るるどの覚書

全く私的な独り言から、素朴な疑問や社会的な関心ごとまで、北欧での生活の中で感じたり、思ったり、考えたことの覚書ブログ。気軽にコメントして下さると嬉しいです。

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2007/03/31

「嘘がほんとで、ほんとが嘘で」

最近、特に感じること。

毎朝、新聞に目を通すたびに、「何が本当で、何が嘘だかわからない」と感じる。この記事の向こうには何があるんだろう、何が隠されているんだろうと思いつつ読んでると、読んでいる内容が頭の中に入っていかない。そのほうがいいのかもしれないとも思う。すべてが事実として、素直に吸収してしまうことのほうが怖い。

“客観的事実”だけでなく、ひとりひとりの気持ちや考えていること、利害関係や立場を超越した個人の主観的な見解について知りたい、聞きたいと強く思うことが度々ある。事件やいじめや司法に直接的に関わる当事者の声が聞きたい。物事の起きている背景をさまざまな側面から捉えた情報が欲しい。誰が研究費をいくらもらって研究していると知っても、どこの裁判所でどんな判決が出たと知っても、過去に起きたことが隠蔽されていたと知っても…なんか雲の上の出来事についての記事を読んでいる気持ちになる。なぜだろう。

世の中の出来事が、どこか遠いところで、自分の手の届かないところで起こっている…そんな気持ちになることが多い今日この頃。気分が滅入る。
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そのとき、そのときの感覚を大事にしていきたい。

「あれっ?」「おやっ?」「えっ?」っという異和感を抱ける自分の感覚を大事にしていきたいと思う。

「これでいいの?」「こんなんでいいの?」という疑問の抱ける自分の気持ちを大事にしていきたいと思う。

「でも、何が私にできるんだろう」と無力感と絶望的な気持ちにふっと襲われる。

「自分には直接関係なく、すべて遠いところの出来事」と目をつぶり、心を閉じ、思考を停止させ、世の中のことは他人事と捉え、周囲で起こっている出来事に対して無関心になれば…。そのほうが、とりあえずの目の前にあることをやりつつ、日常生活を送っていくうえでは、楽になるんだろうかと考えたりもする。

物事の本質を示すことよりも、はったりでその場をしのぐことばかりが優先され、「生産性」のないものは淘汰され、”世界の金融戦争の中で生き残れる「生産性」を産み出すもの”が生き残るべきだと考えられ、そんな変な世の中に翻弄させられることなく、数字や人のつくったルールで、周辺で起きている出来事を裁き、割り切った態度で対応し、クールに振舞える人たちが幅を利かせていく今の世の中。

そんな世の中を“私”は好きじゃない。好きになりたいとも思わない。できることなら脱出したい。
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「嘘がほんとで、ほんとが嘘で」ということばかりが目についてしまう。今の世の中、何がなんだか、わからなくなってきた。
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2007/03/27

『こうちゃん』

須賀敦子さんの作品のひとつに『こうちゃん』があります。

「あなたは こうちゃんに あったことが ありますか。」という書き出しではじまる作品です。

誰もが心の中に、多かれ、少なかれ“こうちゃん”を“持っている”ような気がします。

そのお話の中で、特に惹かれる部分があります。

「その夜、仕事がおわってから わたしは ある哲学者にあいました。そのひとは、なんさつも むづかしいことばの ぎっしりつまった本をかいた人でした。用件をおえて 私がかえろうとしていると、そのせんせいは、さて きかせたいことがあるというように、さいきん こうちゃんに会ったはなしをしはじめたのです。『こうちゃんという存在はおもしろい。俺は何時間にもわたって議論してみたが、ことごとく俺の意見に賛成しておった。』こう云って、このゆうめいな哲学者は 満足げにわらうのでした。 

暗い道を疲れはててゆく私の心は、けれどなにかくしゃくしゃに なったようなかんじでした。

こうちゃんとあの哲学者というかんけいがどうしても腑におちぬようなきもちだったからです。存在、議論、意見、賛成、どれひとつをとってみても、およそこうちゃんとは えんのないことばのようにおもえたからです。こうちゃん、あなたは もうわたしにはわからぬ、ずっととおくのほうへ行ってしまったのだろうか。こうちゃん、とうとう あなたまであのむづかしいことばの世界にのみこまれてしまったのだろうか。私は泣きだしそうなつらい気持ちで つめたい夜のなかを ひとりあるいてゆきました。

・・・そんなに あるきつづけたのです。もう町はとうのむかしに すぎてしまって、とうとう野のはての地平線が うっすらと乳いろにあかるんできました。ふとみると、わたしのすぐまえをこうちゃんのさびしい影が ひとりあるいてゆきます。よっぴて歩いていたらしく、気のせいか、足をひきずるようにしているのです、なにか、たまらないきもちで うしろから、『こうちゃん』とよびかけると、私の胸むねにとびこむようにかけてきて、なきじゃくっていうのでした。

『だって あんまり じょうづにしゃべるんだもの。ぼくなにも云えなかったんだ。』

こうちゃん、それでも わたしたちは まだちからを出して 地にひざまづき、あかるくもえる炎の小花をつまねばならぬのではないだろうかと、あの濡れた 霧のよあけ、泣きじゃくるあなたのあたたかさをみにかんじながら、私には、はっきりと そう思えたのでした。」

追悼特集 須賀敦子~霧のむこうに(KAWADE夢ムック 文藝別冊1998年)(p.59-60)

