るるどの覚書

全く私的な独り言から、素朴な疑問や社会的な関心ごとまで、北欧での生活の中で感じたり、思ったり、考えたことの覚書ブログ。気軽にコメントして下さると嬉しいです。

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2006/05/31

金子みすヾ・・・もし今生きていたら

金子みすヾの純粋で素朴な眼差しが好きです。

26歳で天国へ召していった金子みすヾの人生の最期を考えていた時、ふと米国作家のSylvia Plath(有名な作品:The Bell Jar 他)を思い出しました。二人は重なる部分が少なくありません。(Plathは大学へ行き、モデルをやり、海を渡っていろんな国へ行った。みすずは一生地元での生活。二人の地理的な動きは大分異なるが)二人とも綺麗で、小さい頃から優秀で、繊細な女性でした。子供もいました。旦那さんもいました。でも幸せな結婚ではありませんでした。二人とも結婚という鳥かごに入ってしまった人たちでした。二人とも自分の生活の場で自らの人生を閉じています。二人とも今日に残る作品を残しています。

どうしたらもうすこし幸せに生きることができたのかなあと考えてしまう。
もし金子みすヾが、今の時代に生きていたとしたら、彼女の天職はなんだろうと時々思いにふける。

今の時代に生きていたら、子供病院の心理士や看護婦さんになって、
病気で苦しんでいる子供たちといろんなかかわりを持ったり、天国からお迎えにきている天使と戯れている子供たちといろんな話をしたり・・・、そんなことができたら、彼女と出合う子供たちは救われるんだろうなと想像してしまいます。きっと苦しみや痛みを抱えた子供たちと一緒に仕事をすることで彼女自身も救われたかもしれない。

以下、いくつかの作品を・・・。
************

不思議

私は不思議でたまらない、
黒い雲からふる雨が、
銀にひかつてゐることが。

私は不思議でたまらない、
青い桑の葉食べてゐる、
蠶が白くなることが。

私は不思議でたまらない、
たれもいぢらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。

私は不思議でたまらない、
誰にきいても笑つてて、
あたりまへだ、といふことが。

(金子みすヾ)

***************

さびしいとき

わたしがさびしいときに、
よその人は知らないの。

わたしがさびしいときに、
お友だちはわらうの。

わたしがさびしいときに、
お母さんはやさしいの。

わたしがさびしいときに、
ほとけさまはさびしいの。

(金子みすヾ)

*************

転校生

よそから来た子は
かわいい子、
どうすりゃ、おつれに
なれよかな。

おひるやすみに
みていたら、
その子はさくらに
もたれてた。

よそから来た子は
よそ言葉、
どんな言葉で
はなそかな。

かえりの路で
ふと見たら、
その子はおつれが
出来ていた。

(金子みすヾ)
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2006/05/31

『ブロークバック・マウンテン』

先日、映画『ブロークバック・マウンテン』“Brokeback Mountain”を見てきました。ストーリーも良かったけれど、あの壮大な自然がとても懐かしく、風景がとても素晴らしい。息をするのも忘れてしまいそうなほど見入ってしまいました。途中で深いため息をつき、涙を流し・・・。(一緒に行った友人は、ちょっとタイプの映画じゃないと言って、冷めており、同性愛に対して寛容な私に少し驚いていた様子。でも、一生懸命話していたら、辛抱強く聞いていてくれたなあ、感謝。友人の言い分も聞けたし、互いの価値の突合せは大切だなあと思った。私にとっては、同性同士でお付き合いしている人たちや同性同士の性体験を持っている人たちが、周りに少なくなかったので、自然で違和感がないのです。)

壮大な自然、カウボーイの愛、厳しい宗教観や同性愛者に対しての社会的差別などの設定は、とてもアメリカらしいと思う。(あの大自然の中で、男同士二人だけでずっと一緒に過ごしていたら、ああなっても不自然に感じない。)多くの人たちにみてほしいなと思った。アン・リー監督、素晴らしい映画をどうもありがとう! この映画を通して、ひとり一人がちょっとでも寛容になりますように。アン・リー監督は台湾人の監督。彼の作品を見ると、場の空気や心のひだの描写がずば抜けていると感じる。あの繊細な心の動きを映し出す力量はアジア人の強みだと思う。数多くの賞を受賞しているにもかかわらず、2005年度のアカデミー賞(作品賞)が取れなかったのがとても残念。(やはり政治の力は強い・・・)

