るるどの覚書

全く私的な独り言から、素朴な疑問や社会的な関心ごとまで、北欧での生活の中で感じたり、思ったり、考えたことの覚書ブログ。気軽にコメントして下さると嬉しいです。

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2007/05/31

『今なら、ここでなら、この人となら』

周りの人たちに叩きのめされて、人生のどん底に陥り、全くこれからの見通しが立たず絶望感でいっぱいになっている人が「今なら、ここでなら、この人となら」という出会いに恵まれた時、その人は「もしかしたら・・・」という可能性を感じる取ることができるような気がする。

一人でも多くの真っ暗闇をさまよっている人たちが「今なら、ここでなら、この人となら」と実感できる出合いに恵まれ、過ぎ去ってしまった過去に後ろ髪引かれることなく、新たな道を歩み始めることができますように。
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2007/05/30

巨悪は最後まで残る

小悪は静かに消え去るのを待たれ、巨悪は最後まで図太く残る。

そっと消え去る小悪は、巨悪の罪をも背負ってこの世を去っていく。

みんなのお荷物を抱えて小悪が消えてくれたことで、巨悪は「ホッ」と胸をなでおろしているのだろう。「灰色の疑惑はすべて、あいつがこの世から持ち去ってくれた。もし消え去ってしまったかわいそうな個人に関して、とやかくいうやつらがいたら、冷酷人間とレッテルを張りつけ、詮索できないようにしなくては・・・。」

小悪は巨悪を守るために犠牲となっていく駒のよう。

真実は小悪とあの世へ消えていってしまった。

*************************
「今は黙っていた方がいいと国対(自民党国会対策委員会)からの、上からの指示なのです。それに従うしかないんです」と鈴木宗男氏に言った松岡氏。命を捨ててまで・・・なぜ? それとも強いられた死なのですか? 最後まで、生き抜いていつか真実を語ってほしかった。もし、あの世からでも真実をあぶりだすことができるのなら、どうぞやって見せてください。もう失うものは無いのですから。

松岡利勝・農林水産大臣のご冥福をお祈りいたします。

2007/05/28

『光あるうち光の中を歩め』

『・・・生の欲求を実現しようとせずに、いのちの光が弱るままに放置すること、これは人類共通の病のように思える。』
島田啓介さんのVoice in Voiceに書かれていた上記の部分は、思わずペンを取り出してメモ帳に走り書きしてしまったほど、気にかかる言葉でした。

「息をしていても、目を開けていても、歩いていても、生きているのか、死んでいるのかわからないまま、流されるままに生きている人も多いんだろうなぁ・・・」と考えていると、次の言葉が思い出されてきました。“Death is not the greatest loss in life. The greatest loss is what dies inside us while we live."

I know that I want to be alive while I live. Who does not?

そんなことを考えながら、次の日、電車に乗ると、目の前の男性は本を読んでいました。カバーがされていないその本の背表紙を見ると、トルストイの『光あるうち光の中を歩め』でした。昔、読んだことがある本だけれど、再度、読み返してしまいました。この本は、学生の頃、友人がくれた本。

神の愛に満ちた教えに従い、共同体の中で生きたパンフィリウス。俗世界にどっぷりつかり、パンフィリウスのいる世界に行こうと思い立つたびに、迷いや誘惑によって俗世界から離れることのできないユリウスの生き方に自分を重ねてしまいます。

15、16歳の頃、修道院に行って修道女になるとか、出家して尼さんになるんだと言っていたことがある。周りの人たちは「この世でいろんなこと、できるかぎりのことを経験してから、出家したほうがいいよ。この世で経験し残したことがあると、戻ってきたくなるから」と言う。「ああ、そんなものかもしれない。いろんなことをして、たくさんの経験を積んでからのほうがいいのかな」と思った。

学生の頃、看護師になりたいと言ったら「看護師は3Kの仕事。綺麗な仕事じゃないし、肉体労働で大変。あと1年で大学卒業なのに、なんで今頃、わざわざ進路の変更までして看護師になりたいの。社会人になってから、良く考えて、それでも行きたければ、看護学校へ行けばいいじゃない」と言われた。「こんな時期になって進路変更すると、それまで費やした時間もお金ももったいない…仕事に就いてから考えてもいいのかもしれない」と思った。

その後、(ある国で)臨床心理学の博士号を取得し、臨床心理士になりたいと言ったことがある。すると「(その国では)臨床心理士は、精神分裂病やアル中の“病人”を相手にするんだよ。“普通”の人で相談ごとを持っている人たちの相手をするカウンセラーになったほうが、私生活に負担のない働き方ができるよ」と言われた。「(その国では臨床心理士になるためには医師になるのと同じくらい時間や労力をかけていた)人のために相談にのる仕事をしたいのなら、臨床心理士でなく、カウンセラーもいいのかもしれない」と思った。

今、修道女でも、尼さんでも、看護師でも、臨床心理士でもないのは、優柔不断で、意志が弱く、実行力の無い自分自身の責任。楽な方、楽な方へと、内発的に湧き上がる意志や思いや情熱を抑えつけて、最もであるかのような言い訳で自分を納得させ、惰性に流されていく私。(他にも、やりたかったこと、歩みたかった道はあるけれど、今日は上記に書いたことが、特に思い出された…)

今度の決断はどうなることだろう。

いのちの光が消えないうちに、一歩を踏み出そう。

そうしないと、いつか本当に歩くゾンビになってしまうかもしれない。

2007/05/27

薬と私と精神障害者と

土曜日に行った病院で、喉の痛みや腫れのために処方された薬を飲んでいる。

薬漬けの私は・・・
ゾンビのよう。
体に力が入らない。
脱力感でいっぱい。

重力が働き、体が布団やベットに引き戻されていく感じ。何時間、横になっていても、まだまだ眠れるような感じ。

頭がぼーっとして、新聞を読んでいても、一枚のページの一点をボーっと見つめている私。

頭がぼーっとして、思考できない。

いつもより脈が速く、「どくっ、どくっ」と自分の脈が感じられる。

喉の痛みや腫れのために出された薬を数日飲んだだけで、薬にノックアウトされている。

『くどき上手』や『十四代』などの最高級の純米大吟醸のお酒を頭からゆっくりかけてもらって、頭から体全体を清めもらいたい気分。頬を伝って口に入ってくるお酒をちょっとあじみしながら、ほんのりとした香りにつつまれて、幸せな気分に浸ってみたい心境・・・。どうせノックアウトされるなら、薬でなくて、お酒にされたい。

そんなことを考えていると、日々薬を飲みながら生活している精神障害者のことが頭に浮かんできた。

何種類もの薬を飲んでいる精神障害者はたくさんいる。副作用止めの薬をいくつも飲んでいる人もたくさんいる。
それでも「ぶらぶらしていないで、働けば?」とか「家にこもっているとめざわりだ」とか、「五体満足なのに怠け者」と思われている人たちが少なくない。目に見えない病気や障害をもっている人たちは、病気を持っているだけでも大変なのに、薬の副作用、社会や周りの人たちの不寛容な態度や誤解など、いくつもの“重荷”を背負う。

疲れている精神障害者の人に「ゆっくりやすんだほうがいいよ」「眠たいんだね」「疲れているんだね」などと言ったとき、障害者の人に「う~ん、そんなんじゃないんだよね」と言われたことがある。薬を飲みながら毎日の生活を送っている人たちは、私のそんな軽い言葉で表現できるような状態ではないんだろうということが、なんとなくわかった。

毎日、薬を飲みながら生活している精神障害者や慢性的な身体的な辛さを抱えている人たちがが薬を飲みながら、自分自身と付き合い、生活していく大変さを、少し垣間見ることができたような気がします。

2007/05/26

病院へ行ってきた

今日は近くの病院へ行ってきた。
喉が痛くて、痛くて・・・。もう我慢できなかった。

最近、息子さんも医者になり、お父さんと一緒にやっている病院。その病院へ行くのは何十年ぶりだっただろう・・・。

昔、風邪を引くと母にその病院へ連れられて行った。よくお尻に注射をされた。今、振り返って考えてみると、何の注射だったんだろうとちょっと??な気分になる。

今日は、息子さんの担当の日だった。診察室に入ると、看護婦さんが私のシャツをめくりあげた。「え~っ」そんな風に聴診器を当てる医者がまだいたことに驚いた!!!(下着を着けていてよかったあ)

喉をみて「真っ赤ですよ!どうしてもっと早くこなかったの?」と驚かれた。やっぱり、痛いわけだ。ここ4、5日、喉が痛くて朝5時ごろになると目が覚めていた。そのくらい痛かった。

出された薬4種類、その病院はまだ医薬分業をやっていない。

こんな個人病院、まだあったんだ。

(医薬分業といっても、病院の前に薬局を置いている病院がほとんどだから、それ自体、形骸化されているのかもしれないけれど・・・。)

2007/05/25

裁判員制度?ですか リンチ奨励制度?ですか

保坂議員の5月24日付けのブログの記事に以下のことが書かれていた。

『裁判員制度の導入の時には想定さえされていなかった新制度が導入されようとしている。それが「犯罪被害者の法廷参加」だ。

昨日から衆議院法務委員会では「犯罪被害者の法廷参加」のための刑訴法改正案の審議が始まっている。法廷で犯罪被害者は被害者参加人として検察官席の裁判官に近い席に座り、従来認められていた意見陳述に加えて、証人尋問や被告人質問がが出来るようになり、検察官と共に論告求刑も行うという制度だ。』

非人道的制度が導入されるような気配がする。
多くの被害者は感情的になり、犯人と思われる人への仕返しや仕打ちをする衝動に駆られるかもしれない。そんな時、私的な感情‐恨みや怒りや憎しみや苛立ち‐を抑えられるのか?

