るるどの覚書

全く私的な独り言から、素朴な疑問や社会的な関心ごとまで、北欧での生活の中で感じたり、思ったり、考えたことの覚書ブログ。気軽にコメントして下さると嬉しいです。

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2006/12/28

『そよ風のように生きる』

昨日、久しぶりに本屋さんに入ったら、愛読書の『そよ風のように生きる~旅行くあなたへ』著 バレンタイン・デ・スーザ(女子パウロ会)が、目の前に積まれており、びっくりしました。15年前に初版が出た素敵な本です。

著者は、今年12月『やさしさの愛につつまれて』(女子パウロ会)を出しました。その記念で『そよ風のように生きる』も一緒に店頭に積まれていたようです。

バレンタイン・デ・スーザの『そよ風のように生きる』には、15年前に出会い、買いました。それ以来、どこへ行くにも一緒に持っていく本です。何度も一緒に国境を越えました。薄くて、かばんにさっと入れても、がさが張らずに持ち歩きしやすいのです。私の心に栄養を与え続けてくれている本です。心が萎えそうになるとき、優しい言葉で勇気づけてくれ、励ましてくれます。

『そよ風のように生きる』の中には、迷っているとき、悩んでいるとき、苦しいとき、さびしいときに、そっと寄り添ってくれる言葉でいっぱいです。苦悩でいっぱいの人が寄りかかっても、ゆるぎなく受け止めてくれる言葉であるにもかかわらず、教条主義的でないところが彼女の言葉の魅力だと思います。

『そよ風のように生きる』より、短い言葉のいくつかを紹介します。

「What you love, set it free. If it does not come back to you, it was never yours. If it does come back to you, it was always yours.」p.6

「愛の反対は憎しみではありません。無視です。」p.7

「どんな人にもつらい過去があります。それを思えば、軽んじてよい人などいるはずがありません。」p.20

「生きる道は、ひとから教えてもらうものではありません。ひとりひとりが悟っていくものです。」p.62

「いつも心を開いていましょう。かめにふたをしていては、いくら水を注いでも、入れることはできません。」p.63

1946年にインド生まれ、1974年にカトリック教会の司牧として来日し、今現在も日本で生活している著者の言葉は国境や人種の壁を越えた視点を持っている女性の信仰生活よって磨かれた賜物です。
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2006/12/24

末期(まつご)の水

おじいちゃんが他界し、今、さびしさと脱力感が体に残っています。

愛する人を丁寧に看取るとき、こんなにも多くの学びができるとは思っていませんでした。経験したこと、感じたこと、思ったこと、考えたことを自分なりに整理するのに少し時間がかかりそうです。

人がこの世を去るとき、莫大なエネルギーを発して、息を引きとっていきます。だから不思議なことも起こるのでしょう。晴れていれば病室から見えたはずの富士山は、ずっと曇りがちで姿を隠していました。入院してから一度も姿を現してくれませんでしたが、おじいちゃんが最期に苦しくなったとき、雲が動き、立派な富士山がオレンジに輝いたの夕日を背景に姿を現しました。家族は「富士山が見えるよ!」とおじいちゃんに声をかけました。おじいちゃんは「後で見るよ」とベットに横になりました。カメラを持っていた家族は、突然姿を現した富士山の写真を病室の窓から撮りました。12月20日の読売新聞の朝刊の一面にも、「12月18日16時頃の富士山と二つに割れた太陽」の写真が載っていました。おじいちゃんの病室からみえた富士山と同じ時間の写真です。

18日16時頃に、苦しくなってベットに横たわり、酸素ボンベを使っての呼吸になり、いつものように会話ができなくなってから約10時間後の19日の朝2時に最期の一呼吸をして、他界しました。

おじいちゃんは「後で(富士山を)見るよ」と言っていたけれど、「後」という時はこの世では、来ませんでした。「後で、(痛みがなくなり、苦しくなくなったら、ゆっくり)見るよ」ということだったのかもしれません。今、思う存分富士山を見ているのだろうと思います。