他人事としては見れなかった映画です。同性愛者も異性愛者も両性愛者も、世の中いろんな人たちがいるけれど、今の社会では、同性同士愛し合って、生活していくには、日々高い山あり深い谷あり・・・。(ちょっと前までは、同性愛は精神疾患の一つとして治療の対象になっていた。そんな昔の話ではありません。キリスト教の宗派によってはまだ罪とみなしているところも多い。)

映画を観ている間、いろんな知人の顔が頭をよぎっていった。
高校生の時、パーティーで年上の男子生徒と性行為をしたことを汚点に感じていた男友だち。女子寮での生活の中で、同性と性関係を持っていた女子学生たち。男と女なら結婚して同じ国にいられるのに、同性のカップルは結婚できなくて離れ離れになってしまった人たち。同性の親であることをオープンにして、女二人で子供を育てている人たち。

時々「元気?」って連絡してくれる男友達から最近連絡がない。「いつか、彼をるるどに紹介するから」って言っていたけれど。二人ともうまくやっているかなぁ。

みんなどうしているだろう。

いろんな人たちがありのまま受け入れられ、どんな人たちにとっても住みやすい社会になりますように。

ブロークバックマウンテン オフィシャルサイト:
http://www.wisepolicy.com/brokebackmountain/top.html

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同性愛を考える時に、二点考えることがあります。
①同性同士の愛の性行為ではつくりたくても子供がつくれないこと。
②男性同士の結束はただでさえ強いように見受けるのに、加えて性愛が存在している男同士の場合、女性の入る余地が全くなくなるような気がする。ただでさえ男女は生物的に異なり、理解しあうのが大変なのに・・・。女性の存在を忘れないでほしいと思う。私が同性愛について特別思うことはこのくらいです。

2006/05/29

無関心

昔、売春婦が体を使って生活資金を稼いでいることを批判していた。
誰にも言えないが、生活の為に私はいやいや夫に体を与えてきた。

昔、エイズはアフリカの病気だ!同性愛者の病気だ!といって怖がっていた。誰にも言えないが、他の女性と関係を持っていた夫からうつされたエイズに、今私は苦しんでいる。

昔、麻薬なんてやる人は人間じゃない!と批判していた。
誰にも言えないが、上の子供が麻薬を使い、身も体もぼろぼろにしている。

昔、無職者は、甘えている人、怠けている人、精神の弱い人、意欲のない人、それぞれの自己責任だと言って批判していた。
誰にも言えないが、今、うちでは誰も仕事をしていない。安定した健康を失ってしまった。誰も私たちを雇ってはくれない。誰も見向きもしない。

昔、生活保護を受けている人は、社会の負担だ!そんなもの税金の無駄だ!と大声で仲間と語っていた。
誰にも言えないが、私と夫は貯蓄を使い果たし、唯一の命綱である生活保護を受けている。

誰にも言ってはいないけれど、実はもう周りの人たちは知っている。でも、だれ一人、私のことに関心を持つ人はいない。

(※いろんな人たちのことを考えていたら、その人たちが「私」になってしまいました。あしからず。)
*****************

人身事故:ホームから飛び降り女性死亡 東急田園都市線
「5月29日午前8時52分ごろ、横浜市青葉区あざみ野の東急田園都市線あざみ野駅で、上り線ホームから50代とみられる女性が飛び降り、電車にはねられ死亡した」というニュースを聞いた。

どんな苦しみに追い詰められていたのかわからないけれど、苦しみを受け止めてくれる人、批判せずに聞いてくれる人、共有してくれる人はいなかったのだったのだろう・・・。どんな助けより絶望感が勝ったのかもしれない。

また、神様の宝物が一つこの世から消えていきました・・・。

追記:こんなことが、日常茶飯事おきている日本はどうかしていると思います。日常の生活の場が、人が死んでいく戦場のようです。これが当たり前になり、どんどん感覚が麻痺してきているようで不安を感じます(「人身事故」が理由で電車が遅れると「またかぁ」という死んでいった人を責めるかのような、いらだった声をたびたび耳にします)。人間不信になりそうです・・・。

2006/05/27

『貧乏クジ世代―この時代に生まれて損をした!?』

昨日、近くの小さな本屋さんにふらっと立ち寄ったら『貧乏クジ世代―この時代に生まれて損をした!? 』(著者:香山リカ PHP新書 2006年1月)を目にした。 早速、手にとって、ぱらぱらと見た。