また、"Innocent until proven guilty" 「無罪推定の原則」はどうなっていくのか・・・。 

裁判員制度は、リンチ(私刑・民衆の中で行われる暴力的な私的制裁)を認めるかのような制度なっていくのか・・・。

参考:
"Presumption of innocence" is a legal right that the accused in criminal trials has in many modern nations.

2007/05/25

喉の痛み・・・

先週末から喉が痛い。何もしなくても痛い。つばを飲み込んだり、食事をするのが苦痛。

紅茶としょうがをよく煮詰めて、牛乳を入れて、再度温める。それにたっぷり蜂蜜を入れてカップに注いで飲んでいる。これで治るかな。
**********************
こんなに喉が痛くては腹話術の練習もできない・・・。

腹話術の“師匠”から手紙が届いた。「一日の遅れは一年の遅れ!!」と手紙の最後に一言、書いてあった。85歳の師匠の手紙を読む時、助言を得る時、こんなひねくれもので、天邪鬼で、不可解な私のことをよく理解しているなあと感心してしまう。さすが85年の間、たくさんの人たちと出合ってきた先生。

先生からのその手紙を見た人は「まるで、るるどが最後の弟子みたいね」と言う。病気で手がうまく使えないのに、手書きで一文字一文字きちんとていねいに書いているのが良く伝わってくる気持ちのこもった手紙。とても筆まめな師匠さん。筆不精の私も少し心を入れ替えて、まめになる良い機会かもしれない。

私は本当にやわだ・・・ただの喉の痛みと腫れ!?なのにとっても気が滅入る。心身ともに辛い時、慢性的な病気や痛みや苦痛や障害と共に、毎日寝起きして、生活している人たちのことを考える。共に生きる人間として彼ら、彼女らを改めて尊敬してしまう。試練を与えられた選民なんだと思う。耐えられる人にしか、試練は与えられないんだと思う。試練は、耐えられるからこそ与えられるんだろう。そう思いたい。その試練を受け止めることによって、学び、成長し、徳をつむことになるからこそ、与えられるんだと、そう思う。人間、誰かが背負わなければならない試練を、身代わりに背負ってくれているんだろうと思う。

2007/05/22

アル中だった女性より

アルコール中毒で苦しんでいた女性とお話しする機会がありました。

ここ10年くらいアルコールは一切口にしていないとのことです。
その50代の女性はとても美人でおしゃれ。美的センスもある。今は、都内のデパートで仕事をしています。

以前は、刺激を求めて、強烈な度のアルコールを冷凍庫に入れておき、トローッとさせて飲んだこともあったという。もっと自分の感覚を麻痺させたくて、刺激が欲しかった時は、それに唐辛子を山ほどかけていたという。「そんなこと続けていたら、病気になって、今頃、死んでいたわよ」と彼女はしみじみ話していました。

ぼろぼろの服を着て、身なりを構う余裕もなく、酒屋さんやお酒の自動販売機の周りをうろうろし、お酒の缶やビンをあさっていたこともあるという。ビンや缶を次から次へとさかさまにして、残っている一滴でも口に入れたかった。家族は恥ずかしいからそんなこと辞めてくれと、言っていたけれど・・・止めたくても、やめられなかったという。

好きな人ができて、一緒に生活するようになり、その男性が「お酒をそんな風に飲むんだったら俺は他の女のところへ行く」と言ったという。それで、彼女はお酒を少しずつ自制することができるようになったといっていた。

でも、その男性にひどい暴力を振るわれるようになり、結局は夜逃げをした。次の男性のところへ逃げ込んだという。

今は、その次の男性と一緒。今の男性は暴力も振るわず、やさしい人だという。守ってあげたくなるような男性らしい。その彼は、自分にも周りの人にも厳しくて、女だから、男だからという視点で彼女をみない。どちらかといえば、精神的にも経済的にも、彼女が彼を支え、養っている様子。私生活、仕事のこと、人間関係、すべてを身近な人たちにオープンにしながら、二人は日々の生活を送っています。二人は、先月、結婚しました。

毎日、苦労、苦労だけれど、「今、幸せよ」という彼女。
私が「すごいなぁ、転機ってあったんだよね?なんなんだろう」と言ったら、彼女は即「どんな惨めで悲惨な私でも受け入れてくれる人がいると心から感じることができた時。心から信頼できる人と出会えた時」と言っていた。

思わず「うん、そうだよね。わかるなぁ」と何度も深くうなずいてしまった私・・・。

2007/05/22

『私は貝になりたい~あるBC級戦犯の叫び』

『私は貝になりたい~あるBC級戦犯の叫び』著:加藤哲太郎(春秋社・1994年)

「戦争は、人間を発狂させる。死ぬか生きるかという、せっぱつまったとき、あらゆる価値が転倒する。殺人がもっとも美徳とされるのが戦争である。自分が人を殺す、また仲間の兵隊が敵に殺されるのを見る、そして自分もまた、いつなんどき殺されるかわからないという心理が支配的となったとき、人間は発狂するのである。発狂の原因が取りさられてふたたび冷静が彼を支配したとき、あの時なぜ自分はあんな馬鹿なことをしたのか、ふしぎでたまらないのである。気の小さい、虫も殺さぬような、しかも一応の教養のある人までが、いったん発狂すれば、大それたことをやらかすのだ。」(p.47)

「罪は戦争にあるのではなく、戦争に参加した各人にある。人殺しが犯罪であることは当然だ。戦争はイコール殺人そのものではないとしても、殺人のともなわない戦争は考えられない。」(p.49)

「お国のためだからと自己をいつわって生活のために職業軍人となった人、刑務所にやられるのが嫌さに召集された人、軍律が恐ろしくて逃亡しなかった人、このような人は、自分が戦争に参加したこと自体を、大いに反省する必要があると思う。私は七年の戦犯生活のあいだに、このことだけは痛感した。そして多くの戦犯がこの反省をしたのである。・・・・彼らは、もし万が一にも不幸にして戦争がおこった場合、彼らの力では如何ともすることができなくなった時には、逃げるより仕方がなくなった時には、堂々と逃げるだろう。戦争犯罪を犯さんよりは、監獄を選ぶだろう。・・・・」(p.49-50)

「私の理解するかぎり、法と道徳とは、決して同じものではなかった。これらのものは、決して合致するイデオロギーではなかった。・・・・従来、両者は決して同じものではなく、あまりにもしばしば、対立するものでさえあった。義理や人情のために掟を破る、または掟のために義理人情をすてる、これが人間社会の多くの悲劇であり、社会の大いなる矛盾でさえあった。そうだ私たち戦犯すらが、その悲劇の主人公ではなかろうか。・・・・法、すなわち強制する社会的権力、時にはその本質の暴力さえあらわにして、私たちをいやおうなしに強制するところのものと、私達のモラルとは多くのばあい、全く相反していた。私たちはその両者の板ばさみとなり、シャニムニ二者のなかのいずれかの選択をせまられた時、私たちは道徳を犯したのである。私達の犯した罪、すなわち道徳的犯罪をどうして、この道徳とは別個のものであるところの法が罰しえようか。のみならず、そんな法自体がまるっきり存在しなかったのだ。・・・」(p.51-52)

「ほんとうに戦争をにくみ、平和を愛するならば、自分の体験した戦争を、あなたの犯した戦争犯罪をバクロすること、平和を愛する国民のまえに、自分の犯した過ちを発表する勇気を、戦争犯罪を犯したすべての人に要求したいと思う。このためには、どんな発表手段を通じてもかまわないと思う。あらゆる方法をもちうべきだと思う。・・・・」(p.53)

「・・・将来、戦争があって、もし日本がそれにまきこまれた場合に、かりに一保安隊さんが、「俺は戦争には参加しても、決して戦争犯罪を犯すまい。このように決心していれば、俺は決して、戦犯にはならぬだろう」などと考えれば、それは愚かな考えである。戦争があるかぎり、戦犯はかならず生まれる。これだけは断言しておく。じっさいに、戦犯に問われるような事件に関係していた兵隊や地方人で、その名前を中国人に覚えられていた大部分の人は、敗戦後、優先的に帰国することができた。そして、彼らは、今では何食わぬ顔で故郷に帰り、忌まわしいことはすべて忘れてしまっている。これに反して、まさか自分は戦犯になるまい、と思った人、そのためにほんとうの戦犯を先に帰してやって、残務整理などにのこっていたお人好しが、戦犯に問われてしまったという場合が多かった。・・・・附言するが、金を持っているもので戦犯になったのは、中国ではきわめてまれである。身代金をしこたましぼられて、不起訴になったのである。」(p.56-58)