2007/03/21

あなたの一票、あなたの一円、あなたの行動

選挙会場で、あなたが入れる一票
買い物する場で、あなたの払う一円
宇宙の中で、そして地球上で、資源を循環させる使者でもある一人ひとりの人間の行動

ひとつひとつを見ると、たいした影響力もなさそう。
でも小さなひとつひとつの積み重ねが、この世の流れをつくっているんだろう。

2007/03/19

大手流通業社の元役員の話より

イオンなどの大手企業が地方の郊外へ進出するときには、地元の商店街や商工会議所の人たちを集めて会合を開くという。ある大手企業の役員だった方の話では、どこで開かれる会合でも、最後は「共存共栄です!共にがんばりましょう。共存共栄です!」と言いながら、愛想良く一人一人に、両手で硬く握手をして、挨拶して回っていたという。いつも心の中では、「共存共栄」という自分の言葉が大嘘だということはわかっていたと言う。個人消費者の動きやお金がモールのような郊外の大店舗に流れれば、まちの商店街が寂れ、個人商店がつぶれていくのは時間の問題だということは目をつぶっていても、寝ていてもわかることだと言っていた。でも、退職するまで、会社のためにやっていたと話していた。また、店舗を誘致するために土地を買収しようとして、地元のやくざや不動産屋とのいざこざがあり、会社のために留置所にまで入ったこともある。大嘘をつくたびに血を吐き、胃に穴をあけ、やくざとの関係でも危険な状況に置かれ、今、まだ生きていることが奇跡であるかのようなことばかりしてきたと言う。家族さえ生き残ってくれれば、自分はどうなってもよいという覚悟だったと言う。

今は退職して、自適悠々な生活を送っている。株主としての株の配当金も相当あるとのこと。

その方の家族は、ダイエーやイトーヨーカドーやイオンなどの店では一切買い物をしない。食べるのは自分の大きな家庭菜園で作る無農薬無化学肥料の野菜を使った家庭の手料理。または高級料亭で食す。着る物は、お連れ合いが手織りで織った布を専属の仕立て屋さんにオーダーメイドで作ってもらっている。子供たちには地の利の良い住宅地にりっぱな家を建て与え、少なくない数の孫たちの教育費も全額支払っている。連休には、大家族でリゾート地へ行き、高級ホテルや旅館などに滞在し、かかる費用はもちろん親持ち。「そのくらいやってやらなきゃ。できることはそのくらいしかないからな」と苦笑しながら言っている。

個人的にはとてもいい人だけれど・・・・、腑に落ちないところがある。日本各地で、まちの商店街が次々にシャッター通りとなり、小回りのきく親切な個人商店がどんどん倒産する様子を見聞きして、どんな気持ちになるのだろう。

2007/03/18

「慰安婦」だった私

『文玉珠(ムンオクチュ) ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私』(1996年 梨の木舎) 

語り:文玉珠  
構成と解説:森川万智子

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『まえがき』に、森川さんは次のように書いています。

「・・・ある雑誌に載った記事を読んだ私は、思わず声を上げてしまいました。ムン・オクチュさんが「ビルマで軍事郵便貯金をしていた。その貯金の本社は下関郵便局だった」と語っていたからです。私はその下関郵便局で十六年間働いていたことがあり、元日本兵への軍事郵便貯金支払いに携わった経験もあったのです。・・・。
・・・防衛庁戦史室が編纂した『戦史叢書』のビルマ関連の数冊をめくってみると、ムン・オクチュさんが話したのとまったく同じに楯師団が転戦している記述に出会い、驚いてしまいました。でも、そこには慰安婦は一人も登場していませんでした。これは私が書くしかないと思いました。一九九三年九月、大邸に行って彼女にそのことを申し出ました。・・・。
・・・それから二年余りテープレコーダーをまわしては少しずつ書き進めたのが本書です。」

そんな前書きから始まり、ムン・オクチュさんの語り、森川さんによる解説、年表、参考文献、資料、あとがきで、全212ページの本となっています。

28ページの『憲兵に呼び止められて』という小見出し以下の部分には、「翌朝、わたしと少女は大邸駅から汽車に乗せられた。別の日本人憲兵と朝鮮人刑事に引き渡された。どこに連れて行かれるのかわからなかったが・・・釜山の方向ではなく、北に向かっていることはわかった。途中、食事をするときも、洗面所に行くときも、二人はわたしたちについてきて監視していた。・・・」

そして、30ページの『慰安婦にさせられた、オクチュ16歳』(小見出し)以下には、「わたしたち二人も男の相手をしなければならなくなった。毎日泣いた。泣いても泣いても男はきた。毎日二十人から三十人ほどの日本人の兵隊がきた。客は日本の兵隊や憲兵たちだけだった。・・・・。軍人たちは切符をもってきた。切符の値段がいくらだったのかはわからない。赤い線が二本、ななめにはいっている切符で、四角い判子が押してあった。それを貯めておくと、一週間に一度、軍人が記録しにきた。朝鮮に帰ったら金を払うからといわれていたので、わたしは一生懸命切符を貯めた。・・・・。軍医が一週間に一度きて性病検査をした。病気にならないために受けなさい、と説明されたので、恥ずかしい検査だったけれどすすんで受けた。・・・・。十人中五、六人は具合が悪く、三日から一週間ほどは休まなければならなかった。病気だという印は医者からもらう木札で、それには赤い字で「立入禁止」と書かれていた。・・・・。月経のときさえ休むことはできなかった。吸水力のよい脱脂綿を膣に詰めて客をとった。終わった後は大急ぎで洗浄して、また綿を詰めた。消毒液を使って、私はきれいに洗浄した。・・・・。」

「・・・そうこうしているうちに、わたしは慰安婦の生活に慣れてきた。軍人たちは、こちらがやさしく接すれば、やさしくしてくれることがわかった。日本の歌をうたえば喜ぶ軍人が多いことも知った。・・・」(p.34)

オクチュさんは、マンダレーでの話も語っています。「わたしたちは、「タテ(楯)八四〇〇部隊」と呼ぶ部隊に所属することになった。慰安所は、大邸からきたわたしたちがいるというところから大邸館と名づけられた。「軍人軍属以外は立ち入り禁止」ということだった。・・・・。その当時、朝鮮には、創氏改名という制度があって、わたしたちは朝鮮の名前を捨てて日本姓をつけなければならなかった。わたしの姓名はフミハラギョクシュ(文原玉珠)だった。それで、大邸館でのわたしの名前はフミハラヨシコ(文原吉子)ということになった。・・・・。」(p.57-58)

