るるどの覚書

全く私的な独り言から、素朴な疑問や社会的な関心ごとまで、北欧での生活の中で感じたり、思ったり、考えたことの覚書ブログ。気軽にコメントして下さると嬉しいです。

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2006/02/28

国境を越えた草の根運動

日本外交は、米国に関与されずには行なうことができない現状に置かれているらしい。これでは八方塞で、日本独自で他の国と強力な友好関係を築くことはできない。アメリカという国家を、敵にまわしたら日本は餓死するしかなくなるのである。食料とエネルギーの自給率の低さを考えたら、餓死というのは大げさな話ではない。自分たちの軍隊を持つことを考えるより、まず自給率を上げ、他国と友好関係を築きながら、自立できる日本を堅実につくりあげていくことが重要課題であると思う。

日米関係を考えれば考えるほど、米国の植民地にならない日本が存在するのが不思議である。しかし、表立った植民地化は、ポスト帝国主義の現在においては無駄な戦略であろう。

そんなことをかんがえていたら、ふと、アメリカの原住民のことが頭に浮かんできた。日本もアメリカの原住民のように扱われているような気がしてならない。理不尽な現状があっても、原住民の声はかき消されている。理不尽な現状があっても、日本人の声はかき消されている。アメリカの原住民の悲惨な歴史を知れば、第二次世界大戦後の日本とアメリカ国家の関係と重ねあわさるところが少なくないと思う。

アメリカの原住民の友人がいるが、彼は白人を心からは決して信頼していない。(原住民と白人の関係の歴史をたどると、彼の気持ちもわかるような気がする。)死語となりそうな自分達の言葉を残そうとして、頑張って自分の言葉で絵本を創り、自分たちの部族が生活していた土地に生殖していた植物の本来種の確保に精を出している。また、白人の主流社会の教育を受け、主流の社会で生き延びれるようにしたたかに働いている。しかし、時間があれば、世界とつながり、自分たちの部族のために奔走している。

アメリカの原住民の社会では、アルコール中毒や麻薬中毒の問題が多い。また、多くの問題によって、家庭の崩壊も少なくない。最低限の国による医療保険や生活の場の確保はあるらしいが、アメリカ社会の主流のそれと比べたら、比べ物にならないほどの質である。

米国は米軍基地で他の社会を占領し「植民地化」する前に、自国の問題に直視するべきだ。世界の目の前で過去を明らかにし、アメリカの原住民に謝罪するべきだ。米国の国土を見ても米軍基地は、景色がよく、環境の素晴らしい場に位置している。カリフォルニアでも、フロリダでも「あそこまで行きたいなあ。あそこから見た景色は素晴らしいだろうなあ。」と思うといつもそこは米軍基地があり、立ち入り禁止になっていた。沖縄の生活や自然が米軍基地によってどれだけ破壊されているのか想像するのも恐くなる。

日本人も、もう国家に対して期待するのはやめて、自分たちで足元を固めながら、世界の人々と直接つながり、地球上の人々と草の根的に協力し合う必要がある。国家の外交だけに頼っていたら、国民が犠牲になるだけであろう。

国の枠組みなんて、所詮、人間が作り出したもの、その時々権力者によって線の引き方が変わるだけ。顔の見える関係の中で育まれる人と人との関係は、国家間の関係によってたやすく壊れるものではない。

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2006/02/26

不思議なこと

昔、お付き合いしていた彼のことです。幼稚園からずっと一緒で、とてもやさしい人でした。私が海外に行く前に終わってしまった関係でしたが、辛かった時によく彼のことを思い出していました。

日本に帰ってきてから、なぜか彼が不治の病に犯されているような気がしてなりませんでした。何の根拠もないのです。長年、連絡をとっていないし、どんなことをしているか全くお互いに知らない関係。彼が結婚したことは友人から数年前に聞いていましたが。知っているのはそのくらいでした。そんな状況だったので、何も彼の近況については知りませんでした。でも、なぜか私の意識のなかで、彼が長期入院をするような病気に犯されているような気がして仕方がありませんでした。

一度、駅の近くまでいった時に、遠くのほうに自転車に乗った彼のお母さんを見かけたことがありました。そのとき、「きっと彼のお見舞いに行った帰りかな」と勝手に想像したこともありました。

