るるどの覚書

全く私的な独り言から、素朴な疑問や社会的な関心ごとまで、北欧での生活の中で感じたり、思ったり、考えたことの覚書ブログ。気軽にコメントして下さると嬉しいです。

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2006/09/25

緩和ケア

検査の結果、祖父はやはり肺がんだと言われた。リンパにも転移しており、余命数ヶ月とのこと。本人には癌だということだけ知らせた。

癌だと告知された日から、おじいちゃんは気落ちしている。なんか生きる希望を奪われてしまったような気がする。何歳になっても人間は、もっと生きたいという気持ちがどこかにあるんだと思う。

生きること、日々の生活、告知、病気、痛みの緩和と治療、大切な人、ケア、心地よさなどについて考えさせられる。

昨日はお彼岸、お線香をあげに祖父母の家に行った。おはぎを一緒に食べた。

おじいちゃんの隣に座りながら、無性に、心底悲しくなっている自分がいた。

祖父の「死」ということ自体が恐ろしいわけでもない。死んだ後どこに行くのか不安であるわけでもない。

ただ、こうやって同じ空間の中で、お茶を飲みながら、昔の話を聞いたり、たわいのない話ができなくなる。公園にさく季節の花を一緒に見に行くことができなくなるということを考えるだけで、ブラックホールのような無限大の悲しみに吸い込まれていきそうになる。

病気や余命について家族と話していると、誰かが「余命数年といわれていた白血病の患者さんが、白血病とは関係なく、交通事故で亡くなったという話もあるよ。いつ、誰がどうやって死ぬかは、誰にもわからない。健康な人が先に逝くこともあるから…」なんてことを言っていた。死ぬことを心配するより、いつ来るかわからないその時まで、与えられた時間の中で、自分なりに、納得のいくような生き方―心残りなく「どうもありがとう、悲しむ必要はないよ」と最期に澄んだ気持ちで言えるような生き方―をすることを少しでも試みようとするほうが大切なんだろう。

日本ではなかったけれど、ホスピスのボランティアをやっていたときは、大きな理想を実現化しながら素敵なサービスを提供していた人たちが少なからず、身近にいた。末期の充実したケアに関心を持ち、ホスピスの活動に熱心だった医師、看護師、福祉士、心理士、事務員、地域の人々、家族、教師、生徒、牧師、心あるボランティアの人、患者、芸術家…。

その中に、いろいろな病院で音楽を弾いていた人たちがいた。今、手元にあるCD「Heart to Heart」をつくった芸術家、Susan Mazer(ハープ演奏者)とDallas Smith(木管楽器演奏者)も、病院やさまざまな小さな団体に支えられながら、音楽活動を行っていた。病んだり障害を持っている人びとのところへ行き、心に水を与えるような音楽をいろんな場で奏でていた。二人の一番の関心は、末期の患者さんとその家族や身近な人々を支えるホスピスケアにあった。

今、ここにいる日本の地元では、痛みや苦痛を軽減する医療、病気と共に余命を生ききることを支えるケア、心地よい生活を促す心身のケア、家族のケアなどを提供する緩和ケアについては全く聞いたことがない…。

家族では負いきれない負担があるから、社会があり、地域の支えがあるべきなのに、日本では身内の「重荷」は家族だけが背負う。個人の持つ「重荷」を支えあうという価値観はないのかなあ…。支えあいの価値観があるようだけれど、ない日本。不思議な国だ。

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国の「重荷」を支えることをますます期待される人々がいる国、日本では、個々の人々の負担や責任は「自己負担」「自己責任」という言葉で片付けられていっている変な風潮がある。

多面的に、ますます日本は、一人一人の生活する人々にとって「不思議な日本」になりつつある(新しい首相一族にとっては都合の良い「美しい国」になりつつある)。そんな社会形成を阻止しない、家畜化された、お行儀の良い、おりこうさんメディアの姿勢がなんとも怖い。
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2006/09/15

自由

偶然、同じ高校へ通っていた人のホームページを見かけた。とても懐かしかった。高校の時の友達とは疎遠になってしまっているので、余計、懐かしかった。

「高校制服もなく、自由な校風を自慢していた○○高校。しかし、形だけの自由ではなく、押し着せられた自由でもなく、自ら選んだ自由と責任で過ごした高校時代…」と記されていた。高校に入学する前、私もその自由に惹かれていた。「自由」にあこがれていた。