「所帯持ちの兵隊たちもかわいそうだった。いつも妻や子供のことを思い出しているようだった。・・・・。ここにきたからには、妻も子も命も捨てて天皇陛下のために働かなければならない、と。わたしはその人たちの心持がわかるから、一丁懸命に慰めて、それを紛らわしてあげるような話をしたものだった。」(p.63)

慰安婦たちまでも、最前線のアキャブまで連れて行かれました。

「そのような移動の途中、友達が川に身を投げた。つらかったのだ。おとなしくてあまり目立たない娘だった。名前をどうしても思い出せない。「処女供出」といって、警察がきて、かならず娘を出さなければならないことがあったが、天井裏に隠れていたところを引っ張られてきた姉妹の、妹のほうだった。・・・・。遺体を川岸に引き上げ、みんなでガソリンをかけて焼いた。姉が狂ったように泣いた。わたしたちもみんな泣いた。姉も妹もかわいそうだたし、それに友達を死なせてしまったのが悔しかった。・・・・。」(p.81)

「アラカン山脈を越えて、海に出たころだったろう。途中、何度かタテ師団の中隊や小隊に出会った。・・・・。もう顔馴染みになっていたので、軍人たちは歓喜し、わたしたちも出会いを喜んだ。そうすると、きまって「ここでも慰安していってよ」と頼んでくる。引率の下士官が、「自分たちは何日までにアキャブに到着しなければならないから」といって断ろうとすると、「では許可を得ればいいだろう」といって、無線で師団司令部に許可を申請する。司令部はそういう依頼にはすぐに許可をだした。その周辺にある民家が急ごしらえの慰安所になった。筵(むしろ)で仕切りをしただけの慰安所だった。・・・・。」(p.87-88)

「世の中というものは、ひっくり返ることがあるのだ。ある日突然立場が逆転すると、こんな風に人間の関係も変わってしまう。それがわたしには悲しかった。それまで「日本は世界でいちばん強いのだ。日本人はいちばん上等な人間なのだ」といっていた軍人たちが、国が負けたら小さくなってしまっている。情けなかろう、と思うとまた泣けてきた。そのときのわたしは、まだ日本人の心を持っていたのかもしれない。そういうなかで、位の低い兵隊は死なないけれど、中尉が大尉などえらい将校が何人も自殺していった。「また中尉が割腹自殺した」などという話を何度も聞いた。」(p.143)

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声なき声を、言葉や映像にして記録し、今もなお、私たちに伝え続けている森川さんの心ある行動力や地道な作業や活動に感謝。並大抵の人にできることではない。

日本政府関係者は、この本を読んだらどのような反応をするのだろう。きっと「朝鮮人の女が金が欲しいがために、うそを語って作られた本だ」と言うのだろう。でも、そんな言い草は、今の国際社会の中では、通用するものではないと思う。

今でも、巨額の軍事郵便貯金が存在するという。慰安婦だった人たちは、多額な軍事貯金を引き出せないでいる。多くの人たちは引き出せないまま亡くなっている。その人たちの積み立てたお金は、今、どこで、誰にどう扱われているのだろう。

2007/03/17

かさの自動販売機

20070317012450


駅のホームで見かけた「傘」の自動販売機(右)。珍しい自動販売機があるんだなあと感心し、近寄って、写真をとってしまいました。隣にあるのは、缶入り「パン」、「焼き鳥」、「おでん」の自動販売機です。いろんなことを考える人がいるんですね。買う人いるのかなと思いながら電車を待っていると…、実際に買っている人はいませんでしたが、珍しいものを見つけたかのように、数名の子供たちがお母さんの手を引っぱりながら、自販機の近くに行き、じっくりと見ていました。珍しいものを在庫している自販機が子供たちの興味をそそることが、興味深く感じられました。大人はどう思うんだろう、あまり関心がないのか、忙しすぎるのか、それともそんなに珍しくないのかな…などと考えていたら、そんな自分が子供であるかのように感じられ…、なんともいえない気持ちになりました。


2007/03/16

愛情たっぷりピエロ

昔からある近所の雑貨屋さんで見つけたピエロ。
昨年の母の誕生日に買いました。ピエロ好きな母は、気に入ってくれているようです。20070316120513

とってもかわいいので、携帯で写真を撮って、ブログに。

みなさんに愛情のたっぷり込められたハートが届きますように。


2007/03/13

『遺言』:斃(たお)れてのち元(はじ)まる

「・・・。曼荼羅の思想は、相手が気に入らないから殺しちゃう、排除しちゃうというんじゃないんです。いくら相手が気に入らない、私と違う意見をもっている、違う思想をもっている、それでも話しあい、つきあうことによって補いあうことができる、助けあうことができる、そういうゆったりとした思想なんです。ところがいま、世界中を支配しているのは、自分がもっている文明がもっともいいのだ。これと違うものは排除する、殺しちゃう、破壊しちゃうという思想です。そうすればその文明自身も弱くなる。そういう教訓なんです。・・・」

「『遺言』:斃(たお)れてのち元(はじ)まる」 より抜粋
 鶴見和子(2007年 藤原書店)

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・鶴見和子さんは、どんな思いを抱きながら、今の世の流れを、天国から見守っているんだろう。

・チベット人の友達の部屋の壁にいつも貼ってあった曼荼羅の写真がとても素敵で、その頃から、曼荼羅に強い関心を持っていました。その友達は敬虔なチベットの仏教徒で、話好きな彼女はいつも曼荼羅やダライラマの話をしてくれました。マザーテレサやダライラマに、おでこをなでてもらったことがあるという友人は、今、とある小さな町の大学で歴史学の先生をしているようです。そういえば、私がある日突然日本に戻ると伝えたときには、困難にあったり、辛いこと、苦しいことがあったら、このマントラを唱えると、邪気が去り、心が落ち着くから、と言いながら小さな紙切れに、いつも唱えているマントラを走り書きしてくれた。あの紙切れ、いつもポケットに入れて、不慣れな読み方でたどたどしく読んでいたけれど・・・。どこにあるかな・・・。

2007/03/12

魔法

当たり前のようにいつもそばにいたあなたはどこ?

