るるどの覚書
全く私的な独り言から、素朴な疑問や社会的な関心ごとまで、北欧での生活の中で感じたり、思ったり、考えたことの覚書ブログ。気軽にコメントして下さると嬉しいです。
思いやり予算
日本人の思いやりは米軍のためだけでない。
日系企業は、海外から日本に駐在する駐在員ひとりひとりのために多大な予算枠を設けている。
日本人は少ない給与で働かされる。日本人以外で、日本に派遣されて働く人たちの給与を含む福利厚生費は一桁違う。もちろん生活の場も、家賃が一桁違うような場所に住んでいる。
何で日本人は欧米人のために、そんなにお金を貢ぐのだろう。
同じ人間なのに。
日系企業は、海外から日本に駐在する駐在員ひとりひとりのために多大な予算枠を設けている。
日本人は少ない給与で働かされる。日本人以外で、日本に派遣されて働く人たちの給与を含む福利厚生費は一桁違う。もちろん生活の場も、家賃が一桁違うような場所に住んでいる。
何で日本人は欧米人のために、そんなにお金を貢ぐのだろう。
同じ人間なのに。
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福祉・・・人間の可能性
なぜ、日本に戻ってきてから、私は「福祉」の分野に関心を持てないでいるのか自問していた。日本の外にいたときは、そんな分野の仕事に関心も持っていた。負の面もみてきたけれど・・・でも、よい面もたくさんあった。
最近強く感じることは、日本では福祉の仕事に携わると行政の決めた規則に沿って、既製の枠組みの中で利用者(障害者、高齢者、生活上何らかのサポートを必要としている人々等)へサービスを提供する。利用者にとって使いにくいサービスがあったり、こんなサービスがあったらよいという要望をくみ上げ、それらの声をまとめ、行政に訴えかけ、よりよいサービスを構築し、一人ひとりが質の高い生活ができるような協働を進めていく・・・そんな福祉サービス提供者の姿はほとんど見かけられない。
サービスを提供する施設や人たちは制度からはみ出ないように、監査が入ったら罰されることのないように・・・そんなことばかり気にしている。利用者がよりよい生活を送れるようにと望んでいる人たちが集まっている業界が福祉であるべきなのにと思うのだけれど・・・。
この国では、福祉のサービスを受ける人たちは、「利用者」になることで、選択肢やいろいろな可能性を奪われているような気もする。「障害者」「要介護高齢者」「生活保護受給者」等とレッテルを貼られないと利用できない。本来、皆、社会サービスを受ける権利があるのだから、肩身の狭い思いをしてサービスを受けるものではないと思う。福祉のサービスを得ることで、一人一人の生きる道が開けたという話はあまり聞かない。それよりも、制度を使ったら「障害者」として一生生きなければ・・・とか、生活保護を受けたら、どうもがいても“普通”の仕事に就けるわけがないという話を聞く。福祉というのは人間が、よりよく生きていく為の支援をするためにあるのではないのだろうか。日本の福祉というのは、福祉のサポートを受ける人たちを「福祉」という枠組みに収めるためにあるような気がしてならない。そして、福祉の仕事は福祉の仕事に就く人たちのためにあるような気がする。福祉の仕事は、福祉サービスの受け手のためにあるべきものではないのだろうか。
できることなら、人間の持つ可能性を押さえ込み、はみ出したものたちを枠に収め、この社会が効率的に運営される為に国や行政や社会の手先になるのではなく、人間の一人ひとりの持つ可能性を見出し、この世の生きとし生けるものたちの持つ“力”を最大限に引き出し合い、この世に一人一人が貢献し合いながら生きていけるような仕事をしたい。この世に貢献できない人なんて一人もいないんだから。病気を持っていたって、障害を持っていたって、寝たっきりだってみんな、いろいろな方法で、いろいろな人に貢献しているし、存在する意味を持っている。互いにそんな生き方を支えあう、本当はそれが福祉ではないのかなあと思う。