「高校時代は、桜の花を愛でている余裕はなかった。自分自身の生き方を獲得するために、私は一生懸命だったからだ。自分自身と社会との関わり方を真剣に考え実践し、その後の十数年間の人生を規定した、燃えるような二年半。あっという間のはずなのに、今でもずいぶんと長い期間、この学校で過ごした気がしている。私は○○高を2年ちょっとで退学してしまったけれど、あの二年間に勝るものには、未だに出会っていない。今でも、あの時代の考え方が、私の一部には残っている。いや、本質的な部分は、今でもあの頃の生き方を受け継いでいる。」

読んでいたら、自分の高校時代と重なるところが多い。同じような感覚が自分の中にも残っている。私は一年と一学期で退学した。自分の選択だったけれど、これで日本の教育とは「縁を切る」と心の中で強く思ったことを覚えている。(それ以来、日本で教育を受ける自分を想像すると鳥肌が立ってくるくらい、教育恐怖症になっている。)短い高校時代だった(ほとんど学校に通わなかった)けれど、自ら選び取った高校生活の中で、多感だったあの頃に受けた影響は自覚している以上に大きいと思う。

高校に入るまでは、中学校の厳しい校則、体罰、先輩後輩の関係で縛られていたこともあり、自分の生き方やあり方について考える暇も余裕もなかった。だからこそ自由な環境に身を置いてみたかった。私にとって、それが高校だった。でも、そのために、電車通学が始まり、昔からの友達とも違う高校へ行くことになってしまった。同じ中学校からは女子生徒は、私ともう1人だけがその高校へ入学した。その子は、中学生の頃から、医師が着るような白衣を着て、毎日塾通いしていた。同じ中学の生徒にはあまり関心がないようで、勉強熱心な生徒だったと思う。思い返すと一度も話をしたことがなかった。話してみたら結構面白かったかもしれない。

心身ともに拘束されていたような中学校の環境から、なんでも自由な高校の環境へ移った時、新しい環境に戸惑った自分もいた。北朝鮮に住んでいた子供が、ある日突然メキシコに移り住むような感覚に似ているのかもしれない。すべての規制が解かれ、誰からもとやかく言わない、自分で責任の取れることなら何でも許されていて、人の目や評価も気にしなくていい環境に置かれるような感覚。高校生になって、初めて、「自由」な環境の中で生きるって大変なことなんだと身にしみて感じた。今でもその思いは変わらない。「自由」と「束縛」のどちらかを選べと言われたら、大変さを知った今でも、即、「自由」を選ぶと思う。

2006/09/13

疎外感・孤立感と健康

最近、周りを見渡すと体調を崩している人が多い。

先週、ある大学の教授をしていた方ががんで亡くなった。彼女は大学の理不尽なやり方や行政を裁判を通して訴えながら、自らの研究を進めてきていた。突出した能力を持ち、また努力の人だったけれど、母校からは追い出され、移っていった大学でも孤立していたと聞いた。相当な疎外感や孤立感があったと思う。

大企業の取締役だったお父さんを持ち、まわりはみんな著名なお嬢様やお坊ちゃま。そんな環境で育った友人は、日曜日になると一人教会へ行き、その後、孤児院でボランティアをしていた。普段の日は自閉症の子供たちの教育に携わっていた。彼女の置かれた環境と彼女が持っていた価値観はとても異なっていた。日常の生活の中で、いつも孤立感を持っていたと思う。今は、ざっくばらんで家族的な教会を近所に見つけ、自分の居場所を得た様子。体調も安定してきている。彼女もがんの手術を二度ほどしている。

ほかにも思い巡らすと、孤立感や疎外感と体調の関係は深いと思わせる知人のケースが少なからずある。

食事や睡眠や運動も大切だけれど、理解されて、受け入れられ、つながっているという感覚が健康に与える影響も少なからずあると思う。孤立感や疎外感を持ちながらの生活はあまり健康に良くないんだろう。そんな感情を軽減するような人とのつながりや交流、またはそんな感情を持たなくてすむような環境に身を置くことも大切だと強く思う今日この頃。

2006/09/09

日の丸と星条旗、実家の放火とブログの炎上

昨夜、散歩をしていた時に、ところどころの電信柱に日の丸の旗がかかっていることに気がつきました。「日の丸の旗…?明日は何の日だっけ?」と一瞬、真剣に考えてしまいました。次の瞬間「あっそうかぁ…もしかしてこの日の丸は、あの方のお孫さんの誕生を祝福しているっていうしるし?」