以前、彼女の本はメディアに頻繁に取り上げられていたような気がする。最近、彼女の名前を耳にしなかったので、あまり活動していないのかなと思っていたけれど、そうではなかったようです。ただ単にメディアが取り上げていなかっただけ。確かに大きな本屋さんでも見かけなかった。

香山氏が書かれている「貧乏クジ世代」は、まさに私が属する世代。この世代の胸のうちを観て、立場に立って理解しようとしている本に出会ったような気がした。でも、彼女だったら、もっと鋭く書けたような気がする。彼女の忙しさなのかもしれないし、余裕のなさなのかもしれない・・・理由はわからない。政治的な活動もしているので、色々大変なのかもしれない。

親くらいの世代の人たちと接していると、私の世代は「貧乏くじを引いたな」と感じることが少なくない。そんなことも親に言ったことがあったと思う。

貧乏クジ世代は、「大人のいうことをよく聞いて頑張れば、それなりの人生を送ることができる」と思ってきた世代かもしれない。それがうそだったと知った時、何を信じて、何を頼って生きたらいいかわからなくなった人もいると思う。

今の20代、30代の人たち(特に30代)が小学生・中学生だった頃は、コンピューターは学校にはなかった。携帯電話もなかった。詰め込み教育を受け、それに加えて受験地獄、厳しい校則、体罰、偏差値、内申書、塾、校内暴力、いじめなどに接しながら毎日を送った。それでも、これさえ乗り越えて社会に出れば、あの大人たちが自由を満喫し、やり放題、遊び放題、成功づくめ、一の努力で十の成果を得ることのできる、永遠の右肩上がりの「バブル社会」の一員になるんだと思えばこそ、従順に頑張れたのかもしれない。手にすることのできなかった未来、あのバブルの大人の世界はブラウン管を通して、思春期だった私たちに多くの影響を与えたと思う。

(そういえば、この本を読んでいて思い出したけれど、小学校の時は「口裂け女」「こっくりさん」「心霊写真」も流行っていたなぁ。私がこっくりさんをやっても、紙の上の十円玉は一度も動いたためしがない。友だちが指を置くと同じ十円に魂が乗り移ったかのように動くのが不思議だった。物では満足できなくて、見えない不思議な話題がはやっていたような気がします・・・。話がそれました、すみません。)

そして、学生生活の終わりが近づき、社会に出る頃になったら、就職氷河期。「あれっ???話が違うよ」と思った人は多いと思う。「あれっ、あれっ」とおろおろしていると、日本の企業社会が要求するものはどんどん変わっていく。「ええ-っ?PCのスキル?コミュニケーションスキル?プレゼンテーションのスキル?」「そんなもの学校で学んでこなかった・・・」という人たちも少なくなかったかもしれない。

学校にいた頃、「みんな仲良く」「助け合い」「思いやり」など大きな字で書かれた紙が教室の前の壁の黒板の上に貼ってあった。社会に出てみたら、聞こえてくる言葉は「成果主義」「自己責任」「自立支援」「自己負担」。自己責任や自立については、小学校の時に教えてほしかった。学校は集団生活になじむような学生の我の形成をしているのに、社会に出たら突然自立しろとは・・・変だなあ。負担はみんなで助け合ってするもんだと教えられたのに、「自己負担」?

本当に変なことばかり。

会社に入ったらもう「終身雇用」は夢の世界の話。会社で待ち受けていたのは、リストラ、パワーハラスメント、セクハラ、無償の残業・・・それから「以前は良かった・・・、前は・・・できたのに、前は・・・経費を使って・・・、今は・・・」という職員の夢物語、「終身雇用の恩恵」を授かったまま退職できそうな人たちのしたたかな保身の術。そんなものを見せつけられ、聞かされても、労働意欲は出てこない。

運良くリストラにあわず、満額退職金を受け取り、定年退職した人たちの話を見聞きすると「定年退職してやることないから、来週はあっちへ行って、来月は何処何処へ行って・・・」、「同窓会を計画しているのに、みんなゴルフや和歌やいろんな趣味で忙しくて、だいぶ前から計画しないと人がなかなか集まらない」、そんなうらやましい「悩みごと」も少なくない。(もちろん、65(60)歳以上でも、ほとんど年金がなく、仕事なくしては生活できない人もいる。そんな人たちは、黙々と仕事探しをして、ひざが痛くても、腰痛があっても、寝る時間が少なくても、黙って歯を食いしばって生きるために働いている。そんな人たちの声こそ社会に届くべきだと思うけれど・・・)

