るるどの覚書

全く私的な独り言から、素朴な疑問や社会的な関心ごとまで、北欧での生活の中で感じたり、思ったり、考えたことの覚書ブログ。気軽にコメントして下さると嬉しいです。

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2006/06/22

義務教育現場―部活動

日本の義務教育の中で忘れられない一つに部活動がある。
バレーボール部に入っていた。一学年40名くらいで、約120名いた大きな女子バレー部。

毎朝、朝の練習で授業が始まる前に校庭10周くらい(4キロ)走った。
一日の授業の後、放課後にはよる7時過ぎまで練習。
土曜日も日曜日も日が暮れるまで練習。

一年生の時は、基礎体力づくりと玉拾い。三年生の補欠の先輩が、一年生の練習指導と管理をする。腹筋100回。背筋100回。日の照った暑い日には、水呑場まで行ける休憩が待ち遠しい。でも、水を飲んでコートに戻ってくるのが遅いと、電気椅子の罰が待っている。両腕を体に対して90度にして、前に突き出し、ひざを90度まげてがまんする。先輩の許可が出るまでがまんする。もしがまんできなければ、校庭10周。

二年生になると、一部の選ばれた選手だけがボールを使って練習できる。三生の先輩が引退すると、二年生はみんなボールがさわれるようになる。

練習試合に出れるようになると、それはそれで楽しい。でも、負けると顧問の先生は自分の体育館履きを脱いで、選手の頭をたたきつける。鼻血を出しながら、ユニフォームを真っ赤にして試合していた選手もいた。

今考えると、ひどい環境にいたものだ。

学校外でも、街中で先輩を見たら、頭を下げて姿が見えなくなるまで「こんにちは~、こんにちは~」と大声で叫ぶ。大人は見ていても、何も言わない。

将来、ピアノの先生になりたいと言っていた同級生は、突き指をしたら大変だと言い、部活動を途中でやめた。そうすると、その生徒の友達関係は180度変化した。学校でのその子の評判は悪くなり、違うクラスの子だったけれど、大変そうだった。

一つ上の学年に遠い親戚のお姉さんがいた。偶然にも同じ部員(入ってから知った)。優しくしてもらった私は恵まれていた。その頃は背も高く、ジャンプ力もあった私はボールを早くからさわらせてもらえた。他の生徒より恵まれていたかもしれない。でも、厳しい上下関係、盲目的な過度な練習、いじめなのか指導なのか微妙だった先輩の後輩への指導など、いろんなことがばかばかしく、いやになった。そして二年の途中からは生徒会活動ばかりに時間を割くようになった。生徒会を理由に部活動の練習は頻繁に休んだ。逃げていたようで、気が引けたが、今考えると自分の感覚は間違っていなかったんだと思う。どう考えてもあれは、変だった。

自分たちが三年になったとき、同級生はみんな、後輩を大切にした。意地悪もしなければ、過度な挨拶も中止した。1年生も喉が渇いたら、水を飲みにいけるようにした。そして、どんな罰もやめることにした。

でも、私たちがその中学校を卒業した後は、残念なことに、また逆戻りしていたようだ。

まだ、今以上に世間知らずで、10代の多感な時に、そんな3年間を体験した私は洗脳されたと思う。規律の厳しい私生活のない軍隊にいたような3年間だ。「洗脳」というと大げさかもしれないけれど、洗脳という言葉が似合うような気がする。どんな風に洗脳されたかは、自分でも良くわからない。
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≪ 義務教育現場―そうじの時間ホームお金と健康と生活 雑考 ≫

Comment

13歳で白血病で死んだ従姉妹がやはり管理教育の中学でバレーボール部でした。

相当練習が厳しかったと聞きます。

子供たちの自由を奪う管理教育が一時この国で流行りました。

これは僕たちの世代校内暴力が吹き荒れた時代の後です。僕は昭和41年生まれで。昭和30年代後半の世代から荒れだしました。

閑話休題。

僕は、日本のそんな軍隊的土壌は好きじゃないのであんまり関係ないように生きてきたフシがあります。

高校時代の体育の授業の柔道を一人ボイコットしてましたねえ。

クラスメートは「社会に出ればいやでもやらないことが沢山あるのだから・・・・・」などと諭された覚えがあります。

だけど、いやなものはいやだなあ。と国士館出の体育教師に逆らいました。

これはいまだにそうかもしれません。

だから、福祉なんぞをはじめてしまったのでしょうね。

個人主義者がこの国で生きるのはたやすくないですが自分を生きたほうが良いかなあ。

そういちさん

コメントどうもありがとうございます。

そういちさんの大切な人は、姿を変えて今もそういちさんと共に生きているような気がします。とっても大切な人だったのが伝わってきます。悲しまれて、惜しまれて天国に行く方は幸せです。でも、残る人は理解しがたい辛さや悲しみに包まれてしまうのですね。

:::::::::::::::::
そういちさんより後の昭和40年代生まれです。確かに教育現場は荒れ、隅々まで管理が行き届いていました。髪の毛やスカートの長さ(定規で測ってた)、持ち物検査、着てもよい私服の指示、挨拶の仕方などなど・・・あげればきりがないほど出てきそうです。

