るるどの覚書

全く私的な独り言から、素朴な疑問や社会的な関心ごとまで、北欧での生活の中で感じたり、思ったり、考えたことの覚書ブログ。気軽にコメントして下さると嬉しいです。

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2006/07/29

日本での生活

日本に戻ってきてから、あと数ヶ月で、早二年が経とうとしています。
スイカの使い方にもなれ、電車の乗り換えも人並みにできるようになりました。人にぶつかっても謝らず、ずかずか歩く人たちに遭遇すると、少々不愉快になりますが、慣れてきました(まだ、人にぶつかると「ごめんなさい」と言ってしまいます。東京で「ごめんなさい」と言う人を見かけたら、私かも?!しれません。)レストランやお店では、店員さんたちは愛想が良く、てきぱきと同じ言葉で対応する様子が、型にはまったロボットのようで、妙に寒々しく感じられ「この人たちは本当は何を感じているんだろう、どんな対応をしたいのだろう」と思うこともたびたびありますが、それにもだんだんと慣れてきました。「すみません」「申し訳ございません」という言葉にも慣れてきました。「お疲れ様」「ご苦労様」という言葉も、TPOに合わせて使えるようになりました。他にも色々ありますが・・・、だんだんと慣れてきています。

でも、今だに、ちんぷんかんぷんなことを時々言うので、あきれ返られたり、笑われたりしてます(昔から天然ボケの傾向があるので、からかわれるのは日常茶飯事。)割り切って私を「外国人」だと思っていたほうが、周りの人たちも私もお互いに楽なようです。以前は、頻繁に注意されたり、怒られていましたが、今では周りの人たちは、「日本の大人」になる「望みのない私」をあきらめたのか、または「変な私」に感化されてきているようです。

最近、日本はすごいなぁ、さすがだなぁと感心させられる出来事がいくつかありました。

一つは、満員バスの中でのことです。一人の乗客さんが降りる時に、小銭を持っていませんでした。運転手さんは「5千円両替できる人いませんか~」とバスの中にいる乗客さんたちに問いかけました。するとバスの中にいたお客さんはいっせいに自分のお財布を取り出し、中を見はじめました。すぐに「あります!」とお金を前に持っていく乗客さんがいました。これにはすごいなぁと感心しました。
(両替は運転手さんの仕事、また小銭を持っていないまま搭乗したのは乗客さんの責任と割り切らないところがすごい。そして、お財布にお札を持っていることを周りの人に知られることに対しても抵抗感がないのは平和な証拠だと思う。)

二つ目は、多くの人で混雑している駅の中でのことです。下を見て一生懸命に探し物をしている40歳くらいの女性がいました。そこを通り過ぎる人たちの多くの人たちは一瞬立ち止まり、20人くらいの人たちが「どうしたのですか」と聞き、女性が落としてしまったハードコンタクトレンズを、一緒になってかがみこんで探し始めたのです。みんなで30分くらい探していました。結局、見つかりませんでしたが、これまたすごいなと思いました。最後には「あなたの目の中にあるかもよ。ずれちゃったんじゃないの」と親切に目をのぞいて見てあげている女性たちもいました。
(夜11時頃の混雑した駅の中で、みんな疲れているだろうに、一緒に探す人たち。その女性が一人で探しているのが、かわいそうに思え、見過ごせなかったのでしょうか。そうであれば、他人に対してのこの共感度はすごいことだと思います。どこかにあるかもしれないと思いながら、コンタクトレンズをもくもくと探し続ける人たち・・・。帰り際には、その女の人に慰めの言葉をかけていた人も少なからずいました。他人事だと思って、通り過ぎないところがすごい。)

このような場面に遭遇すると、こんな日本にいられて幸せだなぁと心から思います。人間として素晴らしい人たちがたくさんいる社会なんだと思います。たわいないかもしれないけれど、このようなほのぼのとした場面に遭遇できる社会であり続けますように。

組織や厳しい画一的な管理によって、潰されている人たちも少なくないと感じますが、まだ日本には希望が残っているのかもしれません。そしてその希望は、行政や企業などの組織に託されるべきではなく、一人一人の意識にゆだねられるものだと思います。

多くの人々が「一人ひとりの意識」の尊さ、偉大さ、影響力に気づくことができれば、もう少し住みやすい社会をつくることができるのではないのでしょうか。〔大衆のつくりだす「空気」は、今の日本においては人々が意識している以上に、影響力があるものだと思う。だからこそ、一人ひとりの持つ意識に意味があり、重要なのです。〕
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2006/07/23