いつかいなくなるなんて考えもしなかった。

いつもなら一緒にお茶を飲みながら、たわいない会話をしてた時間。

いつもなら一緒に週末の予定を立てていた日。

いつもなら一緒に梅林に行き、梅の香りに包まれる季節。

「ねえ、この洋服に合うかな?」と新しく買った洋服を寝る前に着てみる私に、「うん、君にとても似合うよ。君には何でも似合うよ」と、いつもやさしく言って、私に魔法をかけてくれたあなたはどこ?

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お連れ合いを亡くした知人の話に触発されたりなどして…書きました。

2007/03/12

体調、生活、家族・・・

遠く離れたところに住んでいる知人から連絡があった。彼女は4ヶ月くらい前に引っ越した場所で、今、高齢者の福祉施設の正社員介護職として働いている。一人で夜勤することも少なくない。

どの人にどんな薬をいつ飲ませ、あの人はこの時間に徘徊することが多いから、何時に確認する、この人はこの時間にこんな様子になるから、このような対応をするなどなど・・・たいした給与ももらっていない福祉職の一人夜勤は、大変すぎる仕事であり、重すぎる責任が伴う仕事。

先週から「帯状疱疹」にかかってしまい、職場から完治するまで勤務しないように言われた。今、家で休んでいる。その間、給与は出ない。

残業しても残業代は出ない職場で、病気になって休むとその間の給与は引かれるという。「また、貯金を崩さないと生活できない・・・」と言っていた。車がないと生活できないところにいるので、アパート代、水道代、電熱費、車のローン、車の維持費などなど、病気で働けなくて、収入が無くても、出費はかさんでいく。

ご両親を亡くし、兄弟姉妹はいない。親戚とも疎遠になっている様子。家族のいる人がうらやましいと言う。「私、ホームレスになってもおかしくない状態・・・」と言う彼女からしてみれば、私の生活なんて、ぬるま湯生活に感じられるんだと思う。

ここ数年、彼女は行く先々で辛いことを経験しすぎて、もう誰も信じられないと言っている。もう誰にも何も期待していないと言う。のんびりしすぎて、おっとりしすぎているとよく言われる私とは、比べものにならないほど、いろんな才能を持っていて、能力のある頑張り屋さんの彼女・・・なぜか人間関係で崩れ、職場を転々としてしまっているような気がする。なんでもそつなくこなし、思ったことを発言し、生意気に見える彼女のことを受け入れがたい上司や職場の同僚たちもいるのかもしれない。本当はとっても繊細で心ある人なのに・・・。

仕事の話などいろいろ聞いた後、「いい人は・・・?」と問いかけてみたら、「実は・・・」と話してくれた。縁があるのなら、彼女と彼女の想っている男性との関係がうまくいきますようにと祈る私。「人間、どんな人でも一人じゃ生きられないよ。みんなお互い様、○○ちゃんが大変なときは支えてもらい、相手の人が大変なときは支えてあげて・・・みんなお互い様だから。・・・結婚は逃げじゃないよ・・・」等と繰り返し伝えたけれど、どれだけ私の心が届いただろう。なにがなんでも一人でがんばり続けようとしている彼女の生き方が痛々しい。

医師からは外出しないようにと言われたという。食材も買いに行けないと言っていた・・・。家には体に良い食べ物が無い様子。食が進むような食材を詰めたケア・パケッジでも送ろう。食べてくれるかなあ。

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日本では、これまで潤沢な「家族福祉」があったおかげで、行政はたいしたことをしなくても、病気になっても障害を持っても人々は何とか生活していた。また、特に高度成長の時期は、日本の「企業福祉」も充実していた。今は、核家族化が進み、兄弟姉妹のいない子供が増え、「能力主義」と謳いあげ血も涙も無くリストラする職場が増え、行政はみんなの税金を使ってやるべき仕事を民間に委託して、義務や責任を逃れ、国民に対しては「自己責任・自己負担」と迫る傾向が強まっている。この国では、余力があり、支え手となり得る家族のいない人が、病気になったり、障害を持った場合、「かわいそうだね。でも、しょうがない。飢えるのも、死ぬのも自己責任」と見放され、見捨てられていくケースが、益々増えていくような気がする。

2007/03/09

Comfort Women

 2007年3月6日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、従軍慰安婦問題で安倍晋三首相が 「強制性を裏付ける証拠がなかった」と発言したことを社説で取り上げ、「傷ついた 日本の国際的評価を修正するより、自民党右派の支持を得る方が大切なようだ」と批判。 同紙は従軍慰安婦について「女性たちは強制徴用され、彼女たちに対する行為は 買春ではなく、連続レイプだった」と主張。「日本は事実をねじ曲げて恥をさらしている」 と厳しく非難。

 その上で、日本政府は率直に謝罪し、生存者に十分な補償金を支払うべきだと訴え、「恥ずべき過去を乗り越える第一歩は、事実を認めることと政治家は自覚すべきだ」と強調。

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2007年3月9日の「天木直人のブログ」より

『慰安婦問題を騒ぎ立てても日本は勝利しない』

・・・「慰安婦は強制されたものではなかった」といくら騒ぎ立てても日本は勝てないと。これは私の言葉ではない。日本の為政者たちが最大の味方であるとあがめ奉る「米国要人」の言葉なのである。