「昭和十五年の暮、二十四歳で中国の戦線へ応召された私は、終生忘れ得ぬ凄惨な光景に直面しました。初年兵の実戦的訓練という名目で連れ出された私たちは、八路軍という嫌疑で捕まった十人ばかりの中国人捕虜の処刑を命ぜられたのです。捕虜の背中の左肩に赤いチョークでくっきりと×を書き、「ここを突け」という命令でした。そのなかには「おれは八路兵ではない。そこの部落には父親も母親もいる。助けろとは言わぬ、もう一度調べてくれ」と叫ぶ少年もいたのです。中国語の少しわかった私は、あわれな少年の番がまわってきたとき、思わず前に出て「待ってください、八路ではない、罪がないといっています。待って下さい」と叫びましたが、命令を下したD中尉は、「きさま、血を見て逆上したな。いいか、これは憲兵隊で十分調べられて、八路とわかっているのだ。たとい一人や二人良民がまじっていたって、もう手遅れだ。この処刑は中隊長殿から命ぜられた。命令は天皇陛下の命令だ。お前は命令がどんなものであるか知っているだろう。たとい間違っていても、命令は命令だ。ことの如何を問わず命令を守らなければ、戦争はできん。わかったか。わかったらひっこめ」と落ち着きはらっていうのでした。 その少年は目かくしされ、刺し殺されました。そして突き殺される一瞬前まで、「八路でない」と叫びました。最後の言葉は「母さん」でした。声がなくなっても、肺臓は無実を訴えていました。口からプツプツと血の泡がふき出して、ゴロゴロと喉を鳴らしました。ほかの人たちは一言も発せず、従容として死についたのです。私は、引っ込んでいろ、という言葉をもっけの幸いに、とうとう手を下さずに済んだのですが、もし、中尉の気がかわって「お前もやれ」といわれたならば、とうてい逃れるわけにはいかなかったでしょう。このおそろしい恥ずべき体験で私の神経は狂い、すっかり人間が変わったといえます。」(p.106-107)

「・・・こんど生まれかわるならば、私は日本人になりたくはありません。いや、私は人間になりたくありません。牛や馬にも生まれません、人間にいじめられますから。どうしてもうまれかわらねばならないのなら、私は貝になりたいと思います。貝ならば海の深い岩にヘバリついて何の心配もありませんから。何も知らないから、悲しくも嬉しくもないし、痛くも痒くもありません。頭が痛くなることもないし、兵隊にとられることもない。戦争もない。妻や子供を心配することもないし、どうしてもうまれかわらなければならないのなら、私は貝に生まれるつもりです。・・・・・」(p.119-120)

内海愛子氏による『解説』より、一部抜粋:

「BC級戦犯たちが、匿名を使い、危険をおかしても訴えたかったのはなんだったのだろうか。戦犯裁判の不当性もあるだろう。天皇や財閥などもふくめて、戦争責任をとるべき多くの者たちが責任を逃れたこともある。天皇の軍隊への批判もある。軍隊の中で権限をもち、戦争を指導してきた将校たちが戦後もそのまま温存されていること、国民の手による戦争裁判が必要なこと、戦争を具体的に、個別的に、体験的に示さなければならないこと、戦争に参加した者が一人一人自分の戦争犯罪を語ることによって、侵略戦争の犯罪性が明らかになり、平和運動への力になることも訴えている。それぞれが自分の体験をベースにした作品のなかで、これらの問題を提起した。加藤氏もこうした動きの中心にいたのである。」(p.265)



2007/05/21

幸せ

最近の生活の中で幸せだな、生きてて良かったと思った場面をいくつか。

・ある人に「あなたと出会えて、良かったわ。あなたに命を救われているわ」と言われた時。
この女性とのかかわりの中で神様の話や宗教の話は一切しない。でも『いつかこの方が、愛について学ぶことができますように、少しでも心の傷が癒されますように』と祈ることがたびたびだった。最近、その人が『愛』と大きく書かれた絵手紙をくれた。とてもうれしかった。

・パン屋さんのおじさんに「あなたとお話しするのが楽しみなんですよ」と言われた時。
「今日は、黒パンあるかなあ~」とお店に入っていくと、「きのうは雨だったから、パンが売れなかった。昨日の黒パンならありますけど」と言ってくれた。半額の黒パンをいくつか買った。数分の会話の中で「いつやめようかと思いながら仕事をしているよ・・・」と厳しい経営について語ってくれた。そんなパン屋のおじさんに「あなたと話していると元気がわいてくる」と言われたら、特にパンを買う必要の無い時でも、お店に寄って、パンを買ってあげたくなってしまう。

・ほとんど人と口をきかない人が、1時間半会話の後「こんなに話せたんだなあ」としみじみ言ったのを聞いた時。
その人は、精神的な病をかかえながら仕事をしている。いつも自分を押さえていて『変なことを言ったら嫌われる』『余計なことを言ったら首になる』と言い、能力や経験や知識もあるのに、自分を表現しないでじっとしている。私から見ると、そんな彼はとても不自然で、辛そうだった。彼の姿を見るたびに『自分自身をすこし解放できたら、緊張感を緩めることができたら、少しは気持ちが楽になるんだろうな』と感じていた。安心した空間の中でなら、楽しい会話のできる人だと思っていた。先日そのチャンスがやってきた。二人きりの時に、話をし始めると、次から次へと出てくる知識や昔話や趣味についてのお話。生き生きしながら話している彼を見ながら、とてもうれしくなりました。数日後、彼に会うと「俺も1時間半会話できる体力があったんだなあ」とうれしそうに言っていました。

日々の生活の中で、出会う人たちや関わりのある人たちが、病気があっても、周りの人たちから理解されなくても、障害を持っていても、多数の人びとの生き方とは相当異なっていても、その人らしく生きるお手伝いをさせてもらえるとき、私はとても幸せ。

2007/05/21

Czech Girls' Choir JITRO イトロ The tour for peace 2007

土曜日に、チェコ少女合唱団イトロ・ツアー・フォー・ピース 2007 さいたま公演へ行ってきました。

・『興奮、鳴りやまなかった拍手』(Dr.ハバーレン/アメリカ合唱指導者協会会長)
・『どんなに厳しい、そして献身的な指導を以ってして、このような高い芸術性を備えた合唱団が育てられるのか』(フランケンベルガー・アルゲマイネ)
・『イトロは、アメリカの全合唱団の歌唱様式や性格を変えた』(Dr.ラオ/トロント大学)

まさに、上記のコメントを引き出すような公演でした。観客が息をするのを忘れてしまうかのような、天から降り注ぐような天使たちの歌声。

チェコ語や英語の歌に加えて、日本語の歌もすばらしい歌声で歌ってくれました。「虹よ永遠に」真実井房子原爆体験記より(詩 橋爪文)と「生ましめんかな」(詩 栗原貞子)の詩を日本語で見事に歌っていました。

「生ましめんかな」

こわれたビルディングの地下室の夜だった。

原子爆弾の負傷者たちは

ローソク1本ない暗い地下室を

うずめて、いっぱいだった。

生ぐさい血の匂い、死臭。

汗くさい人いきれ、うめきごえ

その中から不思議な声が聞こえて来た。

「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。

この地獄の底のような地下室で

今、若い女が産気づいているのだ。

マッチ1本ないくらがりで

どうしたらいいのだろう

人々は自分の痛みを忘れて気づかった。

と、「私が産婆です。私が生ませましょう」

と言ったのは

さっきまでうめいていた重傷者だ。

かくてくらがりの地獄の底で

新しい生命は生まれた。

かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。

生ましめんかな

生ましめんかな

己が命捨つとも


上記の日本語の詩も、詩人の詩に込めた思いが観客の一人ひとりの心に届けているかのように、清んだ天使たちの歌声で歌っていました。

1989年にビロード革命(無血の革命で有名)では、武力ではなく、話し合いによって自由を勝ち取った。そんな歴史を持つチェコの子供たちの歌声に乗せて世界に伝えられる日本の戦争の悲惨な様子。日本の大人が憲法9条を無くそうとしている時、日本がブッシュのアメリカの軍事経済と組んで暗黒の道を歩みだしている時、チェコの女の子たちは日本語で戦争の悲惨さを語り継いでくれている…。日本人としてとても恥ずかしかった…。小さいチェコの少女たちが、チェコで日本語の歌を練習し、国境を越えて日本まで来て、平和の大切さを伝える歌を小さな体全体で歌っている姿をみて、“平和づくり”のために何もせず、ただ椅子に座って黙って聞いている自分が情けなかった。

公演が終わってから、ひとりでも多くの日本の子供たちにイトロの歌声を聞いてほしいと思った。ひとりひとりの少女たちが自らの体から出した音で、つくりあげる“本物”の歌声にふれることによって、日本の子供たちもエネルギーをもらえるんじゃないかと思った。