ぼくにとっての家‐戦場

ぼくの家はまるで戦場のよう。

両親は仕事ばかりで、朝早く家を出て、夜遅く戻る。
二人ががたまたま家に居合わせると喧嘩ばかりしている。となりの部屋から怒鳴り声や茶碗や電話や本を投げる音が聞こえてくる。

あるときは冷戦状態で、誰も口をきかないし、互いの顔も見ない。
互いを避けるようにして生活する。食事はもちろんみんなが、別々に外食ですませるだから、食事中の会話もない。家の中は、ひんやりとした冷たい空気が蔓延している。

時々、僕も攻撃を受ける。
父親に殴られ、両目のまわりに青あざのまま学校に行くこともある。
理由は誰にも言わない。「ぶつけちゃった」と言ってごまかすと、誰もそれ以上のことは聞いてこない。

妹に対しても、罵声を浴びさせる父。
父は酔うと妹の部屋に行くが、そこで父が何をしているのか知るのが怖い。

妹は時々ナイフで肩を傷つけている。
手首じゃないから、リストカットでなく、ショルダーカット。
水泳の授業の時「傷の見えない水着を用意するように」と先生に注意されたそうだ。そんな水着あるのか?妹のことは心配だけど、僕には何もできない。

父が暴力を振るっていることを察している母は黙っている。
生まれてきてしまった僕と妹せいで、父と別れられないと言う母。
母は僕たちを恨んでる。まだ、僕と妹が小さかった頃、僕らを施設に入れるという話もあった。

戦場に友人をつれてくることはできない。
本当はみんながぼろぼろだけど、外から見ると、一見幸せそうな家庭に見えるらしい。「幸せな普通の家族」のふりをし続けることだけが心の支えになっている。

誰も家にいない時だけが、平和な時間。
早く経済的に独立してこの家を出ないと、僕も妹のようにつぶされる。
早く脱出したい。
*********************
特に、子供たちにとっては、家の中が「一番危険な場所」であることも、少なからずあるということを、知人との会話の中で改めて気づかされました。

<8月1日追記>家庭内暴力、家庭内不和、ショルダーカットや水泳の授業などに関しては実際に知人から聞いたことです。(知人の生徒たちが少なからず体験しているとのこと。)それを組み合わせて私が「僕」になり綴った次第です。

2006/07/19

一未復員兵からの話

先日、戦争中に服役していた時に、精神病院に入院した方とその頃の看護師さんから話を聞く機会があった。

戦争の終わる約6ヶ月前に赤紙が来て、入隊したとのこと。
彼は平和主義者だったが、やむなく家族にお別れをした。
その頃すでに日本が勝てるような状況に置かれていないことは明白だったようだ。そして、彼はその事実を言うたびに、上官から頭を鉄の棒で殴られ、何度も失神してしまったと言う。そのうち食べ物が喉を通らなくなり、拒食症になった。使い物にならなくなった彼は精神病院行きになってしまった・・・。

彼が入院していた精神病院には約800名の入院患者がいた。そしてそのうち約100名くらいが未復員兵だったという。そのうちに未復員兵を故郷に返そうという動きが病院内で生まれた。でも、ほとんどの家族の返答は「お国に一度ささげた命ですから」というものだったという。国からも家族からも見捨てられた兵士たち・・・。

その病院では、ロボトミーや電気ショックが行われていた。月、水、金は男性で、火、木、土は女性というような方法で電気ショックが行われていたとのこと。

彼と同じ病室には、多くの梅毒の患者さん、犯罪者もいれば、親に反抗してた15歳の息子も入っていたと言う。いろんな人がごっちゃ混ぜ状態だった様子が伝わってくる。親に反抗してナイフを向けた15歳のお肉屋さんの息子さんは「治療」の一つとしてロボトミーを受けたと言っていた。それは周りにいた患者さんたちにはショックだったようだ。ロボトミーの「治療」を受けた人たちはみんな「廃人」になっていった・・・と看護師さんは言っていた。また「精神病院よりも、刑期のある牢獄のほうがまだいい。精神病患者になるより、弁護人がつき、法に守られる犯罪者のほうがまだいい。牢獄へ入れてくれ!」と精神病院を脱走した人もいた。その人はすぐに精神病院に戻され、保護室に閉じ込められたと言う。

戦争が始まると、お国の為にならない人たちは、人権のある人間として扱われなくなる。敵も、高齢者も、病んでいる人も、障害者も、国に逆らう人々も、国に負担のかからないように、大義名分の下に隔離され、処分される対象になるのだろう。限りある食やエネルギーはお国の為になる人々に使ったほうがよいと考えるのだろうから・・・。