最近強く感じることは、日本では福祉の仕事に携わると行政の決めた規則に沿って、既製の枠組みの中で利用者(障害者、高齢者、生活上何らかのサポートを必要としている人々等)へサービスを提供する。利用者にとって使いにくいサービスがあったり、こんなサービスがあったらよいという要望をくみ上げ、それらの声をまとめ、行政に訴えかけ、よりよいサービスを構築し、一人ひとりが質の高い生活ができるような協働を進めていく・・・そんな福祉サービス提供者の姿はほとんど見かけられない。
サービスを提供する施設や人たちは制度からはみ出ないように、監査が入ったら罰されることのないように・・・そんなことばかり気にしている。利用者がよりよい生活を送れるようにと望んでいる人たちが集まっている業界が福祉であるべきなのにと思うのだけれど・・・。
この国では、福祉のサービスを受ける人たちは、「利用者」になることで、選択肢やいろいろな可能性を奪われているような気もする。「障害者」「要介護高齢者」「生活保護受給者」等とレッテルを貼られないと利用できない。本来、皆、社会サービスを受ける権利があるのだから、肩身の狭い思いをしてサービスを受けるものではないと思う。福祉のサービスを得ることで、一人一人の生きる道が開けたという話はあまり聞かない。それよりも、制度を使ったら「障害者」として一生生きなければ・・・とか、生活保護を受けたら、どうもがいても“普通”の仕事に就けるわけがないという話を聞く。福祉というのは人間が、よりよく生きていく為の支援をするためにあるのではないのだろうか。日本の福祉というのは、福祉のサポートを受ける人たちを「福祉」という枠組みに収めるためにあるような気がしてならない。そして、福祉の仕事は福祉の仕事に就く人たちのためにあるような気がする。福祉の仕事は、福祉サービスの受け手のためにあるべきものではないのだろうか。
できることなら、人間の持つ可能性を押さえ込み、はみ出したものたちを枠に収め、この社会が効率的に運営される為に国や行政や社会の手先になるのではなく、人間の一人ひとりの持つ可能性を見出し、この世の生きとし生けるものたちの持つ“力”を最大限に引き出し合い、この世に一人一人が貢献し合いながら生きていけるような仕事をしたい。この世に貢献できない人なんて一人もいないんだから。病気を持っていたって、障害を持っていたって、寝たっきりだってみんな、いろいろな方法で、いろいろな人に貢献しているし、存在する意味を持っている。互いにそんな生き方を支えあう、本当はそれが福祉ではないのかなあと思う。
通訳
最近の通訳者は英語を漢語に訳すような人が多い。日本語、そして耳障りの良い言葉、かっこいい言葉だけれど、イマイチピンと来ない。感情がない訳で、何も残っていかない。
折角なら、日本人の頭や心に残る大和言葉に訳して欲しい。
私の願いは・・・通訳者の必要としない社会。みんなが複数の言語を操ることの出来る社会と、
共通言語を持たなくても、互いに意思疎通を一生懸命にし合おうという気持ちをもった人々の集まり。
折角なら、日本人の頭や心に残る大和言葉に訳して欲しい。
私の願いは・・・通訳者の必要としない社会。みんなが複数の言語を操ることの出来る社会と、
共通言語を持たなくても、互いに意思疎通を一生懸命にし合おうという気持ちをもった人々の集まり。
無気力感が漂う国・・・日本
日本
敗戦国
魂を抜かれた
意思も奪われた
反省する意欲も奪われた
独り立ちする気力も奪われた
正しいものが勝つという希望も奪われた
まだ、敗戦国としての道のりは60年余り・・・。
まだ、敗戦国としての自覚がない。
自分自身にうそをつき続け・・・身の丈を知らずに前進してきた
そんな状態が、長引けば、長引くほど、現実が見えなくなる
うそや、欺瞞や、あざむきや、うらぎりや、無反応が、つくりだす無気力感が益々募っていく
敗戦国
魂を抜かれた
意思も奪われた
反省する意欲も奪われた
独り立ちする気力も奪われた
正しいものが勝つという希望も奪われた
まだ、敗戦国としての道のりは60年余り・・・。
まだ、敗戦国としての自覚がない。
自分自身にうそをつき続け・・・身の丈を知らずに前進してきた
そんな状態が、長引けば、長引くほど、現実が見えなくなる
うそや、欺瞞や、あざむきや、うらぎりや、無反応が、つくりだす無気力感が益々募っていく
会社の中の女性