それでも私の通っていた中学校は、住所を変えてまで通う生徒がいた中学校でした。地元の他の中学校はもっとひどかったようです。

日本の高校はほとんど行きませんでした(日本では中卒)。自分の受けた日本での教育には感謝したことが、生まれてから一度もありません。自我を壊し、システムによって再構築する教育であったような気がします(洗脳のプロセスと同じ)。「人を大切にしない教育」は、教育と呼ぶ権利はないと思います(私と同じような教育を受けた生徒が少ないこと、そして今はもっと人を大切にする教育がなされていることを願っています)。

「教育難民」として日本から海外へ行ったようだと、自分の過去を振り返って考えることがあります。

日本は揺るがない自我を持っている人にとっては、生きにくい社会かもしれませんね。

帰国子女の人が僕のブログ読んで職場にメールをくれまして。

日々やりとりしてます。

超エリートなんですね。

現在はうつ病で失業中です。

この人も、るるどさんと似たような考えのメールをくれるのですね。

で、この国がカルト的だと僕も思うのですね。

アメリカの大学で働き。辞めた、物理学でノーベル賞を取ろうとしてた若者とやり取りするのですね。

彼とは日本史や政治状況をやりとりします。

彼は日本の教育を憂慮するのですね。

皆、似たようなことを言うのですね。

職場やプライベートでいろいろな人とかかわりを持つといろいろなことを考えます。

職場に来る人で教育機関でトラウマを受けた人は確実にるるどさんの体験に似てます。

教育難民は結構この国にいます。

少数などと言えないくらいの数かと思います。

これプラス家庭難民を加え企業難民を加えれば

今のこの国の状況が「かなりのものだなあ」と僕は日々愚考します。

自殺者3万を越すのもしょうがないだろうと。

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そういちさん

どうもありがとう。謝謝。
私の周りで、今の日本は変だという人は多いのですが、昭和40年代、その前後に生まれた人たちが受けた学校教育が変だったという意見はあまり聞きません。共感的な意見が聞けると励まされます。もちろん、見解の異なるコメントも大歓迎です。

帰国子女のお友だちも、この地球上のどこかに足場を築き、自分が生かされる場を得、生きがいを感じて生活することができるといいですね。

今、日常生活の中で、私が怖いと思うことはまちに出たときに、人の笑顔をほとんど見ることができないことです。多くの人々はぶすっとした顔でそっぽを向いて歩き、いつも疲れた顔をしています。多くの子供たちの目も死んだ魚のようで、開いていても輝きが失われているように感じます。

子供たちは未知の可能性を持っていると信じています。それに光を当て、引き出すのが一つの教育の役目だと思います。しかし、一般的に日本の教育はそれをひとつ一つ丁寧に、綺麗に潰していきます。そして、干からびた脳を持った大人によって形成されている社会(そうでない大人ももちろんいますが)によって「洗脳」され、「知能指数の高い、言われたことを完ぺきにこなすロボット」のようにつくり変えられていきます。

ロボットのようなハートのない“おりこうさん”をつくるよりも、子供たちの無限の可能性を引き出し、学ぶ楽しさを共有し、想像力と共感度を耕す教育こそが必要なのではないかと思います。

人は好きなことをやる時には、要求されている何十倍もの力を出し、それに対しては想像以上の時間を費やします。偏差値やテストの点数で子供たちを互いに競争させるのではなく、それぞれが好きなこと、得意なことを見つけることによって、互いをいかす教育環境こそが私の夢みる教育の姿です。

今度いつか、洗脳について自分の想いを書いてみたいと思っています。
**********
*前のコメントに、「『人を大切にしない教育』は、教育と呼ぶ権利はないと思います、と書きましたが、「『人を大切にしない教育』は教育ではない』ということが言いたかったのです・・・。(言葉は難しい・・・。)

はじめまして。「ある異常体験者の偏見」ブログの管理人@イオです。いきなりのトラックバックだったのにコメントして頂いて大変ありがとうございました。m(_ _)m

私のブログは変なブログですがよろしければ相互リンクをお願いできませんでしょうか。(こちらからは早速しておきます★)

私も中学校のとき、バスケ部にいたことがあって地獄の日々を送っていたことがあります。高校では部活に従順しなくてもよかったのでもう入りませんでしたけども。今から考えれば部活なぞやらずに勉強しておくんだった(笑)。意味のないしごきは時間の無駄じゃないでしょうか。しごくなら科学的に体力を伸ばせるトレーナーをつけるべきですよねぇ(*゚ー゚)




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イオさん

コメントありがとうございます。
リンクの件、了解です。

大人や学校や社会にとっては、意味のないしごきだったのではなかったのだと思います。

部活動のない日は、先生方や父母やその他関係者の大人が、ゲームセンター、ショッピングセンターやまち中をパトロールしていました。あの部活動の長時間のしごきの目的の一つは、非行防止対策なんだと、大人の行動を見て思いました。子供は大人にとっては不可解な存在なんでしょうね。そして、そんな子供たちをコントロールしないでいると、多くの大人は怖くてしかたないのかもしれません。子供たちは未知の可能性に満ち、まっすぐな視線や生きるエネルギーを持っていますから・・・大人よりうわてです。

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好きな言葉:"Differences are not a threat, but a treasure" by Jean Vanier (ジャン・バニエは、尊敬する人の一人です)

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