「生きてきたように死んでいった」おじいちゃん
最期まで自分の手で食事を取り、最期まで自分の足で立ちトイレを済まし、最期の日の朝に自分で自分の爪を切りました。

最期は氷の入ったコップの冷たい水を口に含ませてもらいながら息を引き取っていきました。「末期の水」を家族や親族に含ませてもらいながらこの世を去っていきました。

おじいちゃんののどが乾いているような気がしてならなかったので、看護師さんに水を含ませるガーゼのようなものはありますかと聞きました。棒の先にスポンジがついたものがあるので、それに水を含ませてお水をあげても大丈夫だと言われました。氷の入ったコップのお水をスポンジで含ませて、おじいちゃんの口につけると、おじいちゃんは口をきゅうーっと閉じて美味しそうに水を吸いました。唇を少し湿すととても気持ちよさそうでした。

どうか戻ってきてほしいという想い、のどが渇いて苦しんでほしくないという想い、大好きな冷たいお水を最期まで飲んでほしいという想い…いろんな想いがこめられた末期の水です。

じいちゃん
心配しないでね、私たちは大丈夫だから
仲良くやっていくから

ちゃあちゃんのことも大丈夫だよ

じいちゃんは
もう痛くも、苦しくもないんだよね
よかったね 

ありがとう
また会う時まで、ちょっとの間のお別れだよね




・・・じいちゃんに会いたい・・・

2006/12/20

さようなら

今日はおじいちゃんのお通夜、明日は告別式。

ちょっと早すぎたお別れです。

おじいちゃん、ありがとう。
また、ね。

そっちでは、畑のおばあちゃんやよしえちゃんたちと一緒なんだね。
待っててね。

2006/12/19

Thank you, grandpa!

今朝、19日の2AMにおじいちゃんは他界しました。
18日の午後4時頃からおじいちゃんの様子が急変し、医師に数時間持つか持たないかと言われました。家族みんなに電話をし、即集まるように連絡を取りました。

涙、涙、涙のお別れと感謝の言葉でいっぱいの最期の時間でした。

約10時間の間、誰かしらおじいちゃんの手を握り「じいちゃん!」「じいちゃん!」とみんながかわりがわり声をかけたり、いろいろ話しかけ、足をマッサージしたり、冷たいお水を口に含ませてあげたりしていました。

朝2時頃、「じいちゃん、どうもありがとう」「ありがとう」と言うと…静かに平和な表情を保ちつつ、すーっと息を引き取りました。

(わがままで、心配ばかりかけている私たちは、最期まで「じいちゃん!」「じいちゃん!」と声をかけ、やさしいおじいちゃんをこの世に必要以上の長い時間、引き止めてしまっていたような気もしました…。また、おじいちゃんは言い残していたことがあったような気もします。どうか私たちの夢の中にあらわれてください。そして、伝えてください。)

2006/12/18

モルヒネ投与

今朝から、おじいちゃんは朝方から止まらない咳を抑えるために、モルヒネを微量使い始めました。

お昼には酸素マスクを取ってトイレに歩いて一人で行ったら、血圧が180以上になってしまい、呼吸も苦しくなり、「死ぬかと思った」と冗談を言っていました。

冷たい水やアイスやカキ氷が大好きなおじいちゃん。
看護師さんがカキ氷を病棟でつくってくれるとのことで大喜び。
「何でも食べたいもの食べて、飲みたいもの飲んでいいんですよ」と看護師さんが言うと。酸素マスクをして、呼吸するのも精一杯なおじいちゃんは「ビールもいいのかい」と言い、ベットの周りにいるみんなを笑わせてくれました。もう死にそうなのに、「ビール」なんて言っている。愉快なおじいちゃん。