私が今いる部署の男性は女性社員を「たなかさん」とか「すずきさん」とか、苗字をさん付けで呼ぶけれど、隣の部署の男性は、女性社員のことを呼び捨てで呼ぶ。「みか」とか「あい」とか「みく」とか・・・。
なぜか、それを聞く度に私は嫌な気分にさせられる。
「女をなんだと思っているんだ!」とふと感じてしまう。
男性はみんな定年間近の正社員。女性は若い派遣社員。とてもいびつな人員構成である会社組織。
若い男性を雇うほどお金がないんだろう。そして先のなさそうな会社に来たいと思う男性もいないんだろう。
会社でよくある風景。
大卒の派遣社員の「みかちゃん」が仕事をミスると・・・。おじいちゃま社員さんは、「あれ~。みかちゃ~ん、間違えちゃったの?しょうがないなあ。じゃあ、俺がやっておくからいいよ・・・。じゃあ。これやっておいてくれるお願いね~」という様子。まるで漫画の世界。
そして、おじいちゃま社員さんは、隣の部署の高卒のベテラン女性社員に、「みかちゃんは忘れっぽいから、これお願いしますね。」と、仕事が流れていく。
なぜか、それを聞く度に私は嫌な気分にさせられる。
「女をなんだと思っているんだ!」とふと感じてしまう。
男性はみんな定年間近の正社員。女性は若い派遣社員。とてもいびつな人員構成である会社組織。
若い男性を雇うほどお金がないんだろう。そして先のなさそうな会社に来たいと思う男性もいないんだろう。
会社でよくある風景。
大卒の派遣社員の「みかちゃん」が仕事をミスると・・・。おじいちゃま社員さんは、「あれ~。みかちゃ~ん、間違えちゃったの?しょうがないなあ。じゃあ、俺がやっておくからいいよ・・・。じゃあ。これやっておいてくれるお願いね~」という様子。まるで漫画の世界。
そして、おじいちゃま社員さんは、隣の部署の高卒のベテラン女性社員に、「みかちゃんは忘れっぽいから、これお願いしますね。」と、仕事が流れていく。
恐ろしい こ・と・ば
「私の知るところではありません。」「私には関係ありません。」「私の担当の範囲ではありません。」
こんな言葉を耳にする度に、違和感を感じる。
何かあるたびに、「それ、私には関係ないから~」という人がいる。
その人は気がつく人なのに、気がついたことに対して何もしない。
人が困ろうと、どうなろうと関係ないらしい。自分のことだけやる。自分の範囲内のことだけ、きちんとやる。それ以上は、気がついても無視。気がついても気がついていないかのように振舞う。
その人はいかにも、それが自己主張しているかっこいい女性の言葉であるかのようにして言う。
私はそんな対応に対していつも違和感を感じていた。
そして最近、そんな対応はその人だけでなく、多くの人たちの反応であることに気づいた。
組織の中で、それは私には関係ない、そのことについて私は知らない、それは私の範囲ではない、という人たち。私はそんな受け答えはかっこの良い言葉には聞こえない、それは自己主張の言葉ではないと思う。それは、逃げ、自己防衛の言葉。
国や組織や団体が、間違った道に走っている時、やるべきことでないことをやっている時、そこに居合わせている一人ひとりが、そんな受け答えをすることほど恐ろしいことはないと思う。
話は飛躍するけれど・・・国が戦争への道へ歩んでいる時、その国の人々が「それは私には関係ない」「それについて私は知らない」「そんなの私の範囲ではない」と反応していたら・・・・と想像してみると・・・。 戦争へ突き進むことってそんなに難しいことでも、不思議なことでもないんだということがよくわかる。
少なくとも、身の回りに起きていることに対して、どんな小さなことに対しても、「私には関係ないから・・・」という姿勢を見直したいと強く感じる今日この頃。
こんな言葉を耳にする度に、違和感を感じる。
何かあるたびに、「それ、私には関係ないから~」という人がいる。
その人は気がつく人なのに、気がついたことに対して何もしない。
人が困ろうと、どうなろうと関係ないらしい。自分のことだけやる。自分の範囲内のことだけ、きちんとやる。それ以上は、気がついても無視。気がついても気がついていないかのように振舞う。
その人はいかにも、それが自己主張しているかっこいい女性の言葉であるかのようにして言う。