そして、恐ろしいのは外からの攻撃だけでない。国内においても人命の軽視や人権の略奪など、より恐ろしいものが「常識」となってまかり通り始めるのだろう。

食の自給率、エネルギー資源の自給率が低く、外国への依存度の高い日本が、独立した自国の軍隊を持ちたいなどと言うのは、軍隊を持つことによってメリットを得る人たちのエゴや私利私欲にすぎない。もし、日本が戦争を始めるようなことになったら、日本にいる多くの人々が犠牲になり、飢え、負け戦になることは、戦争を始める前からすでに明らかであるような気がしてならない。今でさえ、多くの人々が企業や組織によって使い捨てられ、多くの人々が自殺まで追い詰められ、生存権を脅かされ飢え死にしたり、孤独死している人々のいる「先進国」「経済大国」日本。「平和」な時でさえ、国や社会はひとりひとりの人間を大切にしていないのだから、もっとひどくなることは容易く想像できる。

日本が「普通の」独立国家として、独自の軍隊を持つことを考えるのならば、軍隊を持つ前に、食とエネルギーの確保が先決ではないだろうか。まず、生存する為に最も基本となるものを、外国に依存せず、自給することについてこそ真剣に考えるべきではないだろうか。それが無理であるなら、軍隊の自立ばかりについて安易に口走らないほうがいいと思う。

食もお金もエネルギーも軍も生活も人もすべてが依存関係の中で世界が成り立っている今の時代、強者の論理や都合によって始められる国対国の戦争なんて、少数の権力者にしてみれば、自分たちの利権やエゴや富の為に行う戦争ゲームのようなもの。そして、その戦争は取り返しのつかない多くの人々の犠牲の上に成り立つ。

戦争は社会的弱者や厄介者を処分し、世界の中でもごく少数の力あるものがより多くの富を略奪し、獲得する絶好のチャンスなのだと思う。強者の論理によって洗脳されてはならない・・・。

2006/07/15

夏祭り

今週末はわが町の夏祭り! 小さい頃からおみこしをかつぐことが大好きなので、おみこしを見ると血が騒ぎ、体がうずうずしてきます。

さらしを体に巻いて、お祭りのはんてんを着せてもらい、お化粧をしてもらえるので、1年間363日がこの2日間のお祭りの為にあるくらいに、待ち遠しかったです。みんなで大きな声を出して、汗だくになっておみこしをかつぐことを一度味わってしまうと、やみつきになり、忘れられないものです。食べたり飲んだりの休憩も楽しみの一つです。

小学生の低学年の時は、大人みこしの上に乗せてもらい、かついでもらうのが夢でしたが、あっという間にこんなに大きくなってしまい、今となってはかなわぬ夢です。この念願の夢が、かなわぬ夢になってしまったと気づいた時のがっくりした気持ちは、なかなかわかってもらえないだろうな。

中学校の時は、お祭り明けの月曜日には、肩にはあざ、喉はガラガラ、声は出ない、そんな風にして登校したこともありました。それもよき思い出です。

今年は体調がすぐれないので、道の端で見学です。来年の夏はかつぎたい!ともうすでに今からわくわくしています。最近はかつぎ手も足りないようなので、重宝されるかもしれないなぁ。力と声の大きさだけは負けないぞ~。

ちまたでは「まちおこし」「まちおこし」と声を高くして崇高な理念ばかりが叫ばれているけれど、これこそ、まちおこしなんだと、お祭りびいきの私は思う。


<7月16日お祭り後 追記>
今年は、特に、お祭りの終え方にとても違和感を持ちました。後味が悪いお祭りで、悲しい気持ちで夜道をてくてくと歩いて帰ってきました。

お祭りの終わる1時間前から、30~40人の警察官が交差点の中央に立ちはだかり、威圧的な雰囲気をかもし出していたのです。

さらに、「露天商は早く片付けに入ってください!もし10時までに路上から立ち退かなければ、来年の出店の許可は取り上げです!」という大きな威圧的な男性の声がスピーカーを通して、お祭りの終わる一時間前から5分おきくらいに響き渡ってきました。そんな威圧的な大きな声が(北朝鮮の方に失礼なのですが・・・、北朝鮮の男性のニュースキャスターの声と同じようでした。)、牧歌的に楽しんでいる町の夏祭りの中を響きわたるのです。これは以前なかったことです。

お祭りの牧歌的な雰囲気とは、あまりにも異なり、恐ろしく感じました。事件や事故があったわけではありません。昔からお祭りには、警察官の姿は見られました。でも、これほど多くの人数の警察官をみたことがありませんでした。また、今年は一番目につく場所を陣取って二日間のお祭りを、テントの下で腕組みをして監視していました。