2006/12/18

大好きなおじいちゃんとホスピスと・・・

自宅で普通の生活を続けてきていた末期がんのおじいちゃんは、12月14日に車で15分~20分くらいのところにある病院のホスピス病棟の一室に入りました。(日本全国の都道府県で一番末期のケアが充実していないと言われているのに、市内にホスピスがあったことは奇跡だと思う。ビール、日本酒、何でも好きなだけ飲んでいいし、好きなことをなんでもやっていいと言ってくれる寛容なホスピス。また、医師も看護師もユーモアのセンスがあり、患者や家族の前では笑顔を絶やさず、誠実で、思いやりがあり、とても丁寧です。丁寧に地に足をつけて人生を歩んできた心やさしい祖父に、『祖父が生きてきたように死んでいくための場と人』を神様が与えてくれた様に感じる。こんな場が、地域にひとつにあれば、みんな安心して思いっきり『生きることができる』と強く思う今日この頃。)痛みや咳がひどくなり、どうしても我慢できなくなった14日、医師と相談し、「薬の調整をして、様子をみてみましょう」と入院。

入院するときに、ぽっちゃりとしたかわいらしい担当の看護師さんに手を引かれて、ゆっくりと歩いて病室に入ったおじいちゃんは、男性の担当医に「うらやましいなあ、僕がかわってほしいくらいですよ」、「何歳になっても、出会いがありますね」とからかわれていました。看護師さんは担当医に、「もちろん先生はだめですよ!○○さんだけですよ」と、みんなの笑顔や笑い声につつまれながら入院しました。死にそうなおじいちゃんも、何歳になっても男性、悪い気はしていないと思います。ホスピスに入院したその晩は痛みもなく、ぐっすり眠れた様子でした。

12月16日はいとこ(おじいちゃんの孫)の結婚式。出席するつもりで、とても楽しみにしていました。一週間前に床屋へ行き散髪してきたくらいです。結婚式の二日前(14日)の入院…。

前日(15日)まで結婚式に出席するか、欠席するかを決めかねていたけれど、おじいちゃんは欠席することに決めました。結婚式のビデオを後でみんなで見ることにはしたけれど、行かないことを決めた15日の夕方、おじいちゃんはとても寂しそうでした。その日、家族は一時、帰宅。その間、おじいちゃんは再度苦しくなり、ホスピスの主治医が薬を投与。その後、医師が、ずっと一緒に部屋にいてくれ、二人で「水戸黄門」をみたそうです。不安だったおじいちゃんは医師が一緒に部屋にいてくれたことで、だいぶ安心できたと思います。おじいちゃんの主治医に心から感謝。

16日、いとこの結婚式当日。式が午後だったので、朝から祖母や叔父、いとこなど親類みんなで入れ替わり立ち代りホスピスにいるおじいちゃんに会いに。

式が終わってから、二次会に行かなかった祖母、母、私はおじいちゃんに結婚式で使ったお花を持っていきました。デジカメで撮った写真を見せてあげたら喜んでいたのでよかった。

今日は17日、呼吸が浅く、速くなっている様子。熱はないけれど、「体全体が熱い」と言っていたら、看護師さんが水枕を丁寧に持ってきてくれました。もう腹水がたまり始めている様子。水分を今のまま取っていたらお腹の水も“普通”より早くたまってしまうかもしれない。でも、元来冷たい水を飲むのが大好きなおじいちゃんに水分摂取の制限を要求したらかわいそう。

日々、おじいちゃんの様子は変化しています。明日は、どうなるんだろう。

おじいちゃんの身体にふれられるうちにたくさんふれておこう。
ヒューマンタッチの持つ意味の深さや、人が人にふれるというかけがえのない価値を痛いほどに感じます。

*************

涙腺が緩みっぱなしで…困ります。
泣き虫な私は…、おじいちゃんに何かあったとき、どうなるんだろう。
(恥ずかしがらずに、思いっきり泣こう…。気がすむまでワーワー泣こう…。)

*************
今夜、悲しくてしょうがなかった時、「悲しいと感じることができるのは幸せなこと」とふと思いました。PTSDだったり、何らかのトラウマや病気で感情が麻痺していたら、大切な人が亡くなっても「悲しいと感じることができない」ということを思い出しました…。「何も感じることができない状態がどれほど辛い事」であるかということや、「泣けるという幸せ」があることを思い出しました。