彼はすでに結婚もして、家庭を築いているということもあり、私から連絡をとることは全く考えませんでした。数ヶ月前にその彼から、突然メールがありました。インターネットで私のメールアドレスを偶然発見し、メールをしたということでした。最後に連絡を取り合ったのは20年前くらいだったので、本当にビックリ。「ああ、生きていて、良かった」と心から思いました。メールを読み進めていくと、彼はある日突然、病気になりそれ以来、数年間入院していたということ、重い障害を持ち、今は在宅リハビリ中だということを知りました。「やっぱり、病気だったんだ・・・」というショックと驚き、また不思議な気持ちが混ざりあったような感情に襲われました。芸術家の道を歩み、成功の道へと向かっていたのに・・・。突然の病で、好きだったこと、得意だったことができなくなってしまいました。

幸い素敵な奥さんとお子さんに恵まれ、素晴らしい家族に支えられて平穏な生活しているようです。彼はとても優しく、いつも幸せを振りまいていた人でした。病気になり障害を持っても、今度は、彼をあたたかく支える人がたくさんいる、そんな様子が伝わってきました。彼の人徳が、障害を持った今、彼自身を救っているように思えてなりません。回復の道は長いかもしれませんが、一日でも早く、以前のように活動ができるようになりますように。そしてまた多くの人に幸せを振りまくことができますように。

2006/02/26

政治に無関心な若者?!

昨日、ある交流会に参加したところ、何故今の若者は政治に無関心なのかと言う話題が出た。周りを見回したところ平均年齢65~70、男女比率9:1、反戦の活動をしている人たちや、今の小泉政権の批判をしている人が多くいる場だった。

色々な意見があったが、若い人が尊敬できるような体を張って生きている政治家がいないからだと言う意見は納得。

私の意見としては、大人たちがどんなに小泉政権を批判しても、どんなにイラクで起こっている戦争の反対をしても、どんなに正当性のあることを言っていても・・・。若い人たちはそんな大人に矛盾を感じている。かっこいいことを言っても、「打算」と「私利私欲」で生きている大人ばかり。ブッシュ政権の批判している人たちでも、自分たちの退職金と年金確保の為に既得権確保に走る公務員や大企業の職員たち。現在、日本において、お金がなくて高校を卒業できない人たちがいる現状があるなかで、「大人」の考えていることは自分のことだけ。

知人の公立高校の先生が3年間で生徒の5割が退学しないで卒業できればいいほうだと言っていた。また、学年末になると授業料の取り立てもしなければならないと言う。成績は十分でも、授業料を滞納している生徒には「お願いだから払って」と懇願するらしい。それが一番嫌な仕事だと言っていた。家庭の事情で払えなく、しぶしぶ退学していく生徒も少なくないと言う。

誰もが人の批判はできるけど、自分のやっていることはどうなのだろう。

莫大な退職金をもらう公務員の人たちや大企業の職員のなかで、次世代の担い手となる若者の教育のために自分たちのお金を少しでも出して、分かち合おうと行動をとる人がいるのかなあ?と考えてしまいます。

ブッシュ大統領だって、私利私欲と打算で、自分のお金や既得権を確保するために奔走しているんでしょう。ブッシュは地球規模、日本の権力者や地位を持っている人たちは国内規模。規模は大分違うけれど、それだけの違いかも知れないなと思う今日この頃。人間どこをみても大差はないような気もする。所詮、みんな同じ人間。自分以外の人たちには聖人になることを期待し、自分の生活は私利私欲と打算のうえに成り立っていても良し、というのはどこか変だと思う。

現在、子供や若者の心の声を本気で聴こうとしている大人や政治家は、どれだけいるのだろうか。若い人たちに聞いてほしいのなら、関心を持ってほしいのなら、先ず、自分たちが若い人たちの思いや関心のあることに耳を傾けて。

子供や若者は、大人の姿を良く見ています。

2006/02/24

自分がダメになる

元レバノン国日本国特命全権大使、「さらば外務省」(講談社)の著者でもある。天木さんのHPと数日前に出会いました。残念なことに今月いっぱいで、HPは終了だということです。天木さんのような人に見捨てられるほど、低次元で動いている日本の政治やメディアだと再確認し、とても寂しく感じました。