警察官は、まだ終わるまでに30分以上もあるにもかかわらず「もうおみこしはここにはいません。もうおみこしは戻りました。もうおみこしはここへは来ません!今年のお祭りは終わりです!!!!」と叫ぶのです。そんな叫び声が上のほうに取り付けてあるスピーカーを通して、広域に響き渡るのです。とても悲しかったです。子供たち、若い人たち、大人たち、おじいちゃん・おばあちゃんたちも、まだ、たこ焼き、カキ氷、あんず飴、お好み焼きなどいろんなものを売っている露天商の前に長い列をなして待っているのです。そして、歩行者天国の路上には、多くの人たちが浴衣やはんてんやじんべいさんを着て、ぼちぼち歩きながらお祭りの雰囲気を楽しんでいるのです。それなのに、警察の威圧的な声が町に響き渡るのです・・・。そして、30~40人の警官が威圧的に群れになって交差点の中央に出て、いかにも「言うことをきかないと取り締まるぞ」という雰囲気を放ちながら、立っているのです(警察官は、その周りや、他の場所にもたくさんいました)。

スピーカーからの警察官の大きな声や大勢の警官の姿は、人々を道の隅のほうへ追いやりました。みんなばらばらと散ってしまいました。まだ、10時前なのに、人々が警察権力に追いやられるようにして、お祭りが終わるのかと落胆していると・・・、向こうの方から大きな声が聞こえ、おみこしが見えて来ました。9時40分頃、灯のついた堤燈を持って大勢の人たちが群れになって、まちの中心に戻ってきました。おみこしを担いでいる人たち、その後ろをついて歩いている多くの子供たちや大人たち、そんな人々の群れが、警察の群れに対抗する「人心の救い」であるかのように見え、うれしくて、うれしくて、目に涙がいっぱいになってしまいました。

警察の威圧的な声や露天商に対しての脅し声で、昔からの地元のお祭りを終えたくなんかありません。

お祭りは、そこにいる人たちによる締めの一声と手拍子で終えたいものです。

警察の影響力が増している今日この頃、人々の心は、このようにじわじわと荒らされていくのでしょうか・・・。

2006/07/15

生活保護について 日常生活の一場面

実在している人の日常生活のひとこまです。

<彼は慢性疾患と障害を持ち、家族とはほとんど縁がなく(色々な事情で、お父さんのお葬式にも参加できなかった)、生活保護を受けて生活しています。これから8月の中旬までの一ヶ月間、一日500円で生活しないとお金が足りなくなるそうです。ニコチン中毒もあるので1箱300円の煙草からも手が離せません。以前、何度もやめようと頑張りますが、いつも無理がたたり、ひどいリバウンドがあります(他の病気も再発してしまう)。医療者は「ほどほどならいいよ吸っても」と言うそうですが、中毒者にとってはその「ほどほど」が苦しいのです。病気を持つ障害者の彼に、医師は禁煙のための「治療」はすすめないようです。>

先日、その彼から冷蔵庫が壊れ、風呂釜も壊れてしまったと電話がありました。

電気屋さんに行って一番安くて小さい冷蔵庫を見たけれど、生活保護を受けているとローンが組めないと言われたそうです。ローン(無利息)を組んで月に3000円くらいづつ返済するのは現実的だと思うけれど。でもだめだったようです。それから市のケースワーカーさんに連絡すると「そうですか」と言うだけだったとのこと。きっと「お金がなくて数日食べていません・・・」と言っても、「そうですか、御連絡ありがとうございます」で終わりなのだろうなと想像してしまった。

あまり使っていない小さめの冷蔵庫が家にあったので、それをきれいにして持っていくことにした。「この暑い日が続いている時期に、冷蔵庫がなかったら生活が大変だ」と母は思ったそうだ。早速、入っていたものを出して、きれいにした。

家族が車に冷蔵庫を入れて持って行き、壊れた古い冷蔵庫をうちに持ってきた。(その知人は「冷蔵庫のリサイクルに5000円かかるから、そのまま部屋においておいていいです」と言っていたそうだけれど・・・。そうです、その5000円を払う余裕もないのです。)

父は初めてその人のアパートに行きました。戦前に東京で生まれ、戦争中に育った父でさえも、その人の生活の場であるアパートのひどさには驚いていた。「あれは、戦前戦後によく見かけたアパートだよ・・・。」ガラクタでもゴミとして捨てられなく、ゴミ捨て場のような所が好きな父も愕然とするようなアパート。安心して生活できる場からは程遠いものなのです。

家で待っていた私は、父が持ってきた冷蔵庫を見てショックを受けました。腰くらいの高さの小さめの白い冷凍庫のない冷蔵庫。もともとは白だったのでしょうが、さびと汚れで、茶色でした。リサイクルショップにある古い冷蔵庫などを見たことはありましたが、あれほどの冷蔵庫を今の時代に使っていたことを知り、ショックでした。