あ~限りなく書きたいことはあるけれど、こんな愚痴ばかり書いていてもしょうがない。ただ、私たちについて少しは理解をしてほしいと思う。意味なく、好きで、わがままで「フリーター」しているわけでもなく、「ニート」になっているわけでも、独身でいるわけでも、子供をつくらないわけでもありません。

大人たちを信じられない、社会を信じられない、言葉を信じられない、会社を信じられない、自分も信じられない・・・世代なのかもしれない。だから、少なくとも自分を信じてみたいという思いによって、自分のエネルギーが内に向かうのかもしれない。そして、限りない、自己分析、自分探しの世界に入っていってしまう。外にエネルギーを向けられる人は、好きな人と早くから一緒になり、マイホームを確保し小さな幸せを築いたり、時流に乗った事業を興したり、金回りのいい会社に入ったりしているような気がする。社会全体が良くなることを志して動く人なんて、もう日本にはほとんどいないかもしれないなあ・・・と思ったりもする。もし、そんなに勇敢で崇高な人がいたとしても、今の日本では、その人の行動が誰かに迷惑になったり、志が実らなければ「自己責任」という綺麗に印刷された札をつけられ、ゴミ箱に捨てられるだけという風潮があるような気がする。人の志なんて、お酒のつまみにもならない時代なのかもしれない。

以下、『貧乏クジ世代―この時代に生まれて損をした!? 』より抜粋:
「自分も信じられない、会社も地域も信じられない、もちろん社会も信じられない。だから、せめてお金やマイホームでも信じてみようか......そういう気分に陥る寸前の貧乏クジ世代の人たちに、もう一度だけ、社会全体の事を考え、リーダーシップをとろうと立ち上がる勇気が与えられることを、心から願っている。
 じつはその勇気は外から与えられるものではなく、すでに彼らの中に内在しているのであるが.... 」

香山氏は、この世代の人たちに勇気を与えて「頑張れー」とエールを送ってくれているが・・・。ちょっと彼女にしては歯切れが良くないな・・・と。気のせいかな。

この世代の人たちが分断されていなければもう少し希望はあるかもしれない。この世代は若い頃から「二極化」しているから、(分断しているから、)団塊の世代のように世代という共通項での団結はないと思う。でも、ある「課題」を中心に団結することはできるかもしれない。

考えれば考えるほどわからなくなる。きっと考えたり、評論する人はたくさんいるから、行動することが求められているのかも・・・とまた考えてしまいます。これも「貧乏クジ世代」の傾向?!なのかなあ。わからない。

2006/05/25

想像力と共感力

何度か想像力と共感の大切さについて考えさせられる出来事がありました。想像力や共感性を「生産性のない、効率性のない無駄なもの」と考える人たちに囲まれると心は寒々してくる。心が凍りつく前に、その場から去ってしまいたくなる。

私たちがあともうちょっと想像力と共感するチカラを持つことができれば、もうすこし住みやすい社会をつくることができるのだろうと思う。

孤立した環境の中での子育て、仕事がしたいのに働けない、疾病や障害を持ちながらの生活、障害や加齢による先行きの見えない不安など、人々はいろんな課題に直面している。

「そんな課題は、私とは関係ないし・・・目の前のことや自分の生活で精一杯、人の問題につき合っていることはできない・・・」と思う人が多いのかもしれない。でも、決して他人事ではない。

人間、誰もが一度は女性の体に宿り、この世に生を授かりました。小さくて歩けなかった時、オムツをしていた時、一人でお風呂にはいれなかったとき、一人で食べることができなかった時・・・そんな時を経て、人は大人になってきているのです。何故、その頃得た周りの人々からの支えを忘れてしまうのでしょう。ひとりだったら、今、私たちは存在することはできなかったでしょう。その支えがないが為に、多くの赤ちゃんや子供の命がこの世からいなくなっていることを考えると、どんな人も何らかの形で支えられてきていることがわかります。

支え助けてもらったことが人ごとだったかのように、記憶から消され・・・疾病や障害が他人事だと思える人は、ある意味で幸せだと思います。その一瞬の幸せを、当たり前だと思わずに稀有なひとときの幸せを満喫してほしいと願います。また、なぜかテレビに登場する評論家、政治家、学者、俳優、歌手などは、病気や障害とは無縁の人たちばかりのようです。病気や障害の特集でもない限り、それとは無縁のテレビ番組や新聞記事や雑誌記事ばかりです。