こんな風に日の丸の旗がかかっている町の風景を見たのは、生まれて初めてです。日の丸の旗の掲げ方がまた不気味でした…。みんな同じ長さの棒についている同じサイズの旗。それらが同じ縄で、同じように電信柱にくくり付けてありました。と言うことは、ある人、ある組織が規則的に旗をつけてたのであって。町に住む人たち、一人ひとりが心から祝福して、自分の家にある国旗を個別に掲げているのでないことは明らかです。

日の丸がかかげてある電信柱を見あげながら夜道を散歩していた時、ある風景が思い出されてきました。それは、ニューヨークの貿易センターが、ビンラディンの率いるアルカイダに攻撃されたというニュースのあった9月11日以降、当時、私の住んでいたアメリカの住宅街の家々に米国の国旗、星条旗が掲げられた様子です。

自分の頭の中で<紀子さんの息子さんが生まれたことを祝福する日の丸の旗がかかげてある町の風景>と<911後に星条旗がかかげられていたアメリカのとある住宅街の風景>が重なっただけのことですので、それ自体に深い意味はありません。また、「日の丸や星条旗ってこんなときにも、かかげられるものなんだなあという、私自身にとっての小さな発見」があったというくらいなのですが…。

話がそれてしまいましたが、昨夜の散歩で見た、街中の「日の丸の旗」を思い出すと、9月6日に生まれた男の子は、この国を背負わされて生まれてきたんだなと感じざるを得ません。一人の人間には負いきれない重い荷を背負わされているような、そんな気がしてなりません。

また、昨夜のニュースで「乙武君のブログが炎上」という記事がありました。
「紀子さま出産」の記事に対してのコメントで炎上しているのです。見てみると、たしかに、コメントがたくさんあります。http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/mail/ その中にはいくつかの励ましのエールもありますが、ひどい中傷コメントも少なからずみうけられます。

「靖国参拝」について批判していた加藤紘一氏の実家の放火と、「紀子さまの出産」について一言述べた乙武君のブログの炎上に、これからの時代が進んでいく方向を予感させる何かが潜んでいるような気がするのは私だけでしょうか。

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世界平和の旗って、あのピースマークのついた旗かな。旗をかかげるのなら、今の時代、国旗をかかげるのではなく、あのピースサインの入った旗をかかげたい。

2006/09/08

現実逃避:ユートピアはどこに

最近の世の中の流れを見ていると、どこかへ逃げ出していきたくなってしまう。だからといってどこへ行っても、この世に私の描くユートピアなんて存在しない。

現実に嫌気がさしてくると、ちょっと想像力を膨らませて、こんな世の中あったらどうなんだろうと考えてみたくなる。

亜熱帯地方にある空気のきれいな町。人口密度は低くいけれど、赤ちゃん、子供、若い人、お年寄り、みんなが互いの利益を考えつつ、一緒に生活している。
建物は木造の平屋か、高くても2階建て。
車に乗っている人たちはあまり見かけない。ほとんどの人たちは歩き、または自転車。時々、バイクに乗っているひともいる。人力車に乗っていたり、車椅子の人も見かける。家のあるところに、複数の車線のある大きな道はほとんどない。町のはずれに国道があるくらい。
朝は山鳩の声が聞こえ、昼間はうぐいすの声が聞こえてくる。
周りを見渡すと田んぼがあり、緑の稲がきらきら揺れて光っている。
雪解け水が湧き出ていて、水が豊富。井戸水も安心して飲める。
町の人々の生活は自給自足で支えられている。
農民、芸術家、職人、寺小屋の先生、医師ら、女性も男性もみんなが一緒にまちづくりをしている。

人々は「欲」におぼれておらず、「もっと、もっとあれが欲しい、これが欲しい」とないものねだりしない。あるものに感謝し、質素だけれど「質」の高い日常生活を送っている。この町では、生活していくうえで、現金をあまり必要としない。