病気と障害を持ちながら、生活保護を唯一の命綱にして生活している彼に医療費負担なんて残酷すぎます。生活保護費が下げられ、医療費が自己負担になったら、生きていくことは不可能です。このことを考えると気が重くなります。人事ではありません。

彼は40代です。体調があまり悪くない時に、仕事を探しに行きます。でも、だれも、どこのお店や会社も仕事を提供してくれません。また、ボランティアでもいいからと言って高齢者の施設に面接に行きましたが、断られてしまいました。

私は、そんな彼の姿にいつも励まされます。自分が落ち込んでいるときには、よき話し相手になってくれる人です。

うちの家族も生活が楽なわけではありません。私の家族も大変だからこそ、重荷を抱えているからこそ、彼のことが人事に思えないのです。「お互い様」ですから、できる範囲内のことは互いにできるのですが・・・。冷蔵庫はタイミングよくありましたが、いつもそんな風に必要に応じて何かできるわけではありません。

彼のような状況に置かれている人たちが、地域で生きていけないような社会づくりがどんどん進められています。

これは彼、個人の問題ではありません。これは社会問題です。これは政治問題です。施策づくりに直接携わる人々には、生活者の顔や姿を思い浮かべて行ってほしいと切に願います。

日本にいる人々は、この日本に人間として「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を持ち、生きる権利があるのです。

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参考:(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

日本では、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定する日本国憲法第25条第1項が生存権の根拠となっている。

日本国憲法第25条(生存権、国の社会的使命)
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

生活保護法(せいかつほごほう;昭和25年5月4日法律第144号)は、生活保護について規定した日本の法律である。

生活保護法の目的は、「日本国憲法第25条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長すること」(第1条)とされている。

2006/07/10

脱<いい子>の奨め

70歳近い知人が「最近の官僚や役人は、頭の良い、いい子で真面目な人ばかりだ」ということを言っていた。それ以来、それがなんとなく気にかかり、いろんなことを考える。昔、官僚になる教育を受けた彼女は、そんな<いい子>たちが「怖い」と言う。仕事を黙々とロボットのように完ぺきに、間違いなくこなそうとするまじめな人たち。余計な会話はしない。仕事と直接関係ないことは見ようとも、聞こうともしない。融通も利かない。彼女は「優秀な官僚ね」と感心しながら、皮肉を込めて言っていた。そんな人たちはシステムの維持・発展の為に、組織やシステムの一部として従順に機能的・効率的に動くことが得意なのだろう。市民に「苦を強いるような制度」についても、綺麗な言葉や図表を使い、もっともな制度であるかのように提示することも得意としているようだ。

(役人は書類ばかり見る、というか「現実」はどっちでもいいのか、書類しか見ない。そんな監査ばかり。福祉の業界でも、建築の業界でも、実際の仕事そのものよりも、書類の作成や整理ばかりが強いられ、直接に現場に携わる人たちは「良い仕事」がしたくても、時間も人手も足りなくて、できなくなってきているという。話がずれてしまいました・・・。すみません。)

そんな風に真面目に仕事を一生懸命こなしている役人たちが、行政の手先として障害者の作業所や生活支援センターに来て、心ない監査を行う。作業所や生活支援センターの施設も見学する時間がないと言って断る役人。現場の苦労や大変さは一切聞こうとしない役人。書類上の数字ばかりを目で追っている。計算機まで出してきて、数字が合っているかチェックする姿。あら捜しが仕事なんだろうか。

戦争が始まれば、そんな人たちは率先して敵人を殺すことを奨励するのだろう。そして、同国の非国民の取り締まりを始めるのだろう。

金子光晴のような反骨精神を持って、言動の矛盾を追求し常に本質を探り、世の中の眼差しをものともせず、<いい子>になることにこだわらない人はまだこの世にいるのかなと考える。

そういえば、『<いい子>じゃなきゃいけないの?』香山リカ (2005年9月:筑摩書房)のなかで、著者も子供たちや若い人たちに脱<いい子>を進めている。

金子光晴のように、型破りで、自然体で生きる人がもう少し増えると、ちょっとは住みやすい人間社会ができるように思う。彼の生き方は、人が組織やシステムに組み込まれ、人間が人間以上のものになれるような幻想に支えられて生きるのではなく、人間が等身大で自然の一部として生きることが可能であることを示してくれる。<いい子・いい人>になって大きな組織(教育、役所、企業など)に属して頑張っている人たちは、人間が人間以上のものであるということを証明することに、盲目的に一生懸命、賛同しているような気がする。