さいたま公演の主催者のやどかりの里の皆さん、どうもありがとうございました。

日本での残りの公演スケジュール:5月23日(東京)、25日(愛知)、26日(大阪)
問い合わせ先:日本交響楽協会 中村 090ー9374ー0788

2007/05/20

人間が退化していると感じるとき

生活が便利になれば、なるほど、人間は退化するものなのかもしれない。

・車に乗っての移動が増えると、ほとんど歩く必要がなくなり足腰が弱くなる。

・コンピュータでキーボードをたたいて字を入力していると、ペンで字を書く必要がなくなり、漢字がかけなくなったり、手書きで字がきれいにかけなくなってくる。

・電子レンジでの自動タイマーを使った調理に慣れると、火を使って、微妙な火の加減を見ながらの料理ができなくなる。

・インターネットの検索機能に慣れてくると、その他の方法で調べることができなくなる。

・なんでも欲しいものが、欲しい時や必要な時にすぐにコンビニやインターネットなどで手に入ると、待つということが耐えられなくなる。

・添加物の入った食品や遺伝子組み換えさせられた食物をいつも口にしていると、野菜や果物や肉などが本来持つ味やうまみがわからなくなり、何が本物の食べ物なのかわからなくなる。味覚が衰える。

・人と人のコミュニケーションが、携帯メールや携帯電話で済まされるようになると、わざわざ移動したり、時間の都合をつけたりしなければならない人と人が直接顔を合わせて行う交流が億劫になってくる。

・多くのおもちゃが工場で作られ、お金を出しさえすれば何でも手に入ると、子供たちは、自分たちで作り出したいという意欲や自分たちの手で作り上げる技術が衰える。

・日常の生活で必要な物のほとんどが、工場で作られ、お店に並べられて現金で手に入れられるようになると、自然の叡智がうみ出す物のいかしかたがわからなくなる。例えば、桃の葉をせんじて皮膚の炎症を抑えたり、熱のあるときにびわの葉を使うなどなど・・・。お米のとぎ汁の活用の仕方や山菜や食べられる草の摘み方や食し方なども・・・。

・宮大工さんや昔の大工さんは、山の中に入り木々を見わたすと、何歳くらいの南にこうやって立っている木のこの部分は建物のこの部分に使うと良いと、経験的にわかり、木のそれぞれの部分の特性を最大限に建築に生かす方法を知っていたという。今は、木がどこでどんな風に育ったかなんて関係なく、工場で一律的に加工されたものを、プラモデル的に組み立てる。

考えれば、まだまだ考えつく、時代と共に退化してきている人間のありよう。

2007/05/19

日本の高校で・・・

日本での高校生活、私にとってはあまり良い思い出はない。

中学校時代の仲の良かった友達とは別れ離れ。
毎朝、毎夕の電車通学が始まった。ほとんど毎朝、息苦しいくらいの満員電車、痴漢と思われる男性に体をさわられた。気分が悪くなって失神しそうになったこともある。(貧血気味だったからかもしれないけど…。)(痴漢といえば…、怖くて声は出せなかったので、きゅっと、つねったことがある。そしたら、やめて、下を向きながら、遠ざかっていった。)

電車から降りると、駅から校門まで長い道のりがあった。痴漢にあった後は、時々、歩くのが嫌になり、学校以外のどこかへ行きたくなった。

やっと学校にたどり着くと、授業はとてもつまらない。ほとんど寝ていたような気がする。世界史の先生は中国史の話ばかりだった。化学の先生は、よく憲法や広島の原爆の話をしていた・・・など、なんとなく覚えている。

その高校は、女子生徒よりも、男子が断然多かった。男子生徒の言動は校内の活動の中で幅を利かせていた。授業中には、特に数学や物理の先生は男子生徒ばかりを指していた。「物理の勉強なんてしないよ」なんて、さらっと言う隣の男子生徒が見せてくれた物理の答案用紙には、98点と書いてあった。私の答案用紙の点数は・・・かわいそうな点数。その時、「男の脳は違うのかなあ」とまじめに考えた自分がいた。

当時、サッカー部は校内で一番大きな部活で、強かった。かわいい女子のマネージャーが、学年別に数人いた。見かけの良いマネージャーしかいなかった。かわいくない女子マネージャーは、男子部員からボールを蹴って当てられたり、嫌がらせや意地悪をされたりして、それとなくやめさせられていたという。この話を聞いたり、やめさせられて泣いていた女子学生の話を見聞きした頃から、残念ながら、男ってそんなものかぁ、と感じ始めた。

朝の電車の中では痴漢、学校ではサッカー部の男子から見かけが良くないという理由で嫌がらせされている女子生徒がちらほらいたり…、精神衛生の悪い環境の中で、何のために学校へ行くんだろうと悩んだ。こんな世界の中で、若き青春時代を送るなんて情けなく感じた。こんな世界よりも、絶対に良い世界があると自分に言い聞かせていた。

救われたのは、素敵な先輩や心ある同級生がいてくれたから。私のことを気にしてくれていた先輩は、時々、10ページ以上の手書きの手紙を手渡ししてくれた。同級生たちは、ノートを貸してくれたりした。また、夜にはクラスの子たちとみんなで一緒に飲みに行ったり。そんな人たちのおかげで、人間不信には、陥らないですんだ。その後、すぐに海外に出てしまった私は、みんなと行き来はない、どこにいるのかもわからない。

あの時は、どうもありがとう。みんなにも、いいことがありますように。

2007/05/19

最終電車の中で・・・ 「レディ・ファースト?!」

先日も最終電車での帰宅。
電車は満員。

とある駅に着いたとき、座って寝ていた男性がはっと目を覚ました。そして窓の外を見て、降りる駅だと気がついたらしく、ぱっと立った。男性がドアの前に立つと、電車のドアは閉じてしまった。でも、すぐに再度ドアが開いた。その瞬間、私ともう一人の男性が、かばんを入れてドアをひらかないようにして「降りても大丈夫よ」と言ったら、ためらっていたその人は、さっとドアを無事すり抜けた。

降りたばかりの男性が座っていた席は私の側、でもその席の前には男性がたくさん立っていた。その席には誰も座ろうとしない。最終電車の中には、疲れた人ばかりいるんだろうにと思ったので、人をかき分けて、我こそはと・・・その席に座りたいとも思わなかった。

すると、側の斜め前に立っていた東南アジアか中東の国の出身らしき男性が、私に向かって、「どうぞ、どうぞ」と、この席にどうぞ座ってくださいよと紳士的に手を席のほうへ差し伸べていた。一応遠慮して、「いいえ、どうぞ」とその男性や回りの日本人の男性に言ったけれど、誰も座わろうとしないので、ちょこっと頭を下げてから、座った。

日本での初めての「レディ・ファースト?!」らしき体験。
疲れているときは、こんな小さなことでもとてもうれしい。

でも、なんで日本人の男性は女性に席を譲らないんだろう。

時々、我こそはと女性も高齢者も子供も手で振り払い、空いている席に誰よりも早く座わろうとしている男性の姿を目にする時、日本にはレディ・ファーストという習慣は全く無いんだなと改めて思い知らされる。

(そういえば、席を譲ってもらったことが過去に一回ある。去年の夏、電車の中でのこと。ウエストの締まっていない、最高に着心地の良いジャンパースカートを着て、優先席の前に立っていたら。若い女性二人が、小さな声でこそこそと話し始めた。すると、私に「どうぞ、座ってください」と席を譲ってくれた。『あ~、ジャンパースカートを着て電車に乗っていたから、妊婦さんだと思われたんだ~』と気がついた。でも、「妊娠してません」と言うのも電車の中では、恥ずかしかったし、相手の折角の親切心をくじいても失礼かなと思い、まあいいかぁと「ありがとうございます」と言って譲ってもらった。この時は喜んでいいんだかなんだか、複雑な気持ちだった。でも、妊婦さんたちを思いやるやさしい若い女性がいるんだなと、他人事ながら、うれしくなった。私が降りた後「あの人、妊娠してなかったんじゃない。座ったとき、おなか大きくなかったよ!・・・でも席に座ったよね!?・・・まだ、そんなにおなかが大きくなってなかっただけかもしれないしねえ・・・」と会話している二人の姿も想像できる。)

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レディ・ファーストに関しては賛否両論、いろんなことを言う人がいるけれど…。由来や文化的背景は別として、性別を問わず「現代のレディ・ファースト」が内包する「譲る姿勢」は悪くないと思う。

2007/05/17

事件とおばさんたちの会話

福島県でおこってしまった悲しい事件(以下の記事)についておばさん達が話していたことを耳にしました。

「母殺した」17歳少年、頭部持ち自首
2007年05月16日13時15分
 福島県会津若松市で15日午前7時ごろ、同市の県立高校3年の男子生徒(17)が、会津若松署に「母親を殺した」と自首した。少年はカバンの中に女性の頭部を持参。自福島・会津若松市宅には頭部が切断された男子生徒の母親とみられる女性の遺体が見つかり、県警は殺人容疑で男子生徒を逮捕した。男子生徒は通学のため実家を離れて弟と2人暮らししていたが、最近では不登校気味で、精神科の専門医の治療も受けていたという。