この町の人たちは、自分たちの大切にしていることを知っている。
この町の人たちは、いざこざがあっても、互いを許しあう術(すべ)をもっている。
この町の人たちは、自然の恵みのありがたさ、自然をいかすことの大切さを知っている。
この町の人たちは、与えられた命の大切さを知っている。
この町の人たちは、子供たちは天からの授かり者だといい、大切にみんなで育てる。
この町の人たちは、人間よりも偉大なものの存在を謙虚に信じている。
この町の人たちは、死を恐れない。すべての存在する生き物が経験する一つの出来事だと思っている。
この町の人たちは、飢えることがどれだけ苦しいことか知っている。
この町の人たちは、人の温かさや冷酷さ、人間の持つ限界を知っている。
この町の人たちは、自然の知恵、美、力の前では、人間がどれだけ無力であるかを知っている。
この町の人たちは、限りある人生の楽しみ方を知っている。
この町の人たちは、自分と他の人たちを比べたりしない。
この町の人たちは、互いをいかし合う知恵を持っている。
この町の人たちは、朝日と共に目を覚ます。夜は空いっぱいの星を見ながら寝入る。

こんな世界どこにあるんだろう。少なくとも私の頭の中にはある。

でも、もし実際にあったとしても、移り住まないだろうと思う。

私が本当に生活したいところは、愛する人たちがいて、自分が必要とされている場所。

2006/09/05

高齢化社会到来

私が不在だったお盆休みの間、母は救急車で、入院。
過労とストレスが原因だった様子。やっと退院したものの…。まだ本調子じゃないから、傍にいて見ているのが辛い。でも、気力は私よりあり、気持ちだけは元気。母の声は若づくりで、母が電話に出ると友達から「20代くらいの女性だと思ったよ~」とよく言われる。いつも、朗らかで弱音も文句も言わず、気が利き、よく働く母。昔から、睡眠一日2~4時間しかとらない。私が「8時間寝ないと、頭が働かないよ~。もうちょっと寝かせて~」と泣き言をいうと、「寝すぎじゃないの?寝る子は育つというよ。もう縦横大きくならなくてもいいんじゃない?」とからかわれる。母は自分が不死身じゃないことが今回の入院で身にしみてわかったと言う。「身体って、こんなにもろいものだと思わなかった…」と一言。「どうかこれを機会に自分の体をいたわってください。自分にとって心地よい生活ができるように心がけてください。睡眠は大切ですよ」と伝えたけれど…。これを機会に生活習慣を見直してくれれば、病気になったことも、良かったと思える。

高齢の祖父は肺がんかもしれないとのこと。脊髄の手術をする予定だったけれど、急遽肺がんの治療のために入院することになるかもしれない。2週間くらい入院したら、歩けなくなってしまうだろうと思う。今だって、やっと歩いているくらいなのだから。「歩けなくなったら、みんなに迷惑かけるから…」って心配ばかりしているおじいちゃん。(神様…、おじいちゃんが肺がんでないことを祈ります。)

祖母はリュウマチ等の整形外科的な慢性疾患を持ち、介護度2だけれど、自宅でなんとか生活している。市役所の人が介護保険の査定に来ると、「よく家で生活していますね!」と驚かれるくらい手足が変形してきている。また、リュウマチの痛み止めの薬を1錠でも飲み忘れると、次の日は激痛が体に走り、ほとんど動けなくなる。そんなときは、薬の威力ってすごいなぁと思う。祖母は昔、卓球やマラソンや日本舞踊などをやっていたこともあり、基礎体力は十分にある。転んでも骨は強く、折れたことがない。よく転倒するれど、なんともなく起き上がってくれるので周りにいる人たちは救われる。だけれど、強いリュウマチの薬の副作用で、毛細血管が脆くなったり、免疫力が大分落ちているので、傷がなかなか治らない。かばんの角に腕がちょっとふれただけでも、腕の皮がむけ、知らないうちに血だらけということも。こんなことは日常茶飯事。