人間が人間以上のものになろうとしている間は、平和の道を歩めない。

********************
権力の指示に背くことによって多くの人々の命を救ったオスカー・シンドラー(ドイツ人実業家)や杉原千畝さん(外交官)のことが頭に浮かんできた。時代の大きな流れに背き、第二次世界大戦中に迫害されていた多くのユダヤ人を救った人たち。権力者がどんな指示を下そうと、時代の流れがどうなろうと、人として正しいことしようと試みる人たちは少なくないのかもしれない。

2006/07/09

「不圧迫、不暴力、不恐怖、不分離」

『世界的にのびやかに:高良とみの行動的生涯』
           高良留美子編(2003年ドメス出版)

『世界的にのびやかに:高良とみの行動的生涯』のp.97~99に「平和に絶望してはならない」という、1950年~51年に書かれた高良とみさんの文章が載っています。

*高良とみさんは、1922年に米国のコロンビア大学でPh.D.を得て、1929年にはタゴールを日本に招き、そして1938年にはガンジーを日本に招くためにインドへ行ったり、その他多くの活動を行い、平和の為に尽くした女性です。

一部抜粋させていただきます。
「個人の思想と民主的な批判の自由の未だ充分発達する時間と余裕を持たない日本の社会ではあるけれども、そして権威の仮装をつけたものの前には弱気で、金持ちと偉い人には巻かれろ式の封建習慣を多分に残している民衆ではあるけれども・・・しかし自分の身にふりかかる生き死にの運命、自分の子を夫を、妻を親を空爆と原爆にさらすことについては、イエスかノーかはすでに決まっている。ただそこへ行く途について、つまり「平和への道は」どちらなのかに皆が迷うのである。 これについて、マハトマ・ガンジーは、「平和を欲するならば、平和の手段を積極的に選んで行きなさい。手段が悪いと目的まで破壊されてしまう」という。これは「道義を力とする勇気のある者達の道です」から、「臆病で不安で小心翼々としている人びとは、敵前逃亡をするよりは、剣を取って戦った方がよい」。最も下等なのは、自分の恐怖のために他人他国へ犠牲を求めることである。
 平和のためには、方法を選ばないというのではなく、何段階も選ばなければならない方法があって、その根本はやはり人の心にあり、安易な道や依頼心をもっていては、平和は降ってくるものではないことがよく分かる。否むしろ平和は、粒々辛苦、日夜にあらゆる誘惑や安逸を退けて、国としても個人としても、近隣や世界とどうして友好信義を推し進めて行こうかの努力から生まれるのである。隣邦中華に対しても、フィリピンや朝鮮にたいしても、米露にたいしても偏見よりもまず真理はどこにあるかを見極めて永い目で、その民族集団の最良の要素をつかまえようとする努力が、でき得るはずです。五年三年で移り変わる世界情勢の中にも、もう少し変わらない、その国民性格、その文化の本質があるのですから、単に政治的、軍事的に見ることをしばらく止めて、たとえ先方からこちらを敵視してきても、恐れず憎まず、悪びれず、剣をぬかず、殺さず亡ぼさず、共に生きる道を残してゆこうとするのが、平和憲法の精神であり、日本の悲願です。またこれは東洋精神の真髄であり、世界宗教の道である。
   「不圧迫、不暴力、不恐怖、不分離」(1950~51年)」

今まさに問われている生き方・価値観ではないでしょうか。

「平和への道」の進み方を選択しなければならない時が近づいているような気がする。選択を迫られた時、「不圧迫、不暴力、不恐怖、不分離」という選択肢もあるということを確認し合い、このようなあり方・生き方に立ち戻りたい。

娘・留美子さんによる「あとがき」より
「<戦争の世紀>を生き、「世界と共に苦しめ」「世界が見ている」「アジアの孤児になるな」といいつづけてきた高良とみが世界と出会ったのは、第一次世界大戦下のニューヨークであった。「この大戦争の言語を絶した苦しみを通して、全世界は、人間が誰一人として直接的にも間接的にも他国の人々の影響を受けずに生きることはできないことを学んだ。―だからこそわれわれは今、これまで以上に道徳律(モラル)を強め、国際間の友情の絆を堅固にしていく必要がある」と彼女はのちに書いている。
 人間は性別や肌の色にかかわらず平等であるという信念をもち、独立をもたない人びとの苦しみに触れ、それ故にこそ日本の中国侵略に苦しみながら、とみは友情の絆を生涯手放すことはなかった。」

2006/07/08

「何のために生きているんだろう」

最近、「何のために生きているんだろう」という問いが、自問であるか、普遍的な答えを求めた問いであるのかわからないけれど、いろんなところで発せられているような気がする。

