るるどの覚書

全く私的な独り言から、素朴な疑問や社会的な関心ごとまで、北欧での生活の中で感じたり、思ったり、考えたことの覚書ブログ。気軽にコメントして下さると嬉しいです。

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2006/07/08

「何のために生きているんだろう」

最近、「何のために生きているんだろう」という問いが、自問であるか、普遍的な答えを求めた問いであるのかわからないけれど、いろんなところで発せられているような気がする。

病気や障害を持ち、家族との縁を失い、生活保護を唯一の命綱として生きている人も言っていた。そうかと思うと外資系の証券会社の第一線で働いている人も同じことを言っていた。多くの財産を身内から受け継いだけれど、頼る身内を持たない資産家の女性も同じことを言っていた。

今、どこにいても、何をやっていても「生かさず殺さず」生かされていると感じている人は少なくないのかもしれない。

初めて聞いたときはドキッとしたが、最近はその言葉を聞くと「あぁ、この人もそう感じているんだ」と受け取り、ショックを受けない自分が怖い。

先日、一人で横になっていた時「何のために生きているんだろうなぁ」と考えている自分がいた。気持ちが落ち込んでいるときに、こんなことを自問することは良くないなと思いつつ・・・自分なりの答えが出てくるまで、止め処もなく長い時間考えていた。

この問いにかぎっては自分なりの答えを持たないと生き辛い。

そうすると、今まで出会ってきた人たちや自分の生活の中にいる人たちが、いとおしく感じられてきた。なんらかの関係を持ったことがある人は、直接に顔をあわせたことがなくても、いとおしく感じられた。今という同じ時代に生きているだけで奇蹟なのかもしれないのに、出会い、互いの存在を知ることができるということはなんとありがたいんだろう。そして、五感のいずれかを使って、人との出会いやふれあいや関係を持つことは、この世に生きていないとできないことなんだなあと妙に納得してしまった。

死んでしまったら、好きな人にふれることもできない。直接、会話することもできない。けんかもできない。愚痴もいえないかもしれない。悩みもなくなる。人の体温を感じることもできない。花の香りやハーブの香りもしないのかもしれない。日の光の暖かさも感じられなくなるだろうし。うっとうしい高温多湿の日本の夏も向こうの世界のこととなる。大好物のにんにくのたっぷり入ったバジルのパスタも食べられなくなるのかもしれない。温泉に入ることもできなくなる。そして、生きている人たちやそのほかの生物と、この空間を共有することができなくなる。

答えはとても単純なんだろう。そして、それは自分の手の届く所にあるんだと思う。
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Comment

るるどさん、こんにちは!
この間、夜中にふとTVをつけて見ていましたら、美輪明宏さんが、
「生まれてくるのは、すごくいろいろな手続きが必要で、誰でもすぐに生まれる事ができるわけじゃないのよ~。生まれて来る事は、すごく大変な事なのよ~」という様な事をおっしゃっていて、なるほどそうなんだと思いました。
それだけ難関をくぐり抜けて、この生を得たんだなぁと思うと、感慨深いです。
最近よく思うのは、もし今のこの時代に宮沢賢治や、金子みすずが生きていたら、どんな風にネットを利用していたかな~なんて言う事。そうやって考えると、すごく夢が広がります。私のような凡人は、そんなにすごい事はできないかもしれないけれど、いろいろな人の意見を聞いたり、こうやってお話できる事に、とても幸せや意味を感じています。

るるどさんもご存知のMEWさんの
座右の銘「生きてるだけで丸儲け」がすきです。そんな気持ちで日々を過ごしたいです。
あれもこれも、健康もお金も何でも欲しい
けどそんな部分を超越した生き方をしたいです。
結局は「我思うゆえに我あり」に今生きている意味があるのではないでしょうか?

るるどさん、おはようございます。

「何のために生きているんだろう」 この種の問いに一般解はなさそうです。もし回答するのであれば、問いを発する人が、そういう問いかけをする理由を考えなければなりません。
このような問いを発することが出来るのも生きているからこそですが、生きている苦しみを味わっているからこそ、この問いも出てくるわけで。この人たちが欲しているのは生きていく「理由」ではなくて「希望」の方でしょう。
でも「希望」も人が押付けることの出来るものではありません。本人が見い出すしかないもの。ここが難しい。でもでも、人なんて生き物は「繋がっている」と感じられれば、割と容易に希望を見い出すもの、ではないでしょうか。

リカさん

コメントどうもありがとうございます。
この世に生を授かるだけでも奇蹟的なことなんですよね。それをついつい忘れて不満や「生まれたくて生まれたんじゃない!」とか「お前を生みたくて生んだんじゃない!」なんて親子で言い合ったり・・・ 私たちのそんな単純な愚痴よりも、もっとすごい力が働いているからこの世に私たちは存在するんでしょうね。

宮沢賢治やみすずが今生きていたら・・・想像するだけで、わくわくしてきます。私は、時々このような二人が「担任の先生だったら」って考えます。生徒一人一人の可能性が引き出されるような教育が可能であるような気がして、希望が感じられます。

リカさんのような素敵な方と今という時代を共に生きていることに感謝!

CONSAMAさま

コメントどうもありがとうございます。
Mewさんの座右の銘「生きてるだけで丸儲け」はいいですね。大変な時、この言葉を思い返すと、体調がすぐれない時でも、生きていることに感謝できそうです。

カントの「我思うゆえに我あり」というのはなんとなく・・・なぜか自分にとってしっくりしないものがあります。

「人間は考える葦である」はパスカルでしたっけ? ヨーロッパのの男性は理詰めで考えることが好きだなとこれらの言葉を聞くたびに考えてしまいます。

う~ん、私は考えるだけでなく、「感じる存在」でもありたいのです(時々「ああいえば、こういう」人だね、とあきれられることがありますが・・・)。

CONSAMAさま、不安定な季節柄、どうぞご自愛くださいませ。

愚樵さま

コメントどうもありがとうございます。

そうですね。多くの人は「理由」よりも「希望」を求めているんでしょうね。今日の食べ物があっても明日の希望を見出せないと生きることが辛く感じられてくるということも少なくないのでしょう。

結局、人間は「いま、ここ」で生きることを大切にしながらしか生きれないのかも知れません。(いつも遠くばかりを見ている私自身に言い聞かせています。)

「繋がっている」という感覚、確かにそうですね。(最近、「繋がり」を断絶するとか、切るというのは罪だなと・・・感じます。国家間の繋がりをも含めて。)誰とも繋がっていないという感覚は恐ろしいですね。誰か一人とでも「繋がっている」感覚を持っていると、「命」を粗末にすることはできない。辛く苦しい時でも、「心の支え」を持ち続けることができるような気がします。

そして・・・その「繋がり」がきっかけとなりもっと広い「繋がり」を持ちたいと思うようになる・・・。

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好きな言葉:"Differences are not a threat, but a treasure" by Jean Vanier (ジャン・バニエは、尊敬する人の一人です)

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