・・・慰安婦問題で威勢のいい事を言っている右翼の連中は日本の国益を良く考えたほうがいい。日本の国内で、慰安婦問題に理解を示す政治家や識者を威勢良く罵倒する事は勝手である。しかし米国へ行って、米語で、奴らに同じ事を言ってみるがいい。勇ましい事を言ってみたらいい。勝ち目のない戦を米国に挑んだ日本は、その結果どうなったか。愚かな経験は一度だけでよい。・・・

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文玉珠――ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私

歴史を生きぬいた女たち
教科書に書かれなかった戦争 part 22
森川万智子構成・解説 文玉珠語り
A5判/212頁/96年/1700円

最近「慰安婦」はいなかったという人がいる。だが、彼女は証人の一人だ。16歳のときだまされて「満州」へ。知恵と機転と強い意志で生き抜いた女性の半生。

ビルマの日本軍「慰安婦」1997~2000年現地調査の記録- 品番:C-45

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ビルマの首都ラングーンに残留する中国人の元「慰安婦」の証言を初めて聞き取りを した貴重な記録。ビルマに連れて来られた韓国人の文玉珠さん、日本人残留兵、ビルマ人 の日本軍関係者の証言と各地に残る慰安所跡の調査報告も含む。
制 作・著作:森川万知子
VHS40分/2000年

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政府発表文書にみる「慰安所」と「慰安婦」
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雲南・ビルマ最前線における慰安婦達-死者は語る
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従軍慰安婦がいなかったと埼玉県の上田知事が言ったことも話題にあがった。

「生き証人として抗議」 元慰安婦が知事訪問
 昨年6月の県議会で上田清司知事が「慰安婦はいても従軍慰安婦はいない」と答弁したことを受け、来日中の韓国人元慰安婦の李容洙(イ・ヨンス)さん(78)が1日、上田清司知事と県庁で会談した。

 会談は約20分間、非公開で行われた。終了後、李さんは会見を開き、「私は(日本)軍に強制的に連れ去られた。生き証人として抗議しに来た」と説明。「慰安婦と従軍慰安婦で何が違う」と声を荒らげて「本当は慰安婦の話なんかしたくない。でも私はここにいる」と涙ながらに訴えた。

 一方、上田知事は「李さんは私が慰安婦はいないと言ったと思われていたようだ」と話し、「慰安婦はいた。異常な戦争状態では強制連行もあったと思う」と説明。「『従軍』というのは、ぞろぞろと行軍することを指し、証拠もないのに安易に『従軍』という言葉を使うのは英霊に対して失礼だ」と強調し、争点がかみ合わないままに終わった。

 上田知事の答弁をめぐっては、昨年7月に上田知事が「いわゆる従軍慰安婦問題に関する私の考えについて」と題した説明文を発表。10月に李さんと市民団体が知事に面会を申し込んだが、議会を理由に断られていた。李さんは15日に米下院外交委員会で被害を証言後、帰国途中に立ち寄った。

(2007/03/02 11:15) sankei WEB

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・残酷に描写されているナチスによるホロコーストはなかった。戦時中は誰もが殺しあっていたのだから、ユダヤ人が虐殺されてもしょうがなかった。

・トルコ人がアルメニア人を虐殺した事実なんて残っていない。

・従軍慰安婦はいなかった。

という人たちもいるけれど、国際的な場ではそんなことを言う人たちは「現代史に精通した心ある人」とは思われないだろうなぁ…。

日本の多くの権力者は「立場」や「人からの見られ方」をとても気にして「私の立場では、こんなことは本当であっても言えない」とか「こんなことはあの人たちに迷惑がかかるから言えない」「あんなことを言えばこの人たちがどう思うかわからないから発言できない」ということを影では頻繁に言うのに…。なぜ、国際的な問題を扱う場合や国際的な場では「立場」や「見られ方」を無視して、自分のことしか目に入らないわがままっ子のような発言をしてしまうのだろう。

2007/03/08

先日、出会った詩です。なぜか心の隅っこに残っている詩なので、ブログに。

病 (作:佐藤春夫

うまれし国を恥づること。
古びし恋をなげくこと。
否定をいたくこのむこと。
あまりにわれを知れること。
盃とれば酔いざめの
悲しさをまづ思ふこと。

佐藤春夫記念館

2007/03/06

『よみがえる千島学説』

『よみがえる千島学説』著:忰山紀一 (1998 なずなワールド)より

「あなたの吐く息は私の口から肺にとどいています。私の吐く息もあなたの肺にとどいています。あなたと私はこの部屋の空気を共有しているのです。あなたと私。人間と人間。大自然と人間。無機物と有機物。生物と無生物。この世の中で無関係なものはありません。すべてのもの、この大宇宙に存在するすべてのものは、みな連続しているのです」p.30 千島喜久男教授の言葉

「専門家は頭が古くかたくなっているので、自分が習ったことが正しいと思い込んでいる。科学の大発見の多くが専門外の者の手によって遂げられたように、アマチュアのほうが、直観力が働き、物の真実を当てるものだ」p.59

「道に迷ったときの原則は、そのまま突き進むのではなく、はっきりした時点まで戻ることである」p.127

千島学説について

『よみがえる千島学説』著:忰山紀一 (1998 なずなワールド)
なずなグループホームページhttp://www7.ocn.ne.jp/~akakatu/
(株)なずなワールドで購入可能

2007/03/05

誕生日

ある男性が腕に包帯を巻いていた。どうしたのと聞いたら、「先日、殺されそうに、娘に…。あの時は、死ぬ覚悟をした」という。大学生の娘さんが包丁を持って、お父さんに向かっていったという。

その“事件”には、他人が知りえない深層がある。

今日はその娘さんのお誕生日。もし、娘さんが、お父さんに手紙を送るとしたら、こんなことを書くかもしれないと思った。(注:私が勝手に想像して書いたもので、娘さんが書いたものではありません。)