でも、現実には疾病や障害は私たちの日々の生活の一部だと思います。周りを見回しても、リュウマチの耐え難い痛みとともに何十年も生活している人、車椅子の生活をしている人、人工肛門や尿道つけている人、長年の偏頭痛や嘔吐と共に生活している人、薬害や薬の副作用によって苦しんでいる人、視力が落ちて見ることに不都合のある人、誰にも言えない感染症と共に生きている人、死にたいという思いに襲われる恐怖と共に生活している人、この世には自分の居場所がないと感じている人、「自分以下」の人間は存在しないと信じて生きている人、音が聞こえにくい人、突然パニックに襲われる人など沢山の人が、辛さ、痛み、不都合、不具合を感じながら、一日をやっと生ききっています。

耐えがたい苦しみを背負っているにもかかわらず、自分なりに懸命に暮らしている人たちから、いつも勇気を与えられています。そんな荷を負って生きている人たちこそ、英雄であり、師であると思います。お金では得ることはできない生きる力や勇気を与えてくれる人々たち、生きるとはどんなことか教えてくれる人々たち、代わりになって荷を背負ってくれている人たちを社会が切り捨ていようと、見捨てようとしている世論が形成されているようで不安を感じます。

今、多くの人たちの直面している困難な課題や一人では解決できない問題が、「自己責任」「自己負担」「自立支援」という一見常識的な言葉、でも本当は、社会の無責任・無関心を正当化する言葉によって、なおざりにする流れが強まっています。生存権のある人間が生きていくために必要な社会資源の切捨てが行われ、冷たい「社会の視線」によって片付けられようとしています。

常識的で綺麗な言葉に目くらませさせられないように、そして自分自身の持っている怒り、憤り、不満が「不幸な社会」の形成に加担することのないように、想像力を膨らませ、共感度を高め、感覚を鋭くし、辛い人生の中にも楽しみを発見しつつ生活できたらいいと願わずにはいられません。

2006/05/22

『「べてるの家」から吹く風 』

日曜日は、長い時間本屋さんにいた。気がついたら「蛍の光」が聞こえてきたので、手にしていた『「べてるの家」から吹く風』(著者:向谷地生良 2006年4月)を購入。

以前、向谷地さんとべてるの皆さんの講演に、二度行ったことがあります。一度目も、二度目もべてるのみなさんからたくさんのエネルギーをいただきました。多くの人々の前でも、自然体で語っていた向谷地さんに見えない力の働きを感じました。いつか北海道は浦河にある「べてるの家」へ遊びに行くチャンスがめぐってきますように。

以下、特にうなずけた部分です。

「プライバシーの尊重や個人保護の重要性が叫ばれるなかで、私は、あえて、べてる流の“公私混同”が世に広まることを期待したい。伝える、知られる、つながるということは、自分という存在が誰にも知られず、関心をもたれていないという不安と恐怖のなかで生きてきたべてるのメンバーにとどまらず、すべての人にとって必要な生きるための不可欠な栄養素だからである。」p.126

「・・・精神科医療の世界に、着実に「当事者の風」が吹いている。その風とは、・・・現状を嘆き、苛立ち、告発しようとする風ではない。さわやかで、ユーモラスで、人の生きようとする力にさりげなく寄り添い、それでいてしたたかな風である。」p.155

「精神科医とのつきあいで、彼〔当事者〕が特に大事にしてきたことは「決して本当のことを話さないこと」であった。・・・。それは、彼のなにげなく語る不安や苦労が、常に投薬に反映され、どんどん薬が増えていく心配の中で身につけた必要不可欠な「当事者の知恵」なのであった。」p.156

目を潤わせずには読みすすめられない本です。

社会的な動物である人間にとって、ハンセン病や精神病を抱えた時、病そのものよりも、社会からの阻害や隔離、「社会の眼差し」のほうが何倍も辛いのだろうと思う。病気の辛さだけで十二分なのだから、負う必要のない荷を「社会の目」によって負わせられなくてもいいと思う。
*******************
『こんな精神科医に会いたかった―魂の手紙治療』(原書名:In Therapy : Chronicle of a Psychiatric Patient 創英社/三省堂書店 2006年3月 著者:ヘルト,マルク・デ〈Hert, Marc De〉・スペランス,フェリックス〈Sperans, Felizx・訳:野田 文隆)も、手に取ったら離せなくなってしまった一冊です。原書はオランダ語で、英訳された本も出版されています。ベルギーの精神科医とフェリックス(患者)との間で交わされた手紙による治療に関しての本です。文通というコミュニケーションを通した「治療」を試みたフェリックスと精神科医との勇気には感銘します。表面的な言葉の交わし合いではなく、平場の関係にある人と人として向き合い、お互いに本音をぶつけ合っているところが、彼らの文通の魅力であり、「治療」になり得るものとしているのだと思います。