私はそんな対応に対していつも違和感を感じていた。
そして最近、そんな対応はその人だけでなく、多くの人たちの反応であることに気づいた。
組織の中で、それは私には関係ない、そのことについて私は知らない、それは私の範囲ではない、という人たち。私はそんな受け答えはかっこの良い言葉には聞こえない、それは自己主張の言葉ではないと思う。それは、逃げ、自己防衛の言葉。
国や組織や団体が、間違った道に走っている時、やるべきことでないことをやっている時、そこに居合わせている一人ひとりが、そんな受け答えをすることほど恐ろしいことはないと思う。
話は飛躍するけれど・・・国が戦争への道へ歩んでいる時、その国の人々が「それは私には関係ない」「それについて私は知らない」「そんなの私の範囲ではない」と反応していたら・・・・と想像してみると・・・。 戦争へ突き進むことってそんなに難しいことでも、不思議なことでもないんだということがよくわかる。
少なくとも、身の回りに起きていることに対して、どんな小さなことに対しても、「私には関係ないから・・・」という姿勢を見直したいと強く感じる今日この頃。
日本で女性誌が売れるわけ
日本に戻って来るたびに、書店に女性ファッション誌が山になっているのを見て不思議に思っていた。しかも、日本にはいろいろな種類の女性ファッション誌がある。
日本の“普通”の会社に勤めてから、その理由が私なりにわかってきたような気がする。
もちろん私自身を納得させた理由が正しいかどうかはわからない。
会社にいると女性がおしゃれをしているのがよくわかる。
そして綺麗な女性はもてはやされる。
秘書室に配属されるのは綺麗で若い卒業したばかりの女性だけ。
結婚すると他の部署に移されるという。
確かに秘書室に行くとおしゃれな“美人系”の女性たちが座っている。その秘書達は社長以下役員達の秘書。
仕事が出来る女性でも、管理職についている女性は一人もいなかったという。確か今年一人女性で始めて課長かなんかになった人がいるとか、いないとか。一度も会ったことはない・・・。
だから仕事が出来る出来ないで女性が評価されていないのがよくわかる。
主な評価項目は容姿。綺麗か綺麗じゃないか、そして側においておいて使いやすいか、使いにくいか・・・そんなことだけが評価される。
そんな世界にいたら、キャリア云々なんてばかばかしくなる。ファッション誌をぱらぱら見て、ああして、こうしておしゃれしていたほうが評価され、具体的なフィードバックを受けられるのだから・・・。
あ~ばかばかしい。何のために女の子達は、塾に行き、受験戦争の中で四苦八苦して、学校に行って、勉強をしてきたんだろう・・・会社に入って、おしゃれをして、楽して会社に居残るため?
日本の“普通”の会社に勤めてから、その理由が私なりにわかってきたような気がする。
もちろん私自身を納得させた理由が正しいかどうかはわからない。
会社にいると女性がおしゃれをしているのがよくわかる。
そして綺麗な女性はもてはやされる。
秘書室に配属されるのは綺麗で若い卒業したばかりの女性だけ。
結婚すると他の部署に移されるという。
確かに秘書室に行くとおしゃれな“美人系”の女性たちが座っている。その秘書達は社長以下役員達の秘書。
仕事が出来る女性でも、管理職についている女性は一人もいなかったという。確か今年一人女性で始めて課長かなんかになった人がいるとか、いないとか。一度も会ったことはない・・・。
だから仕事が出来る出来ないで女性が評価されていないのがよくわかる。
主な評価項目は容姿。綺麗か綺麗じゃないか、そして側においておいて使いやすいか、使いにくいか・・・そんなことだけが評価される。
そんな世界にいたら、キャリア云々なんてばかばかしくなる。ファッション誌をぱらぱら見て、ああして、こうしておしゃれしていたほうが評価され、具体的なフィードバックを受けられるのだから・・・。
あ~ばかばかしい。何のために女の子達は、塾に行き、受験戦争の中で四苦八苦して、学校に行って、勉強をしてきたんだろう・・・会社に入って、おしゃれをして、楽して会社に居残るため?
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