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おとうさんへ

ごめんなさい。昨日、お父さんに頭にくることを言われ、正しい言い分に、言い返すことができなかった私はすぐそばにたまたまあった包丁を手に持ってお父さんへ向かってしまいました。でも、包丁でお父さんを傷つけたかったわけではありません。本当は自分自身を刺したかった。私なんかいないほうがいいんだよね。ごめんなさい。自分の感情をうまく表現できなかったから、私がどんなに苦しんでいるのか知ってほしかったから・・・お父さんが私のことをどれだけ真剣におもってくれているか知りたかったから・・・あんな行動を取ってしまいました。「お父さんが出て行かないんだったら、私は死ぬ」と叫んだけど、本当はお父さんに出て行ってほしくなんかない。

お父さんといつも口論するけれど、お父さんのことが嫌いだからではないからね。本当はお父さんのこと大好き。一緒に食事をしたり、出かけたりしたいと思っています。将来のことについて相談に乗ってほしいと思うこともあります。でも、お父さんとお母さんの仲が悪くて、私はどうしたらいいかわかりません。お母さんを怒鳴りつけているお父さんを見ると、家出したくなります。何で二人はそんなにも仲が悪いのですか?お母さんは、お父さんのことを絶対に許さないと言っています。私はどうしたらいいのかわかりません。

お父さんとお母さんの仲が悪くなってから、お母さんが私と一緒の部屋で寝始めました。お父さんはさびしくありませんか。お父さんがひどい風邪を引いて、一週間寝込んだとき、お母さんはうつされたくないからと言って、一度もお父さんの部屋に行かなかった。私は心配で、水を持ってったりしていたけど。その頃から私は自分の存在がいたたまれなくなりました。家の中の空気が痛々しくなって、消えてしまいたくなった。わかっているかもしれないけど、私のうつ病とパニック障害はその頃から始まったと思う。その頃からもう2年経ちます。お父さんとお母さんは私の病気のことをとても心配してくれているけど、二人が仲直りすれば私の病気もよくなるような気がします。だって、二人が仲良くいてくれれば、私は消えてしまいなんて思わなくなると思うから。私のことが本当に心配なら、どうして二人は仲良くしてくれないの。

おとうさんは誕生日に何がほしいか聞いてくれました。3万円の携帯電話なんて本当はほしくなかった。私がほしいのは仲の良いお父さんとお母さん、私を生んでくれた両親が憎みあって、喧嘩して、怒鳴りあって、悪口を言い合っているのを聞くほど辛いことはありません。

高価な洋服や豪華な時計なんていらないから、その代わりに仲の良いお父さんとお母さんがほしい。贅沢なお願いですか。

もう、お父さんとお母さんは仲直りできないのですか。

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ご両親の影響を受けずに、のびのびと素敵な娘さんらしくいられる環境で生活できればいいのにと思わずにはいられません・・・。神様、どうか彼女を助けてください。

2007/03/04

お裁縫の時間

おばあちゃんに着物の作り方を教えてもらっていると、心が安らぐことに気がついた。

おばあちゃんはリュウマチのために、足も変形していて、痛みが伴いなかなか思うように歩けない。変形した手も、自分の思うように使えない。

若い頃は、卓球の選手だったり、マラソンを走っていたり、日本舞踊をしていた。今も、骨だけは丈夫で、転んでも骨は折らない。でも、病気には勝てない。骨は変形し、薬の副作用のため出血すると血がなかなか止まらない。そして、皮膚をちょっとこすっただけでも、皮膚がむけて、出血してしまうこともたびたびある。夜、薬を飲み忘れれば、次の日は体中が痛くて、動けない。

そんなおばあちゃんから着物の作りかたを教えてもらえる私はとても恵まれているとつくづく思う。本当に、生きていてくれてありがとうと心から思う。

今日も、おばあちゃんと一緒にお裁縫の時間を持った。
ゆっくりと運針している私を見ても、いらいらせずに教えてくれる。「なんでここはこうするの?」「なんでそこはそうするの?」と質問攻めのおばあちゃんは、嫌な顔ひとつせずに、納得のいくわかりやすい説明をしてくれる。一生懸命に一針一針なれない手つきで縫っている私を待っててくれている間、いすに座ってこっくりこっくり寝ている。そんなおばあちゃんを見るととても幸せな気持ちになる。

そういえば、私は、昔から、おばあちゃん子だった。
学校が終わった後、おばあちゃんのところへよく行っていた。
小学生の頃、おばあちゃんの鏡台にある口紅を、自分の唇にぬって、「みて!みて!」とおとなの女性になった気分で、おばあちゃんに見せたこともあった。その時、おばあちゃんは口紅が嫌いだという話をしてくれた。昔、おばあちゃんが子供の頃、いつも口紅を厚く塗った女性がいた。その女性がたままた口紅をしていないときに見たら、その人の唇は紫色だったことが忘れられないと言っていた。そのときから、口紅はあまり濃くつけたくないと思ったという。今でも、口紅をつけるとき、おばあちゃんのしてくれた話を思い出す。だからか、口紅はつけても、薄くつけるのが好き。

それから、生理が早かった私は、友達に「生理ってどんな感じ? 痛いの?」などと聞かれるばかりで、体の変化などについて相談したり、話をする友達がいなかった。小学生の頃、恥ずかしげもなく「生理ってなに?もう子供が産めるの?」とか「タンポンてなに?」「どうやって使うの?」「こんなときはどうするの?」とかいろいろ聞いていた相手は、おばあちゃんだった。おばあちゃんには、いろんな場面で助けられてきた。

おばあちゃん、ありがとう。また、続きをよろしくね。

2007/03/03

Love In Any Language

Here is my favorate song. 大好きな曲。
昔、友人とよく聞いたり、口ずさんでいた曲。
新しい知人や友人ができると、よく流していた曲(自分の好きな世界を知ってほしかったんだと思う)。

