るるどの覚書

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2006/04/04

「主体性」について

上司は、職員ひとり一人に「主体的」に働いて欲しいといつも言っている。
そして、上司自身は「主体的」に働き、生きていると言う。

それを聞いている限り「主体的」というのは、「自分の都合の良い」「自分の好きな」「自発的」ということを意味しているようだ。

なぜ、わざわざ「主体的」という言葉を使うのか不思議である。

「主体性を伸ばす教育」というフレーズもどこかで聞いたことがある。
教育者は「主体性」とは何かが、わかっているのかなとふと思う。

最近、「主体性」という言葉を聞くと、アレルギー反応が起きる。先生や上司が、生徒や部下の「主体性」について話し始めると、欺瞞に満ちた人々に見えてくる。どうやって教育したらよいかわからない先生や、どうやって指導してよいかわからない上司が、生徒や部下の「主体性」のなさを理由にして、自分の指導力の未熟さを上塗りするための言葉のように聞こえてくる。

生徒や部下が「主体的」に動いてくれれば、先生や上司はとても都合がよい。
この場合、生徒や部下の「自発的な動き」は、先生や上司にとって都合のよい動き、先生や上司が「良しとすること」でなければいけないという条件がある。

結局は、指導者の怠慢や無能力を隠蔽するために使われている言葉のようにしか聞こえてこない。

主体性とは何であるか絶対的な答えはわからない。
でも、主体性を伸ばす環境がなければ、主体的に考えたり、動いたりすることは無理であるような気がする。主体的な行動をとるときは、自らを律し、自分の選択した行動について自分なりの考えを持ち、それを説明できる表現力も必須だと思う。それだけの人間力が育まれ、そのようなあり方が許される環境ではじめて、主体性は伸びていくような気がする。

主体的に働くことや、主体的に生きることは、そんなに容易いことではないと思う。
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≪ 電車の中の女性の半裸体写真ホーム国・友情 ≫

Comment

>結局は、指導者の怠慢や無能力を隠蔽
>するために使われている言葉のように
>しか聞こえてこない。

→そうかもしれないですね。
 あと、「主体的」ってのは、
 「自分のその行動に責任を負う」
 ということでもあると思うんです。
 職場においては、「個々人の個性を
 発揮する」というのと「スタンドプレー」
 というのは、全然違うものだと
 思うんです。
 言葉の魔術を用いて、勝手なことばかり
 やられてかき乱されるのは、とても迷惑な
 行為だと思います・・・。

 (※話が違う方向に行ってしまって、
   申し訳ありませんっっっ。)

fumohさん コメントありがとう

そうですね・・・「言葉の魔術」。言葉には見えない魔力がありますね。

自分で選択した行動に対しては100%責任を取る覚悟はあるけれど、・・・。「主体的」に働くのはとても難しいと感じている今日この頃です。

まとまらないコメントになってしまいましたが・・・。また、来てくださいね。

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