あ~、これから、どうなるんだろう。

両親が忙しくしていた頃、私は幼稚園や学校から帰ると祖父母の家に行っていた。おじいちゃんとおばあちゃんは両親のよう。折角、嫁にも行かず、近くにいるのだから、できることはしてあげたい。(おじいちゃんやおばあちゃんは、曾孫の顔が見たいんだろうなぁ。今は結婚して、子供つくるだけが人の生きがいでなく、いろんな選択肢があるから。これだけは希望に添えない。家族の手から離れていた間に、既存の主流社会の枠に収まらない孫娘になってしまいました。ごめんなさい。)できれば、祖父母には最期まで家にいてほしい、近くにいてほしい。いつでも会いたいときに会える距離にいてほしい。入院して、チューブや点滴につながれて、長い間、寝たっきりになってほしくない。そんなかわいそうな姿見たくないし、本人たちだって嫌だと思う。ぽっくりと、畳の上(やベットの上)で寝ている間に、痛みなくしてすーっとこの世から天に行くことができたらいいんだろうな。私だって、できればそうやって死にたい。もがき苦しんだ末、死ぬのは嫌だ。最先端の医療技術を使い、延命治療を施され、体にはいろんなチューブがつながれ、いろんな液体が体内に流され、排出物もまたチューブから出され、生きているのか、死んでいるのかも自分でわからない状態のまま、長い間、生かされるのも嫌だ。

今年の四月の介護保険の改正で、介護保険も使いにくなった。障害者へのサービスも同様だけれど、公的福祉サービスを使いにくくして、歳出、そして将来的に福祉予算を抑えよう、抑えようとしているのがあからさまだ。

この辺では、以前から、介護タクシーや移動サービスがないから、お金のある人は自費でタクシーを利用している。家族がいる高齢者は、若い人が車を運転し、足になっている。独居の高齢者が自宅である程度の質の確保された生活をするなんて、今の介護保険制度では無理。

お金のある人は、ある程度の年齢になったら、医療サービスがついた有料老人ホームに入るのだろう。医療付の有料老人ホームは高額だと聞く。お金のない人は、家族に介護されるしかないのだろう。お金もなく、家族もいない人は、最低限の公的サービスを受け、独りで亡くなっていくのだろうか・・・。生活している地域で、親身な医療・福祉サービスが提供されていれば、ある程度のケアは受けられるかもしれない。また、血縁など関係ない共同体をつくって、できる人ができることをやり、互いに家族的なケアを提供することも可能だと思う。そのためには、元気な人もたくさんいる多世代共同体でなければならないだろうし。課題は山のようにある。

人事じゃない…。

2006/09/02

レイプ

なぜか、昔、友人たちがしてくれた話を最近よく思い出す。
10年以上も前の話だけれど、昨日してくれた話のように思い出す。

一緒の部屋で寝ていた時に話してくれた。いつも元気な彼女が、夜、暗い部屋の中で毛布に包まりながら泣きながら話してくれた。子供の頃、おじさんに性的に遊ばれたこと、レイプされたこと。カウンセラーに初めてその話をし、心身ともに救われたこと。彼女は将来カウンセラーになりたいと言っていた。今は、素敵なお母さんになっている。

もう一人の友人は、休日の昼間、私の部屋で一緒のベットに横たわっていたときに話してくれた。小さい頃、彼女も親戚のおじさんに性的にいたずらされた。嫌な経験だったので、記憶から消そう消そうとしていたと言う。でも、レイプの話が授業中、話題にあがった時に、「ああ、あれがレイプだったんだと」昔の記憶がよみがえってきたという。どうしても押さえつけられなくなった記憶は、彼女を悩ませ苦しませた。男性不信でもあった。「子供もきっとできないだろうから、つくりたくない」といつも言っていた。学生時代に出会った年下の優しい男性と一緒になり、今は子育てで毎日忙しくしている様子。

そして、とっても仲良しだった友達もレイプされた経験がある。そういえば、彼女が辛い経験を話してくれたときは、まだ私も彼女も未成年だった。飲酒禁止の場所で、密かに二人で床に座って、夜通しお酒のボトルを抱えながら飲んでいた時に、いろんな話をしたんだった…(年上の友達に頼んで、お酒を買いに行ってもらったんだったなぁ。)彼女は子供の頃、自宅で親戚のおじさんにレイプされた。しかも長年に渡って…。知っていたにもかかわらず、彼女の両親は止めに入らなかった。自分の体がとても汚く嫌なものだと感じていたと言っていた。男性は怖いと言っていたけれど、学校を卒業して早くに結婚した。盛大な結婚式には複雑な思いを抱えながら出席した私…。でも、彼女が幸せになるんだったら、私が悲しむことないんだと自分に言い聞かせた。医師志望だった彼女は、今、医療関係者として働き、二人の子供を産み育てている。