 パーカーにジーンズという格好で警察署に現れた男子生徒。持っていた学校指定のショルダーバッグの中には人間の頭部が入っていた。

 「母親を殺した」服に血が付いたまま淡々と取り調べにも応じ「世の中からテロや戦争がなくなればいい。殺すのは誰でもよかった」「夜中に殺した」などと供述しているという。

 県警などによると生徒は15日午前1時半ごろ、自宅アパートに来ていた母親を就寝中に殺害した疑い。遺体は首から上が切断され、そばには犯行に使用したとみられる包丁のような刃物が見つかった。生徒は殺害後、会津若松署から1キロほど離れたインターネットカフェで過ごし、午前7時ごろ、電話でタクシーを呼び署に向かったという。

 生徒が通う高校は県内有数の進学校。実家は40キロほど離れた同県金山町にあるため、別の高校に通う弟とともに会津若松市にアパートを借り下宿していた。県や高校などによると男子生徒の成績は中の上。高校側は生徒の印象を「友達の中に入るのが苦手で無口」と話す。科学クラブに属していたが実質的には活動していなかった。成績は中の上。理科系クラスで進路については「国公立の大学でコンピューターの勉強をしたい」と語っていたという。

 しかし、昨年9月ごろから体調不良や片頭痛を訴え学校を休みがちになり、修学旅行にも参加しなかった。精神科の治療を受けていたといい、今月1日に受診した際、担当医は母親に「『学校に行け』などと刺激を与えないように」と告げたという。生徒は4月16日からは学校に姿を見せていなかった。

 中学時代は成績優秀でスキー、ジャンプで入賞するなど活躍していたという。金山町の実家は祖父母、両親、本人を含めた3兄弟の7人家族。父は団体職員、母は保育士で近所でも明るい家族として知られていた。近所の男性は「(生徒の)小中時代は明るかった。母親は愛情をたっぷり注ぎ常に子供をみて生活していた」と話す。母親は週に1回は、息子たちの洗濯などをしに会津若松市のアパートを訪問。殺害される前日は夕方まで勤務していた。
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以下、先日、実際に耳にした会話。

おばさんA:「怖いねえ~息子がお母さんの首を取って、頭持って出頭したというじゃない。すごい時代だね。今の若い人はどうしちゃったのかしら~」

おばさんB:「精神鑑定だってさ、そんなことする人たちは、みんな精神的に狂ってるんだから、精神鑑定なんて必要ないよ。税金の無駄遣いだわ。」

おばさんC:「精神的に異常があると、許されるのはおかしいわ。ずっと出さなきゃいいのよ。10年位するとみんな出てくるでしょ。ずっと入れておけばいいのよ。」

おばさんD:「そんな人たちはみんな死刑にすればいいのよ。死刑、死刑みんな死刑にすればいい。日本は甘いのよ。他の国では、みんなそんな人たちは死刑にして、無駄な税金は使わないわよ。日本は無駄遣いが多いのよ。」

おばさんA:「病気だからって許されるなんて信じられないわ。病気だって、病気じゃなくったって、犯罪を犯したら、それは罪。罪は罪。死刑にするべきよ。」

おばさんB・C・D:「本当よね~」

そんな会話が、40分くらい続いていた。そばで聞いていた私はぞっとした。そのおばさんたちは、子供もいる、家庭もある、専業主婦、元会社勤めの女性たち。普段はとても親切で優しくて、人当たりのよい、活動的なおばさんたちなのです。

そのおばさんたちの近くには、精神障害を持った人がいました。私はその方の気持ちを考えると、いたたまれなくなりました。

「死刑執行には反対」であり、「人間誰でも精神的に病む可能性を持っている」と考える私にとっては、そのおばさんたちの感覚がとても遠いものに感じられました。なにがその人たちのそのような価値観を育んできているのかについて知りたくなりました。

その会話を聞いて、「この社会では、一度でも精神科や心療内科へ通院したら、色眼鏡で見られ“普通の人”ではいられないのか?」「精神的におかしいとはどんなことの人たちを言っているのだろう?」「死ぬまで無傷・無垢で健康優良人間でなければ、“普通の人”として受け入れられないのか?」と考えさせられました。

睡眠障害、人格障害、摂食障害、アルコール中毒、躁うつ病、うつ病、統合失調症・・・などいろんな“病気”があるけれど、そんな病気を抱えている人たちは、程度はさまざまだろうけれど、みんな精神的に不安定になり、どこか病んでいる人たちだと思う。働きすぎで精神的に病み、死んでしまう人たちもいるこの日本の社会。病気である状態が、この社会では、多くの人たちの普通の状態・・・。

今の日本で、“健康”なのは、無事子育てを終え、高齢の親もまだ健在で介護の必要がない、または死去し介護の必要が無い、お連れ合いたちもまだまだ健康で、経済的に余裕のある暮らしを送っている“海千山千のおばさんたち”くらいなのか?

おばさんたちが、寛容になり、多様な視点で社会現象やこの世の在り様を捉え、自分たちの言動に意識的になり責任を感じ始めたら日本は変わるんだろうと思った。


なんか、ひとりごとのぼやきになってしまいました・・・。

2007/05/16

腹話術デビュー

昨日、ま~くん(人形)と一緒に隣の町の自治会館で腹話術を披露してきました。アットホームな雰囲気の部屋に小さい子供から高齢のおじいちゃんおばあちゃんまで、30~40人の方々が集っていました。自然に楽しくでき、無事に初舞台を演じられました。

今日は、高齢者の施設での披露。ベットに寝たままつれてこられ、意識が無いかあるかわからない高齢者の方々も含めて約60名のお客さんのいた大きな部屋で演じました。その場の空気に圧倒されてしまい、緊張、緊張、頭が真っ白・・・。できは、イマイチ。台本の内容も多少場違いな部分があり、事前にもう少し具体的にお客さんをイメージすることがとても大事なことであると改めて実感しました。今日の失敗の経験を次回にいかしたいと思います。

今日、一番に演じた私は、他の演者のマジックや歌や日本舞踊や南京玉簾などの演技を観客と一緒に見ていました。すると車椅子に座っている一人のおじいちゃんが「えみこ、えみこ・・・」とこっちの方に向かって何度も呼びかける大きな声が聞こえてきました。ちょっとの間、私のことじゃないと思い、聞き流していましたが、そのうち私に向かって言っているんだということに気づき、おじいちゃんの隣に衣装を着たまま行きました。そうすると「えみこ、息子はげんきか」「えみこ、今日は帰りによっていけな」「えみこ、そのスカートは素敵だよ」「えみこ、何かたべたいな」と私に言います。私は、『あ~このおじいちゃん、わたしのこと奥さんか娘さんと思っているんだ』と思いました。私の何か(雰囲気?見かけ??)が、奥さんか娘さんのそれと重なっていたのかもしれません。私は「うん、うん、うん」などと応えていました。おじいちゃんの描いているらしき世界に入り、おじいちゃんの言葉に自然に対応すると、とても安心し、満足したように演技を見始めました。

後ろから職員さんたちの「あの人、えみこさんに似てるかな?」「似てるかな?」「似てないと思うけど」という会話が聞こえてきました。

なんか不思議な気持ちになりました。
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いつか、時事批判を含めた笑いのある腹話術を演じてみたいなと思います。今のところそれが大きな目標(達成はいつになることやら??)。とりあえずの目標は、日々の基本的な発声練習、自分の歌とま~君の歌が上手に歌えるようになること、そしてその場、その場に適した台本を作ること。

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「習うより、慣れろ」

「1回のステージは100回の練習に勝る」

今日の会話の中での印象的な言葉です。

2007/05/14

SOSを発信し、助けを求める力

SOSを発信して、助けを求めることは弱いことではなくて、強いこと

痛いときには、痛いと
辛いときは、辛いと
苦しいときには、苦しいと
悲しいときには、かなしいと
さびしいときには、さびしいと
爆発しそうなときには、爆発しそうだと
逃げたいときには、逃げたいと
行きたくないときには、行きたくないと
やりたくないときには、やりたくないと
できないときには、できないと
無理なときには、無理だと
やめたいときには、やめたいと
疲れているときには、疲れていると
いらいらしているときには、いらいらしていると
くやしいときには、くやしいと
落ち込んでいるときには、落ち込んでいると
朝起きられないときには、朝起きられないと
夜眠れないときには、夜眠れないと
食べられないときには、食べられないと
薬の副作用で辛いときには、副作用で辛いと
これ以上早く走れないときには、走れないと
これ以上我慢できないときには、我慢できないと
自分がどうにかなってしまいそうなときには、何か変だと

誰かに、言えることができたら・・・。

誰か、信頼できる人、一人に「自分なんて消えてしまったほうがいいんだ・・・」と、行き場のない気持ちや思い、心の闇を受け止めてもらえることができたら。

何人の命が救われることだろう。

2007/05/14

うつ病と人身事故と電車

先日、知人が「中学生の4人に1人がうつ病だって新聞記事があったけど、すごい時代ねえ~」と話していました。それを思い出して、記事を探したら…ありました。以下の記事です。

