るるどの覚書

全く私的な独り言から、素朴な疑問や社会的な関心ごとまで、北欧での生活の中で感じたり、思ったり、考えたことの覚書ブログ。気軽にコメントして下さると嬉しいです。

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2006/03/25

人間恐怖症

70代の知人は人間恐怖症だという。
私が、「あなたも人間じゃないですか、私も人間ですけれど」と言ったら笑っていた。でも、「人間は怖い、人間は怖い」と言っていた。

「あなたも人間は怖いですか」って聞かれた。
「私も怖い」と答えた。人間は怖いと思う。

「人間よりも怖いものありますか?」っ聞いたら、
彼は人間より怖いものは「権力」、「政治的権力」だと言っていた。
そういえば、最近、マキャべリの本を読んでいると言っていたなあ。自分が一番恐れるものについて理解を深めようとしているのかなとふと思う。

彼は、一般社会の定義で表現すれば、高齢者であり、精神障害者でもある、ほとんど「社会」との接点を持ちえずに長年生活してきているが、私は今まで彼ほど素敵な人に会ったことがない。

以前、ある有機農業(減農薬ではなく、無農薬)に何十年も携わってきているお百姓さんが、「人間は人間以外に恐れるものがないといけないよな」と言っていた。その人が子供の頃は、家の能面がとても怖かったり、暗い森のふくろうの目が光っているのが怖くて、夜暗くなる前に家に帰ったという。昔は、人間よりも、怖いものがあったと言う。

今、人間が人間を恐れる時代にあるような気がする。
人間が怖く、恐ろしいから、殺し合い、傷つけあい、権力を持ち、自分だけは勝ち残ろうと一生懸命なのかもしれない。それによって、余計に人間が怖くなる。悪循環だ。

もし人間同士が信頼でき、安心できたら・・・。
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≪ 六義園のしだれ桜ホームすべてアメリカのせい? ≫

Comment

リンクありがとうございました。

少し前までは「地震、雷、火事、親父」が恐怖の対象だったのしょうね。

コメントありがとう

そういえば、「地震、雷、火事、親父」って言っていましたね。忘れていました。科学の「進歩」や技術の「発展」により、自然でさえも怖い存在ではなくなってしまったのでしょうか。

あと、最近、不思議なものも、なくなってきたような気がしますね・・・。

こんばんわ

訪問履歴からきました。はじめまして^^
勝手ながら、貴ブログとリンクさせて頂きましたので、ご挨拶がてらにコメントを残しておきます。
また、ちょくちょく訪問させて頂きます。

コメントありがとうございます

大変興味深い活動をなさっていますね。
また、訪問させていただきます。
リンクどうもありがとう。

重要なのは理由だと思う。
なぜ恐ろしいと思うのか。
人間にはその理由があると思う。
積極的に人を攻撃する性質があると思う。
時々思うが、まるで生命というものは計算しつくされた拷問道具のように感じる。
戦争、アウシュビッツに始まり、近所付き合いでの村八分、噂話、罵詈雑言に嫌がらせ、ぞっとするような内容の、でもどこにでもあるいじめ、脅迫、無関心、、、。
それでも男はセックスに執着し、女は体内時計の作用でいずれは子供を生む。そして生まれた子供はいずれおぞましい死を迎えるだろうに歓迎される。だれもオムツをした老人や身障者、精神病の人間を生まれる子供として想像したりはしない。
そしてそのような人間は排除の対象になり、嫌がられる。
彼らにも自分があることなどおかまいなし。
恐ろしいのは人間だけではない。
自然界では殺し合い、ありのような小動物の世界など殆ど大虐殺の世界だ。
鶏の養鶏場など恐ろしいと思う。
生まれ変わりを信じてはいないが、もしあったら、と思うとぞっとする。
自重で足を折るような狭い折の中に押し込まれ、気を狂わされ、生きたまま羽をむしられ首を切られる。
環境問題に見られるように人間の視野は非常に狭いそうだ。
二十年も先のことなどだれもわかろうともしないし、責任も取らない。
そしてこの世界の最もおぞましいく、正確な部分は、無関心こそが生命にとってなくてはならない機能であり、それこそが繁栄の要でなのではないかと言うことだ。
これから食う相手のことを気にしてなどいられないし、ありが死んだ仲間を気遣って集まるところなど見たことが無い。
食物連鎖も自然のメカニズムだとすれば、もはや個々の生物がどう感じるかなど全く問題にならないと言うことだ。
そして、それでも苦痛が存在し続けている。
まるで生きるということは何者かのサディズムにつき合わされることのようだ。
人間が恐ろしいのは、人間が積極的に人間を苦しめようとするからだ。
そうでなければ恐れる理由は無いはずだ。
そしてそうであるにもかかわらず、人々はアウシュビッツも戦争も、人間の攻撃性も省みず、子供をこの世に産み続けている。
生命は大量の生き物に犠牲を強い、そして彼らの苦痛を無視し続けながら、繁栄し続けている。
まさしく、無関心は生命の反映の要であり、この世は無関心という精密なメカニズムと攻撃性によって再生産され続ける拷問具なのだ。
そして、人々はこれからも自らに脅かされ、脅かしながら存在を続けるだろう。
そして、冷酷な歴史の再生産と人のおぞましさを観察するほど、私にはそれこそが彼らの生きる理由のように見える。

始めまして

コメントありがとう。
返事を早く書こうと思いつつ、今になってしまいました。
考えさせられるコメントで、何度も読みました。
ありがとうございます。

「無関心」で生きているほど無味乾燥で、つまらないことはないんではないのかと考える今日この頃です。でも、自分を守るために「無関心」を偽る人は少なくないのかもしれませんね。

「人間が積極的に人間を苦しめようとする」・・・そのようなこともあるかもしれないけれど、人間が積極的に人間を救おうとする場合もあるかもしれません・・・。だれかを苦しめようとする時、人は自分自身をも苦しめているんだと思えて仕方がありません。誰かを救おうとする時は、自分自身をも救っているんだと・・・。

ありの話ですが、ありが死んだありを運んでいるのを土の上で見たことがあります。ありの行動の意味は私にはわかりませんが、仲間を気遣っているのかなあと感じました。ありのほうが人間より仲間のことを思うのかも?!・・・。

なんか、まとまらないコメントになってしまいましたが、懲りずにまたコメントくださいね。

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好きな言葉:"Differences are not a threat, but a treasure" by Jean Vanier (ジャン・バニエは、尊敬する人の一人です)

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