以下、天木直人のホームページより抜粋: http://amaki.cc/
「しばらく日本から遠ざかって、再び日本の現状を目の当たりにした時、言いようのない違和感を覚えました。発言し続ける情熱がすっかり消えてしまったのです。書きたいことは山ほどある。この国の現状の不正義は加速度的に膨れ上がっている。それらを前にして、一日中それらに取り組んでいたら自分がダメになるということに気づいたのです。」(2月23日)

先進国、経済大国であるにもかかわらず、母国において多くの理不尽なことに遭遇するむなしさを帰国以来常に感じていました。外国での生活では、風邪もほとんどひかなかった私が、日本に戻ってきてから免疫力が落ち、心身が弱っているのを感じます。これでは自分がダメになってしまう、日本ではなく、自分に合う環境を求めて生活していったほうがいいのかもしれないと考えていたこともあり、「自分がダメになる」という天木さんの言葉が身にしみました。

自分ひとりが世の中にとって良いことを言っても、やっても、やればやるほど今の日本ではその当事者がつぶれていくような気がします。

2006/02/18

うつ病と電気ショック

知人から聞いた話です。
彼女の友達の娘さんはうつ病、自殺企図があるということで入院中。
なかなか自殺願望が消えず、薬では治らない、電気ショック治療の許可をお母さんに出してほしいと言われていたとのこと。長い期間悩んだ挙句、書類にサインをした。電気ショックが今だに行われていると知っておどろいたが、さらに驚いたことがある。最近、電気ショックを行う病院が増えていると聞いて、愕然とした。

電気ショックを受けたあと自殺願望は消えたようだ。しかし、すべての感覚がぼやけてきて、もうその子らしさは消えてしまったと言う。自制もきかなくなり、食べ始めたら止まらなくなったり、イライラすると物を投げつけるようになったという。自制のきかない食欲と聞いて想像できるかもしれないが、娘さんはもうこれ以上太れないくらい、太ってしまったそうだ。以前はとても素敵な女の子だったとのこと、昔の彼女を知っている人は信じられないらしい。

また、その子は小さい頃から優秀で、また字もとても上手で、お習字ではいつも金賞をもらうほど達筆だったという。その彼女の字が電気ショックの後、悲惨で読めなくなった。ミミズのはえずるような、ほとんど読めないかのような字で書かれている娘さんの手紙をお母さんは一生懸命読もうとするが涙なくしては読めない。以前、娘さんは手紙を書くのが好きで、入院中も友達に手紙を頻繁に書いていたそうだが、もうそんな字になってしまい、誰へも手紙を書かなくなり、連絡を取らなくなった。余計に孤立感を募らせている様子。

それだけではありません。自殺願望がなくなったと言うことで、週末、外泊が許可されるようになった。家に戻ってくると、娘さんがしたいことを一緒にしようとお母さんは一生懸命に努力するらしいが・・・。「海を見たい」というと、海が見えるところまで電車で行くそうです。でも海が少しでも見えてくると「帰ろう」となり、「山へ行きたい」と言うので、山へ行こうとして電車に乗って少し山が見えてくると「もう帰ろう」と言う。そして、お母さんにとって一番辛いのは「プールに行こう」と娘さんが言う時。体に合う大きいサイズの水着をやっと探して、二人で一緒にプールへ行き、水に入ろうとすると「もう帰ろう」となる。電気ショックの前は、見受けられなかった言動だという、お母さんも頭が狂いそうだと言っている。

入院したばかりの頃は、外泊で家に戻ってくるときには、時々友達と遊園地に行ったりして、遊ぶこともあったようだ。しかし、それが今は、そんなことは想像できないような状態になってしまった。

この話は聞いた話のほんの一部です。

病院や治療が彼女を病人にしたとしか考えられません。
他の療法、治療方法、対応はなかったのでしょうか。
生活の質は底をついたような状態です。
人との関係も持てないような状態です。自殺企図が消え、人間の抜け殻のように生きるのが彼女に残された道なのですか。
怒りと涙がこみ上げてきます。絶対に、許せないことです。