<うつ状態>中学生の4人に1人 厚労省調査
5月10日3時4分配信 毎日新聞

 中学生の4人に1人が「うつ状態」を示す調査結果を厚生労働省の研究班(主任研究者、保坂隆・東海大医学部教授)がまとめた。調査対象者が約600人と少なく、治療が必要な患者がどの程度いるかは不明だが、子どもの自殺防止策の参考データになりそうだ。
 調査は06年8月、静岡県内の公立中学校1校の1~3年生計566人を対象に、国際的に使われている手法で実施。「生きていても仕方ないと思う」「独りぼっちの気がする」など18項目を質問し、「いつもそうだ」「ときどきそうだ」「そんなことはない」の三択から選ばせた。結果は、うつ状態、うつ状態でないのどちらかに分類される。
 すべての項目に回答した557人(男子285人、女子272人)について分析した結果、男子が20.7%の59人、女子が28.7%の78人、全体では、24.6%の137人がうつ状態を示した。
 自殺者の多くがうつ病など精神疾患にかかっており、うつ対策は自殺予防の柱。保坂教授は「いじめだけでなくさまざまな理由から子どもがうつ状態になっている可能性がある。子どもの自殺を減らすためには、担任教諭が1対1で子どもと話をするなどしてうつ状態に早く気づき、適切な対応をすることが重要だ」と話す。
 政府は自殺総合対策大綱案(素案)の中で、人材養成を重点施策の一つとしており、学校現場の担任や養護教諭らの役割も期待されている。
 国内の自殺者は警察庁の調べで、98年以降8年連続で3万人を超えている。小、中、高校でみると、05年は小学生7人、中学生66人、高校生215人に上っている。

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4人に一人の中学生がうつ状態・・・なんてことを考えながら、駅にいたら、いつものように「人身事故」の電子サインが流れている・・・。ほとんど毎日見ている「人身事故のため・・・・」のサイン。見ても「まただ・・・」と、怪我をしても、死んでも、実際には誰も痛くもかゆくもない映画の中の出来事であるかのような感覚に襲われる。本当は誰かが、どこかで、今、事故にあっているのに、自殺かもしれないのに。

もう、20年くらい前になるけれど、最寄の駅で小学生の飛び降り自殺直後の現場を見たことがある。私は電車に乗っていた。反対側のホームから飛び降りたらしい。その子をひき殺したのは、幸い私の乗っていた電車ではなかった。制服を着た男性たち(駅員?警察官?)が黒いビニールを持ち、子供の黄色い帽子、習い事の鞄などを拾っているのが、急停止したままの電車の中から、見えた。線路の向こうに、その子のはいていただろう子供靴が、ひとつあったのが今でも忘れられない。夕方の、地元の駅での出来事だったので、次の日の朝刊に載るかなと思っていたら、何も記されていなかったのを覚えている。

それ以来、電車に揺られているとき、忘れたころに、誰かをひき殺している電車に乗っているんだろうなと、ふと恐ろしい思いに駆られることがある。そんなときは、これだけ人身事故の多い今の世の中、殺していない電車なんてないんだろうから、そんなこと考えてもしょうがないよ、電車だけじゃなく、車に乗っていれば、交通事故もあるし・・・と自分に言い聞かせてはいるけれど・・・。

2007/05/14

沖縄の風

東京で医療関係者として働いてきている50代の末期がんの女性がいる。彼女は、沖縄生まれ、沖縄育ち。今、沖縄から兄弟や親類がみんな東京に集まり、彼女を沖縄に連れて帰ろうとしている。

お姉さんは「こんな空も緑もない東京にいたら妹は死んでしまう!」「昨夜、沖縄で蛍を見ました・・・沖縄に戻って目の前に広がる海を見て、沖縄の風にあたれば、妹は絶対に生き延びる」と、淡々と語っていました。絶対に東京で彼女を死なせない、生まれ故郷に絶対に連れて帰るという強い気持ちが伝わってきました。

先日、やっと沖縄に戻ることに納得しました。東京にいると仕事、仕事、仕事。家族の人たちは彼女の静養にとっては、たくさんの親戚や家族がいる生まれ育った沖縄が一番だと判断したようです。

無事、沖縄に戻ることができますように。
また、沖縄に戻ってエネルギーを蓄え、免疫力を高めることができますように。

ただ、もう家族以外の誰とも面会していないくらいの深刻な状況です・・・。東京は彼女が選んだ地。彼女が最後まで東京にいたいと思えば、飛行機に乗る前に運命がそう判断するんだと思う。

2007/05/12

私の消費行動‐心がけていること

パンを買うときは、近所のパン屋さんで買う。初代のお父さんが、パン作りをはじめてから約60年たっているという。数ヶ月前まで、90歳近いおばあちゃんが店番をしていた。私はそこで卵パンと黒パンをよく買う。パン屋の叔父さんとは顔なじみ。他のお客さんのいないときは、時々お話しをする。いつも朝3時に起きてパンをつくっているという。

布を買うときは、日暮里の繊維街に行く(地元には布屋が無い)。ちりめん屋さんがお気に入り。年配のご夫婦が二人で経営しているらしい。わたしが素敵なちりめんを眺めていると、外から他の人が入ってきて「あそこも倒産しちゃったよ。先週は○○さんのお店が廃業だし・・・。みんな大変だよ・・・」と世間話をしていた。それを聞いた私は、個人商店で買えるものはできるだけ、大手のチェーン店で買うのではなく、個人の小さなお店で買おうと改めて思った。

外食をするときは、外食のチェーン店で食事をするのではなく。個人経営の小さなお店でする。仕入れから、仕込から、調理から、会計からすべて顔の見える人にふれることのできるお店で食したいと心がけている。

花を買うときは、近所の友人の親戚が経営しているお花屋さんで買う。
大企業化した花屋さんでは、お花は買わない。

お茶を買うときは、同級生の友人の実家でやっているお茶屋さんで買う。

本を買うときは、昔からある、粋な女性が経営している本屋で買う。今、その本屋の店頭には、「野菜を食べて美しくなろう!」と書いた大きな紙が張ってあり、野菜の調理本や野菜の育て方の本や自給自足の生活についての本等が並べてある。そのおばさんは9条の会の活動に熱心で、地域にある障害者の支援センターにも協力的。

食材を買うときは、近所のスーパーで買っている・・・。この辺にはもう、八百屋も、魚屋も、肉屋も、牛乳屋も、豆腐屋も、乾物屋も、何も無い・・・。

通勤にはJR東日本の電車を使うしかない。使うたびに、あの新宿の南口にあるJR東日本の本社を潤しているかと想像すると、電車を使って通勤するのが嫌になってくる。けれども、今のところ、市内で仕事を探して、電車に乗らないようにすることの他に、選択肢が無いのだから、しょうがないと自分に言い聞かせながら、JR東日本を利用して通勤する。

駅ナカのお店では意識的に、お金を使わないようにしている。

できるだけ市内の個人商店で買い物をするように心がけている。

もちろん、私も誘惑に負けて…、駅ナカのお店や大きなチェーン店で、お金を使うこともある。でも、日々、上記のようなことを意識的に心がけていると、お金を無意識に使う消費行動とは、一味違う自分なりの消費行動をするようになる。みんなが意識し始めたら、大企業や本社の多い東京ばかりに貢献している消費行動とは異なるお金の使い方を模索する人も増えるのだと思う。世のお金の流れが大きく変わってくるだろう。大企業ばかりに垂れ流しされるようなお金の流れに変化が出てくれば、世の中も、よい方向に変わってくると思う。そんな世の中を夢見つつ…。

2007/05/11

援助交際

先日、夕方に新宿へ行った。あるものを探していたのだけれど、地元にあるいろいろなお店を見てもなかったので、新宿まで足をのばした。

すると店、店、店には、人、人、人、人、もの、もの、もの、もの・・・。たくさんの消費者が死んだ獲物をあさるかのように陳列されている商品を手にとって見たり、とっかえひっかえ試着したりしていた。

私も人ごみの中に入り、商品を手にしてみると、千円台のものはほとんどない。いいなあと思うものは、2万円、3万円~する。あ~これじゃ、お財布と相談しないと…と思いつつ複雑な思いで、岐路に着いた。


いろんなお店を眺めながら、気に入る品を手に入れようと一生懸命になって、きらびやかな物を手にしている人たち(ほとんどの人は若い女性)を見ながら、これじゃあ、援助交際したくなる若い女性がいても不思議はないなあと、ふと思ってしまいました。見回せば、きらびやかな物、物、物、有り余る物、でもそれを自分の物にするためには「お金」が必要。

学生や若い女性が仕事をして、平均的にどのくらいの収入があるのか、よくわからないけれど…。例えば、学生が時給800円の仕事を週20時間すると、1週間で1万6千円の収入となる。2万円のものを買うとすると、1週間働いたお金では、足らない…。でも、周りの女性の持っているものを見ると、5万円以上しそうなブランド品をひとつといわず身につけている…。どこにそんなお金があるんだろうとふと不思議になる。裕福な親に育てられ、たいそうなお小遣いを毎月もらっていたら、そのお金で高価なものが買えるんだろうけれど…(でも、欲しいものを何でも買っていたら、いくらあってもお金は足りない…。)もし、月々のお小遣いもたいしたことなく、文具品や日用品や洋服代や交通費や時々の外食代に消えてしまうくらいのお金“しか”もらっていなければ、私が見た光景の中にいた女性たちは・・・。