みんなとっても素敵な女性たち。

当時を振り返ってみると、みんなの辛い思い出を、ただただ聴くことしかできなかった。

今では、みんな結婚して、子供もいる。時間はあっという間に過ぎていく。何年も前だけれど、友人たちの結婚式に行った。毎度、結婚式の終わりには、新婦の花束は私の手元にきた。そして「次はあなたの番よ!」とみんなから言われた。「そうなのかなぁ、そんなわけないよなぁ」と思う私がいた。

う~ん、まだ独身な私。よほどひねくれ者なんだろう。

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自分のことよりも、大切な友人たちに幸せになってほしいと思っていた。
自分だけが幸せになっても、心からうれしく思えないから。
みんなが結婚して落ち着くまで、自分のことが考えられなかった。
もういいかな、自分のことを考え始めても…。

でも、そばにいる大切な人がまず幸せになるのを見届けないと…という気持ちがいつもどこかにある。

2006/09/02

若者への期待

最近、いろんなところで若者バッシングが目に付く。

若い人はあぶない。
若い人は仕事をすぐやめる。
若い人はコミュニケーション能力がない。
若い人はすぐに切れる。
若い人は何を考えているのかわからない。
若い人は人を見下す。
若い人はなどなど・・・。

そんな風に思われている、見られていると感じるととても悲しくなる。

どうか、これからの世界を担う若い人たちに期待をかけてください。
人は期待されたように、育つものです。
「あいつはできない」と思われたら、できる人も「できなくなります。」
「あいつはすぐに仕事を辞めるだろう」と思われたら、続けようとがんばって始めた人も「やる気を失います。」

どうか、若い人たちの可能性を奪わないでください。
どうか、若い人たちの置かれている状況を理解する努力をしてください。
どうか、若い人たちをつぶさないでください。
どうか、若い人たちを使い捨てにしないでください。

切実なお願いです。

若い人たちも、世代を超えた人々とのつながり、相互理解、平和で寛容な社会、心地よい生活・職場環境を求めているのです。

2006/09/01

「場」づくりの必要性

今の世の中の流れにとても強い不安を感じる。インターネットで一人ひとりが密につながっているような気がしても、情報が自由に行き来しているような気がしても、所詮、ネットでのつながりは巨大組織(電話・通信会社やプロバイダー会社等)に依存して成り立っている。「限定された対象者だけにサービスを提供することにしました」「ネット上のすべての情報は、公開される前に一度確認されます」「不適正と判断された情報は公開されないこともあります」となったら…。ちょっと怖いことになる。ネット上の世論の形成や情報のコントロールなんて、とても簡単にできてしまうんだ、ネット上のつながりは案外脆いのかもしれないと考えるたびに、鳥肌が立ってくる。

あまりテレビを見ないのだけれども、昨夜数分間テレビをつけていたら安倍さんが靖国参拝のことについてコメントしていた。靖国参拝と外交との関係について触れていたが、参拝するかしないかまったく言わない。自分の意見を言わない。「この人は限りなく秘密主義者なんだろうか」と思わせるようなコメントだったので、ぞっとして鳥肌が立ってきた。彼のような人が首相になったら、何も言わずに水面下でいろいろなことを計画し、自分の計画に沿うような情報だけをどんどん流していくようなこともあり得るかもしれない。時の権力が、巨大メディアに依存している多くの人々をコントロールすることは難しくないことだろう。

上記のようなことを考えるたびに、「場」の必要性を切実に感じる。人々が直接、顔を会わせられる場。人々がネットに依存しなくでも集まれる場。停電しても集まれる場。情報を流し受け取れる場。人々が思いを語り合うことができ、意見を交換できる場。笑いや涙を共有できる場。助け合いのできる場。隠れ家にもなり得る場。安心して集える場。それは、喫茶店でも、美容院でも、診療所でも、学習塾でも、作業所でも、集会所でも、農家でも、雑貨店でも、民家でも、デイサービスでも、会社でも、どんな「場」でもいいと思う(できれば「権力や行政の息のかかっていない小規模な場」)。 人が集まり、互いの顔が見える「場」が必要だと思う。そんな場が各地に点在し、その点と点がつながることができれば、ネット上の情報が権力にコントロールされても、ネット上のつながりが途絶えてしまっても、人々はつながっていられる…。

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るるど

Author:るるど
好きな言葉:"Differences are not a threat, but a treasure" by Jean Vanier (ジャン・バニエは、尊敬する人の一人です)

email: mariaatlourdes@hotmail.com

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