*********************
"Love In Any Language"

Je t'aime
Te amo 
Ya ti-bya lyu blyu
Ani o hev ot cha
I love you

The sounds are all as different
As the lands from which they came
And though the words are all unique
Our hearts are still the same

Love in any language
Straight from the heart
Pulls us all together
Never apart
And once we learn to speak it
All the world will hear
Love in any language
Fluently spoken here

We teach the young our differences
Yet look how we're the same
We love to laugh, to dream our dreams
We know the sting of pain

From Leningrad to Lexington
The farmer loves his land
And daddies all get misty-eyed
To give their daughter's hand

Oh maybe when we realize
How much there is to share
We'll find too much in common
To pretend it isn't there

Love in any language
Straight from the heart
Pulls us all together
Never apart
And once we learn to speak it
All the world will hear
Love in any language
Fluently spoken here

Tho' the rhetoric of government
May keep us worlds apart
There's no misinterpreting
The language of the heart

Love in any language
Straight from the heart
Pulls us all together
Never apart
And once we learn to speak it
All the world will hear
Love in any language
Fluently spoken here


LYRICS: Jon Mohr & John Mays
MUSIC: Jon Mohr & John Mays
SINGER: Sandi Patti
*********************************
・フランス語のJe t'aime から始まり、Te amoと続いていく部分も気に入ってます。

・どんなに国の政府が私たちを分断させようとしても、私たちの心は離れないというところが特に良い。友情や愛情は、国境や国籍、肌の色や目の色、言葉や土地柄を超えてしまうということを伝えてくれる。

・ソ連時代はレニングラード(Leningrad)と呼ばれていた都市は、今はサンクトペテルブルク(St. Petersburg) になっていますが、Leningradという都市名が使われていることにより、この曲の作られた時代性を感じられることができ、歴史の流れが伝わってきていいと思う。

・学生時代、親しくしていた友人が“Love In Any Language"と彫った銀のチャームを誕生日にプレゼントしてくれた。(彼女も私もこの曲が好きでよく一緒に聞いていた。彼女がこの曲の入ったテープを私にくれたことが私とこの曲との出会いだったと思う。)彼女の母国語は英語、私の母国語は日本語、彼女の故郷は北米の大自然に囲まれた田舎町、私の故郷は関東のベッドタウン、彼女の髪の毛はカールのかかった栗毛色、私の髪の毛は黒、彼女の目の色はhazel色で感情によって色が多少変わった、私の目の色はいつも黒茶、…。彼女と私は見かけも似ていないし、全く違う環境で生まれ育ってきた。でも、なぜかそれまで感じたことがなかったような絆というか心の支えというか…見えない深いところでの理解と受容を互いに察していて、同級生としての友情は気がついてみたら愛情に…。お互いにそんなことになるとは全く思っていなかったと思う。国籍や人種や生い立ちが違っていても、言語や文化を超えて、本当に似た感覚を持ち、理解しあえる人がいるんだなあと、お互いに不思議に感じていたと思う。卒業式の前、約一ヶ月位の間、彼女や他の友人と別れなければならないと思うと悲しくて、悲しくて、胸が引き裂かれるような思いで、友人に会い、hugするたびに、泣いていたことも、今となっては一つのよき思い出です。

・この歌についての感想や好きなところ、この歌にまつわる想いなど、他にもあるのですが、今回はこの辺で…。

2007/03/02

花粉症についての素朴な疑問

今年は初めて花粉症になってしまった。
今春は初めて花粉症になったという人たちが私の周辺に少なからずいる。

ところが、85歳の祖母、92歳の隣のおばあちゃん、すぐ前に住んでいる80歳のご夫婦、近所の93歳のご夫婦、この近所の80歳代の祖母の友人たち10数人の中には、花粉症の人が一人もいない。

私の周りで、目がかゆい、鼻が出る、くしゃみが出るなど花粉症の不快で、辛い症状で苦しんでいる人たちは、みんな60代以下の人たち…。何でなんだろう。

2007/03/02

人権は権力者のもの

ある大学を去年、満期退職した元教員が言った言葉―「『人権は権力者のもの』だとは知らなかった…。」

その人は、大学にも勤めていたけれども、運動家でもあった。
人権は存在するひとりひとりの人間が持って生まれるものだと信じていたけれど、現実の生活の中で「人権は権力者のものである」ということを見せつけられる場に何度も居合わせ、「人間不信」に陥ってしまい、誰も何も信じられないという。ここ2、3年くらい、うつ病がひどくて、どこにも出られず、引きこもり状態でいる。

「人権だけを食べ過ぎれば、日本社会は人権メタボリック症候群になる」なんて言う文部科学大臣がいる国、日本では「人権は権力者のものである」のかもしれない。日本の権力者たちはすでに「既得権メタボリック症候群」になっていて、ますます悪化する一方で、もう末期状態であるような気がする。

この国のひとりひとりが「人権」という権利意識をまともに持ちはじめたら、時の権力者は、これまで持っていた権力を自由に使えなくなるので困るのだろう。「既得権」を思うままに使い、「権力のうまみ」を人々に知られたくない権力者は、人々が「人権」をつまみぐいして、その味を知って、もっともっと食べたい、「お前達だけでむさぼるのではなく、私たちの分を私たちに分け与えろ」と言い始めたら困るのだろう。

2007/03/02

寿命

先日、祖母のところへ行き、着物の縫い方を教わった。
先ずは、浴衣を作ることにした。

おばあちゃんの言うとおりに切ったり、縫ったりしていると、だんだんと着物の形ができていく。

                 * 

おばあちゃんの口からは、いろいろな数字や寸法の取り方がすらすらと出てきます。もう十年以上、着物なんて作っていないだろうに、すべての手順や細かい寸法を覚えていられるのが、とても不思議でした。