病気や障害を持ち、家族との縁を失い、生活保護を唯一の命綱として生きている人も言っていた。そうかと思うと外資系の証券会社の第一線で働いている人も同じことを言っていた。多くの財産を身内から受け継いだけれど、頼る身内を持たない資産家の女性も同じことを言っていた。

今、どこにいても、何をやっていても「生かさず殺さず」生かされていると感じている人は少なくないのかもしれない。

初めて聞いたときはドキッとしたが、最近はその言葉を聞くと「あぁ、この人もそう感じているんだ」と受け取り、ショックを受けない自分が怖い。

先日、一人で横になっていた時「何のために生きているんだろうなぁ」と考えている自分がいた。気持ちが落ち込んでいるときに、こんなことを自問することは良くないなと思いつつ・・・自分なりの答えが出てくるまで、止め処もなく長い時間考えていた。

この問いにかぎっては自分なりの答えを持たないと生き辛い。

そうすると、今まで出会ってきた人たちや自分の生活の中にいる人たちが、いとおしく感じられてきた。なんらかの関係を持ったことがある人は、直接に顔をあわせたことがなくても、いとおしく感じられた。今という同じ時代に生きているだけで奇蹟なのかもしれないのに、出会い、互いの存在を知ることができるということはなんとありがたいんだろう。そして、五感のいずれかを使って、人との出会いやふれあいや関係を持つことは、この世に生きていないとできないことなんだなあと妙に納得してしまった。

死んでしまったら、好きな人にふれることもできない。直接、会話することもできない。けんかもできない。愚痴もいえないかもしれない。悩みもなくなる。人の体温を感じることもできない。花の香りやハーブの香りもしないのかもしれない。日の光の暖かさも感じられなくなるだろうし。うっとうしい高温多湿の日本の夏も向こうの世界のこととなる。大好物のにんにくのたっぷり入ったバジルのパスタも食べられなくなるのかもしれない。温泉に入ることもできなくなる。そして、生きている人たちやそのほかの生物と、この空間を共有することができなくなる。

答えはとても単純なんだろう。そして、それは自分の手の届く所にあるんだと思う。

2006/07/06

ブログの可能性 一人ひとりの声

ブログの可能性と限界について考えることがある。

インターネットが可能にしたWEBLOG。総務省の発表によると、2006年3月末現在の日本でのブログ利用者数は868万人に達するという。インターネットは1960年代に米軍によって軍用技術として開発された。冷戦後には、ネットはアカデミックにも開放され、さらに商業化され一般に普及していった。そんな技術を応用したブログ。情報が豊かになったような錯覚を覚えるけれど、実際には中央で監視し、コントロール可能なインターネット。ブログの内容も常に監視されているかもしれないということを忘れてはならないと思う。そして、何かあったとき、インターネット上の情報は一瞬のうちに消され、コミュニケーションが途絶えることにもなるのだろうと、想像してしまう。

危ういものでもあるけれど、多くの可能性を持つブログ。

ネットにアクセスでき、何らかの方法で言語入力できる人であれば情報発信が可能だ。それを介して多くの人たちとコミュニケーションがはかれる。

学者やジャーナリストや評論家でなくても、不特定多数の人たちとの情報交換を可能にするブログ。だからこそ、ひとりひとりの責任感が問われる。

学者といえば、弁の立つ御用学者が増えているような気がする・・・。そんな学者たちは、データを基に平均値を出したり、目に見えないものを数字化していく作業をする。また、事象を抽象化したりすることを得意とする。でも、平均値や抽象化されたものは、誰のものでもなくなる・・・。単純なことを複雑にし、権威のある人たちの考えを引っかき集め、難しい言葉で、綺麗にまとめるテクニックを十二分使っていろんなことを書く。

ジャーナリストは机上で多くの人々の関心を引き、お金になるような記事を作文する・・・。世の中の空気を敏感に嗅ぎ取る人たち。スピード感を持って時の記事をまとめ、注目の当たるような見出しをつけてニュースを発信する。アジテーション的な役割を持つことも少なくない。情報を垂れ流す者たちの意図はあまり問わずに、それが記事になるようならばさっさと記事にする。

そんな中で、今、ここに生きる人として「あなた」や「わたし」だからこそできることがある。足場のある生活者の声を発信することができる。自分の経験、感覚、想い、考えを語ることができる。一人ひとりが声をあげ、語り合える場を持つことによって、響きあうところや重なり合う部分が出てくる。そして、それを原動力にして、社会を変えていくこともできる。(一人ひとりのメッセージが権力に利用されないようにいつも注意する必要もある。)