本屋さんに行くと、人々の生きた声が綴られている本に、引き寄せられてしまうことが多いのです。最近、フィクションに興味がわかないのは何でかなあと自問中。
*********************
今、ふと思い出した星野富弘さんの詩:

わたしは傷を持っている
でもその傷のところから
あなたのやさしさがしみてくる
*********************
遅くなってしまいました、おやすみなさい。

2006/05/18

お金より大切なもの

いろんな法案を通している国会の状況を聞いると空恐ろしくなる。2000年に始まったばかりの介護保険制度に限っても、すでに利用者の負担を1割から2割に引き上げることを検討している様子。そして、制度の利用の抑制を必死にすすめている行政の姿勢を見ると、「何のための、誰の為の制度だ!」と怒りがこみ上げてくる。

私が利用者になる頃は(保険料をきちんと払っていることが前提だけれど)、利用者負担5割くらいになっていて、あるけれど使えない制度になっているのかもしれない。ここ数年のうちに、介護保険料は20歳からの支払いになり、高齢者介護と障害者支援が統合する方向に向かっているとよく耳にする。

消費税、所得税など微少だが税金を払い、国の流れを支えている自分が腹立たしく感じてくる。

理想だけれど、できることなら、物々交換をして、できるだけ消費税などは払わないようにし、これ以上国にお金を回したくない。日本の人々が、国家に対して無力に感じたとき、最終的に使える一手法は「税金の支払いのボイコット」かもしれない。人々が連帯して行えば、意味のある行動になると思う。(でも、サラリーマンは、会社が主導権を握っているから難しい・・・) 納税拒否する時は、国家に依存しなくても生活できるだけの力(少なくとも自給自足できる生活力)を備えることは大事なんだろう・・・(そのような能力を培ってきていない自分を考えると情けない・・・)。

お金と身近な生活について、よく考えると・・・
お金がなくたって、食べ物があればいい。
お金がなくたって、親身になって診察・治療してくれる医師がいればいい。
お金がなくたって、熱心な教師がいればいい。
お金がなくたって、大工さんやそのほか多くの職人さんがいればいい。
お金がなくたって、繭、綿、羊などから糸をつむぎ、それを織り、服を仕立てればいい。
お金がなくたって、親身に介護してくれる人が身近にいればいい・・・。

お金なんて、所詮社会の合意の上で成り立っている「意味づけされた数」でしかないのに。

お金があっても、野菜、果物、米、麦、肉、魚など食べ物がなかったら・・・。
お金があっても、親身な医師や教師がいなかったら・・・。
お金があっても、職人さんたちがいなかったら・・・。
お金があっても、服をつくる布がなかったら・・・。
お金があっても、介護する人がいなかったら・・・。
お金があっても、平和や安心がなかったら・・・。
お金があっても、水がなかったら・・・。

そんな時が、いつか来るかもしれない。

(戦前、戦争、戦後を経験してきた90歳近い祖父母も「自分たちはいい時代を生きてきたのかもしれない、これからは・・・」と言っているくらい、今の世の中の流れ、これからの社会や生活に対して危惧の念を抱いています。)

2006/05/15

日本では年間三万人を超える人々が自らの命を絶っているといわれている。
本当はもっと多いのだろう。
自らの命を絶った人の魂は何処へ行ったのだろうと、ふと考える。
成仏できずに、ふわふわとこの世界を漂っているのかなぁと考える。

自殺者の数も多いけれど、日本においての中絶の数も相当なものだと聞いたことがある。レイプされ、妊娠し、中絶する人もいる。生まれてくる子供が障害を持っているとわかり中絶する人もいる。経済的に子供を育てていくのは無理だという事で中絶する人もいる。中絶を避妊の一つの方法としている人もいるそうだ。人それぞれの理由がある。友達でも中絶した人がいる。彼女はしたくてしたわけじゃないけれど、その時の彼女には、それしか選択がなかったのだと思う。水子地蔵を見るたびに、日本にはこの世に生まれ出ることのなかった子供も供養される場があってよかったなあとつくづく思う。