私:「なんでそんなによく覚えてるの? すごいなあ、おばあちゃんは。」

おばあちゃん:「なんでって言われてもね。…おばあちゃんは、昔、○○の学校で、教えていたんだよ。いつも10人くらいのお針子さんたちがいたかな」

私:(そんな風に教えていたことがあったなんて、知らなかった…。何でもっと早くに教えてもらわなかったんだろう…後悔。まさか、万年反抗期のような孫娘が、着物の作り方なんかに関心を持つとは思わなかっただろうなあ…。すでに身近にある宝のような技術や知恵を、学び受け継ぐ大切さになんでもっと早くに気がつかなかったんだろう…後悔。)

おばあちゃん:「小さいお人形さんや大きい人の着物、いろいろな種類の着物を縫っていたんだ。」「お嫁に行くときは、持って行く着物は全部自分で縫ったんだよ。」
                 *

おばあちゃんはリュウマチで、指が大分変形してしまい、ここ十年以上、縫い物ができない、できないと言っていました。リュウマチが発症してから、症状は進むばかりです。今日、私が慣れない手つきで運針をしているのを見ながら、おばあちゃんは「できるかなあ、できるかなあ」と声を弾ませながら、自分で糸を針に通し、糸に玉をつけて、やわらかい布を手に持ち、縫おうとしていました。静かだなあと思っておばあちゃんの方を見ると「縫えた!縫えた!わぁ~縫えたぁ!」とうれしそうな声で、私に言います。とても綺麗に縫えていました。

人間は何歳になっても、自分が好きで得意なことや、若い頃に体が習得したことは、障害を持っても、どうにか工夫して試みてみると、なんとかできるようになるものなんだなあと不思議な気持ちになりました。昔と同様に早く、器用に、綺麗には、できないかもしれないけれど、その人にしかできない味のある作品を生み出すことができるんだなと感じました。
                  *

おばあちゃんとお話をしながらの縫い物は、どんな時間にもかえがたい至福の時でした。豪華な船に乗り海外旅行をするよりも、どんな豪華なレストランで食事をするよりも、どんなにすばらしい芸術作品を見るよりも、価値のある時間だなあと心の中でしみじみ感じながら縫い物をしていました。

おばあちゃんは、いろいろな話をしてくれました。その中でも「おばあちゃんの曾おじいちゃん」の話が私にとっては、印象的でした。「おばあちゃんの曾おじいちゃん」は93歳で亡くなったそうです。その頃は、人生50年といわれていたそうで、「おばあちゃんの曾おじいちゃん」が他界したときには、たくさんの人が遠方からお金を拾いに来たとのことです。

「お金を拾いに来た???」何のことだかわからなかったのですが、昔は、お坊さんがお葬式の後、お金をそこら辺に、まいたそうです。そして、長生きした人の葬儀に、撒かれたお金を拾うとご利益があるということで、いろんな人が拾いに来たそうです。

おばあちゃんの曾おじいちゃんが、93年間も生きたとは知りませんでした。

私の小さかった頃、まだ元気だった曾おばあちゃんは、98歳で他界しました。おばあちゃんの家族はみんな長生きでしたが、このごろ、みんなどんどん早死になってきている気もします。

私:「なんで、昔はみんなそんなに長生きしたんだろうね?」

おばあちゃん:「曾おじいちゃんも、おばあちゃんも、昔の人は、薬を全く飲んでいなかったよ。風邪ひいたって、怪我したって、薬なんて飲まなかったよ。」

おばあちゃんの言葉が、なんとなくわかる気がしました。
そういえば、98歳で他界した曾おばあちゃんは、お気に入りのぶどう酒を少々、毎晩寝る前に飲んでいました。ひどい風邪を引いても、ぶどう酒を飲んで寝れば治ると言って、薬は一切飲まない人でした。みんながよく曾おばあちゃんの話をするとき、「薬を飲まないで、ぶどう酒を飲むと長生きできるんだね~」と感心して話していたことを思い出します。

2007/03/01

What a shame!

Minister's human rights rant shocks Japan By Colin Joyce in Tokyo(28/02/2007)

Japan's education minister has stunned the country with a gaffe-strewn speech in which he claimed that too much emphasis has been put on human rights.

Bunmei Ibuki, 69, also said that Western-style individualism is damaging Japan, while he praised Japan's racial homogeneity and appeared to denigrate minorities.

Japanese newspapers reported yesterday that Mr Ibuki, a veteran politician who worked at the Japanese embassy in London for four years in the 1960s, implied in his speech in Nagasaki that problems with Japan's education policy stemmed from the fact that it was imposed by the US occupation authorities after the Second World War.

"Japan has stressed the individual point of view too much," he said. He also argued that a society gorged on human rights was like a person with an obesity-related illness.

"If you eat butter everyday you get metabolic syndrome. Human rights are important but a society that over indulges in them will get 'human rights metabolic syndrome'," he said.

The speech raises questions about Tokyo's commitment to concepts such as human rights and democracy, which Japanese commentators note were brought to Japan by defeat in the war rather than created independently by domestic reforms.

It is unclear whether Mr Ibuki's choice of the word "butter" was intentional or unfortunate, but it echoes an old disparaging Japanese expression for Western ideas: "stinking of butter"(バタ臭い).

The term came about because Westerners traditionally had a far higher dairy content in their diet than Japanese and hence were thought to smell of butter.

**********************************************
伊吹文部科学相は、自民党長与支部大会(2月25日)で、『教育再生の現状と展望』と題して講演し、「人権だけを食べ過ぎれば、日本社会は人権メタボリック症候群になる」「大和民族がずっと日本の国を統治してきたのは歴史的に間違いのない事実。極めて同質的な国」などと発言。こんな発言をする人が、今の日本の教育政策づくりを担うリーダーになっているんですね―>いぶき文明文部科学大臣

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好きな言葉:"Differences are not a threat, but a treasure" by Jean Vanier (ジャン・バニエは、尊敬する人の一人です)

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