2006/12/15

今年の自民党の「もち代」 1人 300万円

毎年支給される自民党の数百万単位の「もち代」(一人当たり)については、野党の議員から聞いたことがありましたが・・・。今年も支給されました。

安倍さんにとっての100万円は、「もち代」の三分の一。
百万円がどうなろうと、どう使われようと、どこへ消えようと、痛くも痒くもありませんね。

「もち代」をポンと渡される自民党議員一人ひとり、どんな気持ちで受け取るのだろう。「もち代」とは縁のない野党議員はどんな気持ちで、数百万単位の「もち代」を受け取る自民党員の様子を眺めているのだろう。そんな風に血税が使われることを知る国民一人ひとりはどんな思いを持っているのだろう。

私は、許せない (でも、こんなことで許せないと言っているようじゃ…生きていけないんだろうなぁ。比較するから許せないという気持ちがわいてくのだろうなぁ。…時給100円で働いている身近な障害者の人々のことを思うと、ニコニコして300万円の「もち代」をもらっている自民党員が許しがたくなる。裕福な自民党員にとったら300万円なんて、はした金なんだろう。日本全国の障害者や病気で働けない人々に「もち代」をあげてほしい。)

公明党の議員はどんなものをもらっているんだろう。
創価学会からも手厚いおもてなしを受けているんだろうと思うけれど・・・。

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自民、「もち代」で1人300万円支給
            (2006年12月14日3時7分 読売新聞)

 自民党は13日、冬の政治活動費(もち代)を党所属の衆参国会議員に支給した。支給額は原則300万円で、無派閥の議員(閣僚経験者を除く)には100万円を上積みした。各議員が責任者を務める党支部の銀行口座に振り込んだ。先に復党した衆院議員11人は党支部長に就任していないため、今回は支給しなかった。

2006/12/08

「我ら言葉のほかに失うものなし」

今年11月20日から、天木さんと筆坂さんの「我ら言葉のほかに失うものなし:天木・筆坂熱血インターネット対談」が展望社のHPに連載されています。

天木・筆坂熱血インターネット対談

2006/12/08

真珠湾攻撃/Remember Pearl Harbor!

65年前の今日、12月8日、日本は真珠湾を攻撃した。
そして、1945年8月15日に敗戦した。

日本で毎年8月15日になると、敗戦記念日がメディアによって強調されるように、アメリカでは毎年12月8日になると、雑誌や新聞やらに“Remember Pearl Harbor!"と書かれてた小見出しが、やたらに目についた。もちろん、日本人としていい気分はしなかった。アメリカでは、12月8日はなんとなく気が重い日だった。

日本列島は健忘症という病に侵されているとどこかで聞いたけれど、どのくらいの人が12月8日=真珠を湾攻撃した日ということを覚えているだろう。

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一人ひとりの気持ちに多少の“重し”があったほうが、同じような間違いを繰り返そうとしたときに、引き止める力になり、いいのだと思う。

2006/12/08

不思議なこと

今、お金はなければ生活できないと考えられている。なければならない空気や水や太陽のように、「お金」もなければ生きていけないと考えられている。

でも、どんな人にも無くてはならないと思われている「お金」の循環にあまりの偏りがある。偏りがありすぎる。

空気は、病人、高齢者、障害者、主婦、子供、総理大臣、どんな人にとっても、同じ空間にいれば、同じようにある。神様は、太陽と空気と水と大地を私たちに無条件で与えてくれた。でも、人間が作り出し、信用の上で価値が生み出されているお金は違う。


銀行に勤めていると…
公務員だと…
官庁に勤めていると…
大企業に勤めていると…

安定した現金収入がある。生活するのに必要以上のお金が入ってくる。

でも、

農家で汗水流して農作物を作っていても…
牛や馬や豚や鶏を育てていても…
家庭で子育てをしていても…
手作りで洋服やきものをつくっていても…
おいしい料理を作っていても…