日々の生活の中では倹約をして、本当に欲しいものを手に入れるために貯金をしている人もいるんだろう。

また、仕事をしている男性と付き合っている学生は、お金に余裕のある男性にプレゼントしてもらっている人もいるんだろう(そういえば、男性がサラ金から借金して、彼女に高価なものをプレゼントという話も実際に聞いたことがある。お金や高価な物で女を釣ろうとする男性も男性…。自作の詩や歌やこの世にひとつという心のこもった手作りのものなどをあげたり、思いやる行動をとったほうが、よっぽど価値があると思うけれど…)。

クレジットカードで、高価なものを買い、分割払いをする人もいるんだろう。

できるだけ時給の高い仕事について、めいいっぱい働いて現金を稼いでいる人もいるんだろう。

いろんな可能性はある…。

でも、自尊心が落ちていて、男性を信じられなくて、さびしくて、周りの友達が高価なものをたくさん持っていて、持っていない自分は馬鹿にされ、仲間はずれにされ、自分も欲しい物はなんでも手に入れたい、でも、まともに、まじめに働いていたのでは、買えないという時…。好きでもない男性や互いのプライベートな部分(名前等も含め)には関心を持たない男性と交際して、欲しいものを手に入れたり、一回3万円~5万円等を得たり、お小遣いに○万円もらったりなど…する人が、いてもおかしくないよなあとふと思った。

物に溢れた社会、人間の感覚を麻痺させるようなどこか狂った消費社会は、「正気なときには」理解しがたい行動を人に強いることもあるんだろう。

男女問わず、援助交際をする人の理由は、お金に限らず、さまざまだろうと思う。理由はなんであれ、できることならお互いに傷つけあって欲しくない、周りにいる人たちを傷つけて欲しくない、と願ってしまう…。

2007/05/09

悲しいニュース

今日、近所の歯医者さんを経営していた歯科医のおじさんが脳卒中で突然に亡くなった。彼はまだ50代後半だったと思う。奥さんも歯科医だけれど、一人での経営は無理だと言っていた。葬儀が終わり次第廃業すると言う。もう何年も前に、そのご夫婦の小学生の息子さんは自殺をした。また、もう一人、大切な人を失った奥さん・・・。どうか心やすらかに生活することができますように、お祈りしています。

それから…。今日、近所の古くからある和菓子屋さんのご夫婦も救急車で運ばれた。息子さんと親御さんが喧嘩し、みんなが血まみれになってしまったと言う。どうか適切な手当てが施され、早くよくなって退院できますように。この辺りの老舗の和菓子屋さんは、和菓子作りの職人さんが高齢になり、次々と廃業、廃業、廃業。そんな状況の中で、今日、不幸のあった和菓子屋さんのおばさんは「忙しいのはうれしいけど、でもこんなに忙しいのも…」といつも口癖のように言っていた。いろいろ大変だったんだろう…。

最近、幼馴染のお父さんが認知症になってしまい、家族が大変だという。その家はお弁当屋さんをやっていた。多くの近所のおばさんを雇用していて、叔父さんを中心として手作り弁当を作っていた。昨年、癌だということがわかり、入院して手術。何とか命は取り留めた。それを機に、お弁当屋さんを閉じて、静養することにした。そうすると、あっという間に、「なんか変?!」という行動がみられるようになったとのこと。叔父さんは料理が上手なので一日中何かしら作っていると言う。でも、食べたことを忘れてしまうので、際限なく食べているらしい。先日、叔父さんと会った祖母は、「ほとんど表情がなく、私のこともわからなかったみたい」と言っていた。まだ、叔父さんはまだ60代初め…。

そして、数年前に大企業を退職した近所の叔父さん。退職後、奥さんに離婚届けを突きつけられ、裁判に裁判を重ね、去年離婚。先月、医師から癌だと診断された。勤め先では、取締役だったという。命をかけて仕事をしていたかのような働き方をしていたらしく、家族は全く家族らしいことをしたことがなかったと言っていた。彼は、今、もぬけの殻のような人間になってしまっている。顔色もよくないし・・・。健康的な生活をしているようには見えない。心配、心配。

最近、頻繁に、若い人たち、50代、60代男性の癌や脳卒中や認知症や自殺の話を耳にする。そうかと思えば、元気で長生きしている80代、90代の女性が少なからず周りにいる(これは何より!)。でも、ちょっと順番が・・・。どうしたものだろう。

2007/05/05

ま~くんの紹介

普段着のま~くん(腹話術 Ventriloquismの人形)
20070505005012


85歳の腹話術の先生に作っていただいたお人形。一緒にいると本当の子供のように愛着が沸いてきます。

先日、ま~くんに着せる舞台衣装を探しに行きました。普通のお店に行って子供服の値段を見てびっくり。小さい洋服なのにとても高価なので、古着屋さんへ直行。ま~くんを連れて行ったら子供たちが寄ってきた。

まだまだ、へたっぴな私、もっとうまくしゃべれるようにならないとま~くんが可愛そう。恥ずかしがって、遠慮がちに話す私は、先生に『人間恥をかくことを恐れたら何もできない』と繰り返し言われています。がんばろうっと。

ま~くんの衣装を見つけた後、自分の衣装でも探しに行こうかなと普段行かないような変わったお店へ行きました。そうするとやはりお店の人も風変わり。一人の男性はとあるアジアの国で国会議員をしていたという高齢のおじいちゃん。顔を見るだけで、その人がどんな人かわかるという話をしてくれました。「あなたはもっと体の線の出る服を着たほうがいいよ、良いものは隠すんじゃなくて強調するべきだよ。あなたみたいな考えは古い。今の人は下着か洋服かわからない服を着て外を歩いているくらいだ」と、できるだけからだの線を隠したいので、あえてそんな服を選んでいる私に言う。「あなたは美人じゃないけど、心は美人だ。素敵な心を持っている。だんなさんがうらやましい。男の人はあなたのような人と一緒になると幸せだ。だんなさんにとても大切にされるよ…」などといろいろ言っていました。(やっぱり人は見ただけではわからないんだなあと思いつつ未婚者の私は聞いていました。本当だとしても…やっぱり、女性に美人じゃないとはいわないほうがいいよ!洋服が売れなくなるよ~)

もう一軒のお店には、7人くらいの精神障害者の人たちと一緒に住んでいて、障害者を雇用していると話している日本人の女性経営者がいた。その人は、人に近づくだけで、何を食べて生活しているかわかるという。また、オーラも見えるという。「普段はお客さんにはこんなこと話さないんだけどね」といいながら一時間近くお話していた。特に、急いでいなかった私は、お話に聞き入ってしまいました。いろんなお話を聞かせてもらいました。最後に「今、精神障害者で薬を5ミリ飲んでいる子が働いているから、会っていってよ」と言われたので・・・近くにあるもうひとつのお店へ(彼女は都内の一等地に二店舗経営している)。頼りになりそうな、落ち着いた女性だった。ニコッとして、自己紹介をした。「障害者」のほうがよほど「健常者」に見えた。このお店は半年前くらいから、気になっていた店。お店の中は物品が山のようになって置かれている。でも、低額で珍しいものも置いてあるので、ついつい、何か面白いもの、あるかなあと足を運んでしまう。おばさんの様子などで、ちょっと気にかかったこともあるけれど、病院などの隔離されていて、人の行き来がなくて、人の目にふれないころではなく、地域にあり、開かれている場なので、…それが安心。

世の中には、いろんな人がいて面白い。

2007/05/04

平和

平和ってなに?
平和といえば、その反対の戦争という言葉が頭に浮かんでくる。
戦争というと、武器を使って戦い、傷つけあい、殺しあうイメージがあるけれど。平和といって、浮かんでくるイメージはなんだろう?