死刑で命を失う人もいる。法の名を借りて、人が人の命を奪うのは納得し難い。死刑執行を直接担った人やその身内には不幸があると言われているということを本で読んだ。職務として死刑執行を行った人の子供の首がいくつになってもすわらないなど・・・(『元刑務官が明かす死刑のすべて』 著者:坂本敏夫 文春文庫 2006年5月) 

平和な社会で人を一人殺せば殺人と扱われ、だけれど戦争中には多くの敵の人命を奪えば奪うほど英雄扱いされる。

命って何だろう。考えれば考えるほどわからない。

でも、とっても重みのあるもののような気がする。見えないエネルギーのようなもののような気がする。そのエネルギーが集まったら、すごいエネルギーになるんだろう。良くも悪くもこの世で起こることに影響を与えているエネルギーかもしれない。命はつながっているんだと思う(参考:『心の力‐人間という奇跡を生きる』 著者:村上和雄 玄侑宗久 致知出版社 2006年05月) あなたの命は、私の命。私の命は、あなたの命。結局、大きな一つのエネルギー。

「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」と言った宮沢賢治の言葉がよみがえる。

2006/05/11

希求

乾燥機ではなく、洗濯物を乾かしてくれるお天道様がいい
自動車ではなく、自分のペースでいろんなところを歩くことのできる足がほしい
錠剤のビタミン剤ではなく、自然の中で育った栄養たっぷりの野菜や果物がいい
「お前は役に立たない、使い物にならない」という社会の眼差しではなく、「あなたはなにができますか」という社会の問いかけがほしい
一ヶ月たってもカビが生えない防腐剤でいっぱいのパンではなく、すぐにカビの生えてしまう無添加のパンがいい
農薬のかかっている、虫も近寄らない野菜ではなく、イモムシも美味しいと思う、虫の食べた後の残っている野菜がほしい
添加物のたくさん入った飲料水ではなく、安心して飲める湧き水がほしい
空気洗浄器で循環された空気ではなく、自然のなかで循環される綺麗な空気がいい
喘息の薬ではなく、喘息にならないような綺麗な空気がほしい
アトピー皮膚炎の薬の開発ではなく、体に優しい環境づくりがいい
綺麗な言葉ではなく、誠実な行動がみたい
 
だんだんと「そんなものは生産的でない、非効率的だ、素朴過ぎる、無理だ」という空気に押しつぶされていく
こんなものを求める私は贅沢ですか・・・          

2006/05/11

自由が欲しい

現在、日本では多くの法整備が行われている。
成立してしまった個人情報保護法、障害者自立支援法、そして、今、検討されている共謀罪や教育基本法など、どの法律を見てみても、人々に自由をもたらすもの、生きる自由やその保障を提供するものとは思えない。

思うこと、感じること、考えることを自由に表現できる環境を保障する法律が欲しい。

つながりたい人とつながりたい仲間とそしてさらには、世代、領域、立場などを超えた人々と連帯できる自由を保障する法律が欲しい。

それぞれが正しいと思うこと、信じること、大事にしていることを奪われることなく、互いを尊重しつつ、人生をまっとうすることを保障する法律が欲しい。

特定の個人や組織や団体が長期間、権力を保持することを防止する法律が欲しい。

力のバランスを促進し、それを保障する法律が欲しい。

多様性を促し、それを保障する法律が欲しい。

法律を使って、人間をシステムに組み込まないで欲しい。
システムの為の人間ではないのです。社会システムは人の為にあるのです。システムの維持・発展の為に人間は存在していません。

国家の為の法律なんていらない。国家を守るための法律なんていらない。
法律は、一人ひとりの生存を保障するためにあるべきです。

愛国心を義務付ける法律なんていらない。日本人に愛国心を持たせるために法律をつくならければならないほど、日本は魅力のない国なのだろうかと思うととても寂しい。日本以外の多くの国においても、日本を愛する人はたくさんいる。義務付けられなくても、日本が魅力的であれば、地球上何処にいても、日本を愛する心は自然に育つものです。

