのも、何だかな~という気が
していました。<病院内は色々と不自由ですし。やたら点滴やら機器に
つながれてしまいますし。>

もしホスピスかそれに近い医療機関があって、もう少し
ゆったりと穏やかに最期を過ごせれば・・・と思ったです。

長くなってしまいましたが・・・。
おじいさまがいい時間を過ごせますように。
そしてご家族の方々はくれぐれもお体にお気をつけて。
<ここから心身のタフさが必要になりますので。>  mew

るるどさん、お祖父様が癌と告知されさぞかしショックだったことでしょう。

うちの母が癌で亡くなったときも、入院していた病院にはまったく心のケアがなくて、るるどさんと同じ思いを持ったことを覚えています。

本人にしても家族にしても、死と隣合わせに生きることは本当に辛くて難しいことです。お祖父様、るるどさん、るるどさんのご家族の皆様の心のうちに平安があるよう心からお祈りしています。

るるどさんの記事を読んでいるといつも心が透明になる気がします。「ありがとう、悲しむことはないよ」って最後にほほえみながら言いたいです。でもこの何気ない交わりが失われてしまうのがかなしいという気持ちも。日本はなんだかますますギスギスしていくようで。「美しい国」という掛け声にも何かたけだけしさを感じてしまいます。美しいものは叫ぶのではなく、ひっそりとそこに目立たぬように呼吸しているものではないでしょうか。野の花のように。

mewさん
コメントどうもありがとう。
たびたび「日本はアブナイ」のほうへ行って、「うん、うん」とうなずきながら、読ませていただいています。丁寧なコメントを書かれているmewさんの体調を陰ながら心配していたりします。あまり無理されませんように。

そうですね家族の<心身のタフさ>・・・ますます必要になってきそうです。

皆が、「ああすればよかった、こうすればよかった」と後悔しないですむような、ベストな決断を丁寧にしていければいいなと願っている今日この頃です。

かずみさん

コメントありがとうございます。
お祈り感謝です。

大切な人々と離れ離れになる経験をしない人間、生き物はこの世に存在しないんですよね・・・。何歳になっても、子供にとっては、お母さんの死というのは特別な死ですね。

生きるっていうことは、いつも死ととなりあわせであることなんだろうなと、ふと思いました。

Starstoryさん

コメントどうもありがとうございます。

聖書に描かれている「野の花」のあり方はいつも素敵だなと思います。昨日は久しぶりに友人の行っている調布の教会の特別礼拝へ行ってきました。元テロリスト、ヒュー・ブラウン牧師のお話を聞いてきました。魂が洗われる証でした。

この国のリーダーは私利私欲の法則で動いているとしか考えられない国づくりがすすめられているようで、空しく感じることが多い今日この頃、空虚な言葉遊びはもう十分です。

るるどさん、こんばんは。

こういったエントリーには、どうコメントしたらよいのか、戸惑ってしまう愚樵であります。何もコメントしないというのも、手なんですけど...、それはいやなんです。

あ、自分のことばかりで、ゴメンナサイ。るるどさんは、今、きっと、シンドイ思いをしていることなのでしょう。頑張って、という言葉はひょっとしたら無責任かも知れないと思いつつも、やはり頑張ってください、としかいえません。

すいません、もうすこし私の話を続けさせてください。最近、「死刑制度」なんて荷の重たいことを考えているのですけど、本当はこういった話は、「死は終わりではない」というところから始めたいと考えているんです。死が終わりなのか、そうでないのかで、生の世界の見方はガラリと変わってしまいますからね。多くの人は「死は終わり」から論理を出発させているようで、それは違うと感じるんだけど、でも今の私の力量では「死は終わりでない」というところから話を組み立てることができなくて、したとしても人を納得させる自信がなくて、出来ないでいるのです。

こんなことを書いたのは、何も、るるどさんを慰めてやろうとか、そんな思い上がったこと考えているからではありません。ただ、なんとなく、るるどさんであれば「死は終わりではない」に共感してもらえるのではないかな、と思ったからです。

しかし、「死は終わりでない」にしても
>ただ、こうやって同じ空間の中で...
で始まる一文で綴られているお気持ち、この悲しさは何なのでしょう? 取り残される悲しみでしょうか。 うまく言葉がみつかりません。

愚樵さん

コメントどうもありがとうございます。
心から感謝です。

励ましの言葉どうもありがとう。何事に対しても誠心誠意を込めて、最後まで成せば後悔も少ないのだろうと思う今日この頃です。

「死は終わりではない」 私もそう思います。
それが「客観的」に証明できないのは、五感しか持ち得ない私たち人間が持つ限界なのかもしれません。

取り残される悲しみもありますね。でも、またいつか会えるという希望もあります。いなくなっても、遠くから見ていてくれる存在になってくれるんだろうなという気もします。

死によって、先行く人が私の五感の範囲内に存在し得なくなってしまうということがとても悲しいのかもしれません。ふれることもできない、目に見えない、声も聞こえない、話せなくなる、においもしなくなる・・・。

コメントの投稿

 
管理人にのみ表示する
 

Track Back

TB URL

緊急「沖縄・平良夏芽不当逮捕」…抗議の声をお願いします

 平良夏芽はワタシがホームレスと関わっていた初期の頃の同志で、沖縄に移転以降も反戦平和の実践部隊として闘っていました。最近では辺野古で闘っていると聞いてました。長い間連絡が途切れていましたが、今回、不当逮捕されたという情報が入りました。是非関心を寄せて下

Home

 

プロフィール

るるど

Author:るるど
好きな言葉:"Differences are not a threat, but a treasure" by Jean Vanier (ジャン・バニエは、尊敬する人の一人です)

email: mariaatlourdes@hotmail.com

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

カテゴリー

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

月別アーカイブ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク

このブログをリンクに追加する
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。