るるどの覚書

全く私的な独り言から、素朴な疑問や社会的な関心ごとまで、北欧での生活の中で感じたり、思ったり、考えたことの覚書ブログ。気軽にコメントして下さると嬉しいです。

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2006/04/12

義務教育と私

最近、過去に戻って、自分の受けた教育について考える。
日本の義務教育とは相性が悪かった。
体罰、校内暴力、厳しい校則、受験戦争、受験地獄、偏差値、内申書、過酷な部活動、いじめ、・・・。思い返すと、ひどい教育環境に身を置いていたんだなあと思う。同じ環境にいたのは、私だけではないけれど・・・不自然なもの、納得できないことは、なかなか受け入れがたく、なじめなかった。

特に、嫌いだったのは国語。
国語の時間に読んだ話の解釈は、先生の解釈が絶対だった。
「違う」と「間違い」として扱われ、どんな言い分も、理屈も通らなかった。
つまらないなあ、くだらないなあ、ばかばかしいなあと思いつつ、何度かは授業中に、自分の考えていることを意見したこともあった。でも「先生は正しい」と言う前提があることに気がついてからは、自分の意見を言う無意味さやむなしさが感じられ、だんだんと意見しなくなっていった。

学校は嫌いだったけれど、なぜか学級委員長になったり、生徒会活動などに参加したりしていた。生活委員もやったなあ。スカートの丈、爪の長さ、髪の毛の長さ、ハンカチとちり紙を持っているか確認、遅刻のチェックなどなど毎日が管理尽くめ(今、考えるとぞっとする)私がチェックする日は、みんなが合格。遅刻した生徒も忘れ物した生徒もみんな合格にした。悪いこと、迷惑をかけることをしているわけでもないのに、なぜ人が人を管理し、裁くのか不思議でしょうがなかった。(日々の不合格や合格は内申書に反映していた)

私は「いい子」だったけれど、「不良の生徒」とも仲良く、そんな風に見られている友達とずる休みすることもあった。私も「不良の子」も同じずる休みなのに、私は「体調が悪いんだ」と思われ、その子は「また、怠けて、ずる休みしている」と思われていた。そんな差別的な眼差しを生徒に向ける先生たちを尊敬はできなかったなあ。大人は、単純だなあといつも思った。

小さい頃から「なぜ?」「なぜ?」と質問したくてたまらない子だった。でも、大人は私の「なぜ?」には答えてくれず、決まりきった答えをオウムのように繰り返していた。素朴な質問に対しては、「そんなばかばかしい質問は時間がないからやめてくれ」という態度だった。

悲しいけれど・・・人間を育てない教育を受けてきた・・・。

日本から離れ、国外の学校に通い始めた時、英語の宿題があると、日本で受けた教育の批判をよく書いていた・・・。つたない英語で、言いたいことも十分に書けていなかったと思う。でも、精神的には自由で、開放された。

私はそんなに強くないので、日本で生活を続けていたら、自分が壊されていたかもしれなぁと、ふと思う。
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好きな言葉:"Differences are not a threat, but a treasure" by Jean Vanier (ジャン・バニエは、尊敬する人の一人です)

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