評論家や学識経験者や専門家の声は聞こえてくるけれど、今日のメディアからは「現場の末端にいる人たちの声」、「現場からの発言・提言」がほとんど聞こえてこない。現場(漁業・農業・保育・福祉・教育などなど)に携わる人に発言するチャンスが回ってきても、事前にその人が属する組織の管理者によって「あなたはこの組織の一員としてのコメントをするのだから、言葉に気をつけてください」と口封じされ、組織や利害関係のある業界にとって都合の悪いことを言いだせない構造がつくられている。

今、聞こえなくなってきているのは、生活者の声、現場の人たちの生きた声・・・。ブログは、一人ひとりが当事者として、生きている声、実際に見聞きしていること、体験していることを社会に発信することを可能にするのだと思う。

2006/07/04

ひとりぼっち

いじめられてから、学校を休みがちになっている
特にやりたいこともないし、将来の夢もない
軽度の障害を持っているから、なかなかみんなと同じペースで動くことができない

一人っ子で、兄弟はいない
親も一人っ子、だから、ぼくにはおばさんもおじさんもいない
唯一、両親以外の身内、おばあちゃんは老人ホームにいる
みんな自分のことで精一杯、みんな忙しい

ひとりで家にいるぼくに、親切に時々電話してくれる級友がいる
授業中にとったノートを見せてくれたり、外出に誘ってくれたり
初めて誘いにのったときは創価学会の先輩と一緒に来て、学会への入会の勧誘だった
勧誘のノルマがあるみたいだ
別にぼくでなくても、会員になる可能性のある人なら誰でもよかったんだ・・・ちょっとがっかりした

そういえばよく電話してくれるときは選挙前だ
公明党に一票入れてくれとの電話
投票日には一緒に食事して、車で行こうと言ってきた

創価学会になんて入りたいと思ったことなかったけど、
学会員になろうかなと最近考える

一人ぼっちになりたくないから・・・
**************
上記のようなことを、ある若い人がため息をつきながら、寂しげに語ってくれた。私が悲しそうな顔をして聞いていると、そんな深刻なことじゃないからとでも言ってくれるように、つくり笑いをしてくれる優しさが痛々しかった。

「ひとりぼっち」にならないためには、自分のしたくないことでもやってしまう人が少なくないのかもしれないとふと思った。「ひとりぼっち」になる恐怖を利用して、人心のコントロールをすることはたやすいのかもしれない。

末端にいる一人一人の心を利用して組織を拡大し、上層部の力を増大しようとする動きに恐怖感を覚えます。

魂の救済や真実の希求や人間以上の何か偉大な力への敬意を示す宗教ではなく、邪心にまみれた人の組織の構築・維持・発展が第一の目標であるかのような“宗教”組織の動きが、ますます活発になってきている今日この頃。このままでは、一体どうなってしまうのだろうと不安になる。人間とは洗脳される存在なのか、ふとそんなことさえも考えてしまう。

2006/07/01

岡倉天心

日本はアジアの一員だということを自覚する必要があると思う。そして、他のアジアの国に対して、優越感や劣等感を抱くのではなく、平場の関係の中で共に生きることを目指す必要があると思う。

約100年前、岡倉天心は「Asia is one」と言いました。それが、無念にも、大東亜共栄圏という戦争遂行の理念の一つとして利用されてしまいました。彼は小さい頃から世界を見ていたので、日本はアジアの一員だということを痛いほどわかっていたのだと思います。当時、日本は欧米の後追いばかり、そして戦争で醜いことをすればするほど、欧米並になったと自信をつけていった時代だったのでしょう。岡倉天心は100年早く生まれてしまい、日本では誤解ばかりされていたような気がします。でも、インドにもアメリカにも岡倉天心を認めていた人がいました。後、ノーベル賞をとったタゴールは、天心を敬愛していました。日本にも実を見据えて、身の危険をおかしてまでも「本物」を語っていた(いる)人たちはいた(いる)のですが、上層部や集団がそんな人たちを局部的に徹底的に潰す強い傾向があるのではないでしょうか。なぜ潰そうとするのか、私にはとっても不思議です。

**********
付記:
「普通」とか「しょうがない」とか「あたりまえ」とか「常識」という視点を持って、世の中を見渡すということが性に合わないので、考えればぱっと出てくるような一般的な答えでは満足がいかないのです。だから、ひとりで「不思議だなぁ」といろいろな物事について留め止めなく考え続けてしまいます。「不思議」とか「不可解」とか「違和感を持つ」という感覚は大切だと思う。そんな風に考え続けていればいろんな可能性が生まれ、八方塞の閉塞感に対して打開策も生まれてくるかもしれないから。

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