できることなら、国境も消えてしまえばいいと思う。
国籍もなくなればいいと思う。
地球上何処でも自由に移動・移住することを保障する法律が欲しい。

自由が欲しい。

法律の奴隷にはなりたくない。
システムの奴隷にはなりたくない。

2006/05/07

五感をひらき、自然の恵みを受ける

連休は、新治村の湯治場でゆっくりしてきました。
疲れきっていた心と体が、自然の恵みによって癒されたようです。

東京へ通勤していると無意識かもしれませんが、できるだけ感覚を閉ざそう、できるだけ感じなくしようとしている自分に気づかされます。<汚れきった空気をあまり深く吸い込みたくないという思いから、大きな車が煙を出して傍を走っていると、空気を吸い込むことを一瞬躊躇する><知らない人と体と体をぎゅーっと触れあわせている満員電車の中では、目をつぶり周りの人が存在しないかのように振舞う><騒音いっぱいのまちの中では、自分に関係のない音はできるだけ聞かないように意識をもっていく><蛇口をひねって出てくる水道水を口にすると、塩素やカルキなどの匂いや味が気になり、安心して水を飲むことができない><添加物だらけのコンビニのお弁当を見ていると食欲が失せていく>。

自然の中にいると、自然の恩恵を受けようと五感が自然と開いていくようです。<うぐいすの「ホーッホケキョ」という声、山鳩の「ポー、ポー、ポー」というやさしい声を聞こうとして耳を澄まそうとする><冷たい透き通った雪解け水が湧き出ていると、手を伸ばして飲んでみたくなる><澄んだ空気を思いっきり吸うことができ、その空気が体を循環していくことが想像できる><遠くに見える雪山、田植えを控えた田、山の木々のなかにうっすらと桃色に浮かびあがる山桜など、目の中に収めたくなる風景でいっぱいで、瞬きをするのもおしくなるくらい、いろんなものを見ようとする><自分で取ったたけのこや山菜や野菜を料理していると、食欲がわいてくる><きれいな花があると、顔を傍に寄せて花の香りを感じ取りたくなる>。

数日間でしたが、自分がすでに持っている五感のいとおしさや大切さを自然から学び、生きるエネルギーを与えられました。

「不便でもいいから、自然の中で暮らしたい」という想いがますます募ります。

2006/05/06

野仏

20060506234934


たくみの里で見つけた、手作りの「野仏」です。
一目見て、素朴なつくりと仏様の穏やかなほほ笑みが気に入ってしまいました。


2006/05/04

湯治場

20060504200453
新治村の湯治場に来て、静養しています。今日は三国峠を越えて新潟へ行ってきました。雪も残っており、雪どけ水が豊富に流れていました。田には、澄んだ水が張ってあり、田植えの時期はもうすぐのようです。風が吹くと、桜の花びらは、粉雪のように空を舞っていました。

2006/05/01

派遣のしくみについて

先日、某派遣会社に行って、登録してきたが・・・。
派遣会社を通して働いたことがなかったので、しくみがよくわからなかったが、行ってみてはじめてわかったことがある。

・交通費が支給されない。
・多くの仕事の更新は6ヵ月ごと。
・派遣先の企業や派遣社員の理由で、即日契約解除ということもある。
・正社員となる可能性はないと思ってくださいとのこと。(正社員になりたいのなら、はじめから正社員としての仕事を探したほうがよいと言われた)
・派遣会社のオフィスが立派で、社員がたくさんいる・・・ということは、派遣社員の労働が、間接的に派遣会社を成り立たせているということになる。
・派遣社員は、派遣会社の「売り物」というか、使い捨てのできる「レンタル労働者」なんだなあと感じた。派遣社員に対してのクレームは、派遣会社へ伝えられ、派遣社員が派遣先の企業に対して抱く不満は派遣会社に伝えられる。派遣社員と派遣先の企業との間でのコミュニケーションは必要とされないらしい。直接の顔の見える人間関係の中で調節、改善していくほうがいいと思うが・・・。

やっぱり派遣のシステムはちょっと変だと思う。特に、このシステムが中規模企業や大規模企業に使われているのはあまりよくないと思う。雇用のダブルスタンダードがこれ以上進むのは良くない。

登録に行った次の日に、派遣会社から家に電話があった。
某自動車会社の通訳・翻訳の仕事に関してだった。先端技術の開発に関しての仕事もあるので企業秘密に触れる仕事も多いとのこと、身内に車会社に勤めている人はいるか?と聞かれた。時給約1000円、即日解雇ありの仕事で、企業秘密も何もないだろうと、ふと思った。

納得のいかないシステムは利用しないほうがいいのだろう。私自身が派遣のシステムに疑問を抱くのなら、ハローワークにでも行って、正社員として働ける職場を探したほうがいいのかもしれない。

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