第二次大戦後、日本では平和が続き、人々は平和ボケして、平和の大切さがわからなくなったともいわれる。武力による血の流し合いや互いを人と扱わない戦争は、国内ではなかったけれど、平和はあったんだろうかとふと思う。平和って、戦争の無い状態なのか。それとも平和って、平和の持つ「何か」がある状態なのか。

薬も手に入る、食べ物も手に入る、家族が一緒にいられる、爆弾がいつ落ちてくるかの心配も無い、どこかに埋めてあるだろう地雷を踏む心配も無い、自宅が軍隊に占領される心配も無い・・・そんな状態が平和なんだろうか。

戦後、「平和」な日本では、多くの人たちが、消費活動に励み、学歴社会の中で上へ上へと上ろうとし、安定を求めて大企業にどうにか入社しようともがき、多大な住宅ローンを支払いながら、ありのように働き、企業に滅私奉公し、大企業の利益や目先の利便性などを優先し自然を破壊する公害が広まった…。それが平和なんだろうか。

それとも、海岸を恋人と散歩して、海の向こうにある世界について想像しあってみたり、これからの夢を語り合ってみたり。子供の寝顔を見て、今日も一日無事に終わりました、平和な生活をありがとうと感謝してみたり。スポーツ観戦に行ったり、音楽会へ行ったり、温泉に入ってゆっくりしたり。テニスをやって汗を流したり、ダンスを踊ってみたり。新緑の季節に芽吹いてくる木々に新たなエネルギーを与えられ、心新たにしたり・・・。そんなひとつひとつの幸せに満たされた瞬間の集積された状態が平和なんだろうか。または、そんな瞬間を得ることを可能とする状態が平和なんだろうか。

平和といったときに、明確なイメージが浮かんでこない。自分のさびしい想像力に幻滅しそう。

******************
今、私にとっての平和って?と問われたら…。

人が「その人らしく生きる」ことを励まし、それを支え合える環境があること。人だけじゃなく、生きるものすべてが、与えられた生命を全うすることを支え合える環境があること。

2007/05/03

手仕事

ここ数日、古布をつかい、紐をつくっている。
つかっている古布は、近所のおばあちゃんからいただいた着物の布。ここ数年、そのおばあちゃんは、表情がなく、挨拶をしてもぼーっとしている感じだったとのこと。認知症の傾向が出ていたんだろうかとも思う…。お連れ合いが、おばあちゃんと一緒にうちに来て、「ごみのようなものだけど、家内が大切に使っていた布です。どうぞ使ってください」と、古布のはぎれを二つの紙袋にいっぱいにして持ってきてくれた。(布は最高のプレゼント。どこかで、ごみのようにあつかわれている、特に着物のはぎれのことを考えるととても残念。とてももったいない。ごみになるくらいなら、ここに来ればいかされるのになあと、残念に思う。)若い頃、女性のことなどで、おばあちゃんに苦労をかけたというお連れ合いは、家で食事を作ったり、おばあちゃんに洋服を着せてあげたり、お化粧をする手伝いをしたりしていた。最近、おばあちゃんを見かけない。もしかしたら・・・どこかの高齢者の施設に入ってしまったのかもしれない。

そんなおばあちゃんの大事にしていた古布に思いを寄せつつ、紐を作っている。そんな時間は、私にとって至福のとき。布を見ていると、おばあちゃんがどれだけ大切にしていたかが良くわかる。ほころびて、穴の開いた部分は、あて布をつけてちゃんと綺麗に縫ってある。そんな布たちに囲まれていると、どんな小さいはぎれも捨てられない。どんな風に、何に使えるかな?と考える。

紐をつくっていると、日本には紐の文化があるんだなと気づかさせられる。着物を着るには紐は必需品。そういえば、西洋はボタンの文化で、日本は紐の文化というのを聞いたことがある。

今、作っている紐は着物の帯紐になるかのような紐(すてきな着物のはぎれをつかうと、私でもそれなりの紐ができるみたい。)でも、日常生活では、着物を着る習慣は無いので、細紐を使って、ネックレスや小物やタペストリーやのれんをつくることになりそう。一本一本個性や癖のある紐たち。とってもかわいい。それぞれの個性やくせをいかして、何かをつくろう。

2007/05/02

『われらはみな、アイヒマンの息子』

『われらはみな、アイヒマンの息子』(著:ギュンター・アンダース 訳:岩淵達治 解説:高橋哲哉 晶文社 2007)

この書は、アンダースが、ユダヤ人虐殺で裁かれたナチス官僚アイヒマンの息子、クラウスに宛てた二通の公開書簡からなりたっています。

全世界が画一化された機械に化していることを案じている著者の危機感がひしひしと伝わってくる本です。

「ナチスドイツのユダヤ人大虐殺の責任者と目されたアドルフ・アイヒマン。本書は、その息子クラウスにあてた哲学者の公開書簡である。 今日、世界中が最大の成果と効率をめざし、人々は経済活動に駆り立てられている世界がひとつの『機械』になるとき、人間は機械の『部品』となり、良心の欠如は宿命だろう。 かつてアイヒマンは、『自分は職務を忠実に果たしただけだ』と言った。はたしてわれわれにアイヒマン的世界から脱け出すチャンスはあるのだろうか? だれもが『アイヒマン』になりうる不透明な時代に輝きを放つ、生涯をかけた思索」(カバーより)

「ユダヤ人の絶滅収容所への移送も事務仕事だった。知覚想像力衰弱し、良心の欠落する現代の『アイヒマン』たち。新たな全体主義の到来とそのメカニズムを予告する二つの公開書簡。」(帯より)

組織は決して巨大化させてはいけないものだと痛感させられます。身の丈サイズの組織、目の行き届く、手の届くサイズの組織を維持することの重要性が具体的な例を通して伝わってきました。イタリアの社会的協同組合の中には、組織会員数の上限が規定されているものもあると聞いています。ひとつの組織を大きくするのではなく、一定のサイズに達したとき、アメーバ的に独立し小さい規模の活動が増えることを期待するそうです。組織や企業のサイズを抑えるという利点について改めて考えさせられます。

私たちの行動が巨大化されればされるほど、私たちの感覚が麻痺し、冷酷になっていくと著者は述べています。

「十人が殺害された話ならばたぶん、まだどうにかして感じ取れても、六百万の死者は私たちにはただの数字でしかないのです。・・・」(p.45)

生産過程が複雑化し、事務作業が間接化し、巨大化すればするほど、私たちはその過程や結果から、阻害されていきます。自分の行為の結果を自分の招いた結果だということを想像する力を失っていきます。

そして、巨大な作業の一部の担い手としてまじめに働き続け、その全体としてのメカニズムや最終的な結果についての関心を少しずつ失っていきます。自分の担っている細分化された仕事や専門化された仕事の持つ意味、自分の仕事が全体的に何をもたらすのかを想像する力、それを感じ取る知覚までも鈍くなっていき、見えなくなるものがますます増えていきます。

著者は、「…今日、多すぎるほどの(政治的、管理的、ビジネス的、技術的な)機構や機械が存在する…」と述べています。もうすでに、「全世界が機械になってしまうという状態がすでに設定されている…」(p.75)とも記しています。

「・・・際限のなさが要求する『ともに機械になること』にしたがわないような世界のいかなる部分も、無価値で無用なものとして片づけられてしまいます。あるいは奉仕能力がなかったり、労働意欲をもたずにただぶらぶらしていたがる者、それによって機械帝国の拡大を妨害すると脅す者は排除され、屑として抹殺されてしまいます。・・・」(p.77-78)

機械化していく世界を身近で感じるとき、人間を含めて自然発生的に生まれたものを破壊していく私たちの傲慢さ、おろかさ、『わかっているけれど、やめられない』人間の怠慢が及ぼす結果の大きさに鳥肌が立ってしまう・・・。

<機械化された社会で部品になって生きるのではなく、人が人でいられる社会に生きたい>

機械に寄り添うのではなく、
人に寄り添う

お金に寄り添うのではなく、
自然に寄り添う

下を見れば大地があり、上を見れば大きな青い空がある
前を向けば子供たちがいて、後ろを向けばおじいちゃんおばあちゃんがいる
右を向けば女性たちがいて、左を向けば男性たちがいる

人を必要としてくれる人たちがいる限り、人は人として生きている
土を必要としてくれる植物がある限り、土は土として生きている
互いを必要として成り立っている自然の循環がある限り、私たちは生きていける

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2007/05/02

『目が見えるようになり、話せるようになりました』

戦争のために、したくもない訓練をさせられ、上からの命令に背いて、頭を何度も鉄棒で殴られ、失神し、・・・そして拒食症になってしまった人がいます。(したくないことを強要され、生きたいという本能が奪われれば・・・拒食症になるのは普通のことだと思う。)兵士として使い物にならなくなった彼は、精神病院に送られ、精神分裂病と病名が与えられました。

彼は、人を一人も殺さず、一人も傷つけず、終戦を迎えました。人間としてとても立派な方であり、私の尊敬する素敵な男性です。平和主義者な彼はとても紳士的でもあります。今、84歳くらいです。

現在は、地域で生活していますが、30年以上の間、精神病院に入院していました。入院していた頃は、週に三度、繰り返し繰り返し電気ショックの治療を受けていたそうです。また、患者さんが他の患者さんを電気ショック治療の部屋に運び、床に寝かせたそうです。そして治療の終えた患者さんを部屋に運びなおしたのも患者さん同士だったそうです。そんな60年以上も前のことをひとつひとつ丁寧に、過去をほどくようにして話してくれます。『許しがたいだろう過去』を淡々と穏やかに語る彼の話は、私にとって宝石以上、いいえ、宝石や高価なものとは比べ物のならないほどの価値のあるものです。彼の顔を見るたびに「生きていてくれてありがとう」と心から思います。

先日、彼は『最近、目が見えるようになり、こうやって話せるようになりました』と言っていました。緊張感や不安感が薄れると、人間は人の顔を見るようになるのでしょう。安心していられる場で安心して話せる人たちを得ると、話せるようになるのでしょう。身体的にはもう老いていてもおかしくない年齢であるにもかかわらず、ますます目が見え、いろいろな人たちと自然に会話ができるようになってきているようです。

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好きな言葉:"Differences are not a threat, but a treasure" by Jean Vanier (ジャン・バニエは、尊敬する人の一人です)

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