るるどの覚書

全く私的な独り言から、素朴な疑問や社会的な関心ごとまで、北欧での生活の中で感じたり、思ったり、考えたことの覚書ブログ。気軽にコメントして下さると嬉しいです。

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2006/09/15

自由

偶然、同じ高校へ通っていた人のホームページを見かけた。とても懐かしかった。高校の時の友達とは疎遠になってしまっているので、余計、懐かしかった。

「高校制服もなく、自由な校風を自慢していた○○高校。しかし、形だけの自由ではなく、押し着せられた自由でもなく、自ら選んだ自由と責任で過ごした高校時代…」と記されていた。高校に入学する前、私もその自由に惹かれていた。「自由」にあこがれていた。

「高校時代は、桜の花を愛でている余裕はなかった。自分自身の生き方を獲得するために、私は一生懸命だったからだ。自分自身と社会との関わり方を真剣に考え実践し、その後の十数年間の人生を規定した、燃えるような二年半。あっという間のはずなのに、今でもずいぶんと長い期間、この学校で過ごした気がしている。私は○○高を2年ちょっとで退学してしまったけれど、あの二年間に勝るものには、未だに出会っていない。今でも、あの時代の考え方が、私の一部には残っている。いや、本質的な部分は、今でもあの頃の生き方を受け継いでいる。」

読んでいたら、自分の高校時代と重なるところが多い。同じような感覚が自分の中にも残っている。私は一年と一学期で退学した。自分の選択だったけれど、これで日本の教育とは「縁を切る」と心の中で強く思ったことを覚えている。(それ以来、日本で教育を受ける自分を想像すると鳥肌が立ってくるくらい、教育恐怖症になっている。)短い高校時代だった(ほとんど学校に通わなかった)けれど、自ら選び取った高校生活の中で、多感だったあの頃に受けた影響は自覚している以上に大きいと思う。

高校に入るまでは、中学校の厳しい校則、体罰、先輩後輩の関係で縛られていたこともあり、自分の生き方やあり方について考える暇も余裕もなかった。だからこそ自由な環境に身を置いてみたかった。私にとって、それが高校だった。でも、そのために、電車通学が始まり、昔からの友達とも違う高校へ行くことになってしまった。同じ中学校からは女子生徒は、私ともう1人だけがその高校へ入学した。その子は、中学生の頃から、医師が着るような白衣を着て、毎日塾通いしていた。同じ中学の生徒にはあまり関心がないようで、勉強熱心な生徒だったと思う。思い返すと一度も話をしたことがなかった。話してみたら結構面白かったかもしれない。

心身ともに拘束されていたような中学校の環境から、なんでも自由な高校の環境へ移った時、新しい環境に戸惑った自分もいた。北朝鮮に住んでいた子供が、ある日突然メキシコに移り住むような感覚に似ているのかもしれない。すべての規制が解かれ、誰からもとやかく言わない、自分で責任の取れることなら何でも許されていて、人の目や評価も気にしなくていい環境に置かれるような感覚。高校生になって、初めて、「自由」な環境の中で生きるって大変なことなんだと身にしみて感じた。今でもその思いは変わらない。「自由」と「束縛」のどちらかを選べと言われたら、大変さを知った今でも、即、「自由」を選ぶと思う。
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Comment

るるどさん、こんにちわ~

るるどさんの言われるとおり、自分で決めて自分の行動の責任を取るというのは慣れていないと結構大変なことかもしれません。

先日開いた、日米の交流会。まったく白紙状態から始めたのですが、会の計画中、日本側の講師の先生や学生さん達はお客さん気分で、こちらに与えられることばかり望まれるので、私の方は多少フラストレーションが溜まりました。

自由であること、相手と対等の関係にあること、自分も責任をもって人間関係に参加すること。それにはちょっぴり勇気がいるのかもしれないと私は思いました。

かずみさん

こんにちは!

交流会の準備からの多くの学びや実りが伝わってきます(掲示板、拝見しました)。お疲れ様でした。

私は日本の環境に戻ると受身的になる傾向があります。自己表現のスタイルは環境に感化されやすい体質みたいです。根っこの部分にある自分は頑固なので、どこにいても変わらないようですが。

日本では組織や団体の中で、自分はどう思うかを発言することが喜ばれないような気がします。やはり「和」って、目に見えない力があるような・・・私も日本人なので、なんとなく体で感じるのです・・・。

自分で決めて自分の行動の責任をとることは慣れると、気持ちよくできると思います。人が決めたことに対して、あやふやな責任を取らされるよりも、よっぽどいいなあ。

責任を持って人間関係に参加することってなかなか難しいことですね。ちょっと自分自身についても、考えてみよう。

るるどさんのように繊細で鋭い感性を持った人は日本の教育システムの中で生きていくのは大変だったでしょうね。そんな子供たちを息苦しくさせ、苦しめている学校ってなんなのだろうと思います。

starstoryさん

コメントありがとう。

「おおらか」「おっちょこちょい」「ぼけーっとしている」とたびたび言われるけれど、「繊細で鋭い感性」を持っていると周りにいる人たちからは言われたことのない私・・・。もう少し表現力があれば、生きやすくなるんだろうなと思うのですが、表現の術(すべ)を持たない人にとっては生きるのは大変なことです。

教育者であるstarstoryさんに「学校とはなんだのだろう」と考えていただけるなんて、なんて光栄なことでしょう。一体、「教育」「学校」って何のために、誰のために、なぜ存在するのか、私にとっての永遠の質問です・・・。

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好きな言葉:"Differences are not a threat, but a treasure" by Jean Vanier (ジャン・バニエは、尊敬する人の一人です)

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