安定した現金収入はない。

人間の生活にとって一番大事な部分に、お金が循環していかない社会の仕組みになってしまっている。

お金が、人間社会の活動の潤滑油であるならば、銀行や金融関係の機関は、その偏りや滞りをできるだけなくすために最大の力を注ぐべきだと思う。

でも、実際は正反対のことが行われている。

既得権益を限りなく温存するようなお金の流れができている今の社会。

長いものに巻かれる大企業があり、役人がいる限り、社会システムや制度は持続されていくのだろう。でも、社会システムが壊れる前に、自然や生き物や人間の生活が壊れていってしまいそう。


******************************
人々の「所属しているところ」へお金が流れ入っていき、人々の「すること」や具体的な「仕事」や「物」には、お金が直接ついていきにくい巨大な顔の見えない社会システムがつくられているような気がする…。

2006/12/08

今、ここ

最近、読んだ絵本に『詩人の墓』(谷川俊太郎・太田 大八)と『カエルのピング』(スチュアート・A. ゴールド) があります。

「今、ここ」に生きているということの奇跡について、しみじみと考えさせてくれた二冊です。

                   *

『詩人の墓』(出版社/著者からの内容紹介)
哀切な愛のバラード。「何か言って詩じゃないことを!」詩人の運命を生きるしかなかったひとりの男と彼を恋したひとりの女。詩人・谷川俊太郎と絵本の名手・太田大八による贅沢な大人の恋の物語。

『カエルのピング』(「MARC」データベースより)
広々とした池を求めて旅に出たカエルのピング。その旅の途上、見識に富む指導者・フクロウに出会う。フクロウはピングを導き、心の内への旅に出よと勧める-。ピングの内面への旅路をたどる、永遠の智慧を伝える物語。

2006/12/04

戦争好きな日本政府:防衛省なんていらない

ちょっと前まで、メディアは「国家の財政難のため、歳出削減が急務だ」と言っていた。そんな中で、高齢者の医療費の自己負担増や障害福祉予算のカットを推し進めていた。医療・福祉予算が削られる方向性が整ったかと思ったら、もう、国の財政問題なんて聞こえてこない。多大な国家予算がつぎ込まれる防衛省へと格上げの話があがっても、赤字の?!国家財政なんて壁にもならない。結局は財政問題ではなく、「権力者」の優先性の問題だったことが良くわかる。
               *
 
歴史を直視できないままでいる日本の国に防衛省なんて持たせたら、日本はまた同じ過ち、またはそれ以上の過ちを犯すことになるような気がしてならない。

               *
 
日本の敗戦で、第二次世界大戦が終わった。戦争が終わったと思ったら、日本は世界的な経済戦争に突入した。多くの企業戦士を生み出し、過労死を生み出した。多くの企業戦士予備軍の子供たちは受験戦争も通過してきた。激しい経済競争は、公害をもつくりだし、人々を苦しめ死に追いやり、生活や自然を破壊してきた。人々の生活の犠牲によって経済大国になりえた日本は、もう経済的には影ばかり。まだ、もがいている日本の国と大企業は、人件費を限りなく削減し、人間を消耗品のように使い捨てにしている。それによって、企業や国は今のところかろうじて利益を上げ、国家財政を豊かにしているようだけれど、多くの人々は病み、傷つき、死んでいっている人々も少なくない。

経済的にもがいている日本は、世界では過去の国。海外にいる人たちが「世の中の移り変わりは激しいよ。日本は経済的には15年前はすごかったよね。今は中国とインドだよね・・・」と言っていた。日本経済の成功話はもちろん、日本経済一般についても世界ではもう過去形で語られ、日本の経済力の影も薄らいでいるんなんだなあと痛感した。激しい国際経済戦争の中で、力や立場を失いつつある日本は、再度、武力(今度は核?!)で、国際競争に挑もうとしているような気がする。

防衛省なんていらない。

もういいよ。争いごとは。戦い疲れた…。

もう少しスローに、平和に、生かさせて欲しい。

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Author:るるど
好きな言葉:"Differences are not a threat, but a treasure" by Jean Vanier (ジャン・バニエは、尊敬する人の一人です)

email: mariaatlourdes@hotmail.com

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