2006/02/15

人づくり・人つぶし

小さい頃、家の前に大きな倉庫がありました。
そこには冷蔵庫など大型家電製品が入っていたダンボールが、ゴミの回収日まで山積みになっていました。

私はそのダンボールをもらい、家の前庭に子どもたちだけの「住みか」を創るのが大好きでした。ダンボールをガムテープで継ぎ合わせ、ダンボールで「居場所」ができあがった。雨の日にそれがぐちゃぐちゃになって、ショックだった後は、ダンボールに大きなビニールをかぶせたりなど、いろいろな工夫もしてみました。(あまりうまくはいかなかったけれど・・・。)

日曜日には、近所の友達や親も集め、飯盒炊飯をして、カレーをつくり、ハンバーグを焼いたりしました。今、考えると、子どもの頃に、よくやったと思う。その頃私は、小学校の低学年だったと思う。

その延長で、近所の友達に声をかけて、家にあるいらないものを集め、それを売り、みんなの居場所づくりや集まりのためにお金を集めようと声をかけました。どこから得たアイデアかわからないけれど、私は良いことだと思ったので、一生懸命いろんな人に声をかけました。寄付してもらった使い古されたなべを、20円くらいで誰かが買ってくれたような覚えがあります。

しかし、数日後、隣のおすし屋さんのおじさんが、「子どもは、お金なんて稼ぐもんじゃない!子どもがお金を扱うのは悪いことだ!」と怒鳴ってきました。いらない物の寄せ集めで、多少のお金を稼ぐのはいいことだと思っていたので、ビックリ!そのお金で「居場所」づくりをしようとしていたのに。とてもショックで、残念だったことが、いまだ忘れられません。自分では良いことだと思っていても、悪いこと、してはいけないことがあるんだなあと痛感したのを覚えています。それ以来、お金は汚いものだから、集めようとしちゃいけないのかなあ・・・って、いつも心の隅にちょっぴりあります。

そんな感じで、私は小さい頃から「出る釘は打たれる」と言われるように、新しいことを試みようとするたびに、とんかちで叩かれてきました。たんこぶと傷跡だらけ・・・。大人は意識的に小さい子どもの可能性を伸ばそうという努力をしないと、子どもはつぶれていきます。子どもをつぶすのは簡単です。小さい芽を潰してしまう大人の接し方や対応は、無意識だとしても、罪だと思います。

常日頃、一人ひとりの可能性がいとおしく感じられてしかたがありません。

2006/02/15

あなたも、キケンな若者?

20060215001531
電車の中で見た広告です。「あなたも、キケンな若者?」と大きな文字で書いてあります。

若い世代の投票率が低いので、投票しましょうという広告です。二十歳になってから、国内にいるときは必ず投票してきましたが、この広告見た時、なぜか投票したいという気持ちが失せました。「ちょっと、待ってください、今の若者は危険だなんていう色眼鏡で、私たちを見てほしくない」という気持ちになりました。若者の低い投票率が危険だというメッセージはわかりますが、若者に投票したいと思わせない広告はちょっと失敗だと思います。もう少し工夫して、投票したいと思わせる広告をつくらないと・・・。
結局は、市民の一票が反映する政治を行ってくれないと、一票も無意味になってしまいます。

政治家に聞きたい:日々、市民の一票に応える活動をしていますか?

2006/02/13

建築物の価値

姉歯元建築士、ヒューザーなどが紙面で取り上げられ、マンション建築の問題が浮上しているが、氷山の一角だとおもう。

姉歯元建築士は「低い坪単価の設定が問題」で、その負担は下請けにきていると証言していたそうです。私も「うん、うん」と納得部分もある。最近この問題を考えながら、実際に建築にかかる時間、関わる人、必要な材料や技術の総額やマーケット価格について考えていた。

戦後、日本では建築物は消耗品と考えられがち、短期間の工期で建て、30年経過し、古くなったら壊すということが当たり前になってしまったようでとても悲しい。

日本のマンションのことを考えていたときに、古くから残っているピラミッドなどの建築物のことについても考えた。

以下、理科雑学アドベンチャーより抜粋:
「最大のピラミッド、クフ王のピラミッドの高さを10億倍すると、地球-太陽間の距離(1億5千万km)になるし、ピラミッドの底辺の一辺の4倍を高さの2倍で割ると、円周率になる。このピラミッドを現代工法で作った場合の見積もりを、ある建設会社が試算した。古代エジプト工法だと延べ1億人、工期25年、総建設費1800億円掛かる。現代工法になると、人員3500人、工期5年、総建築費1250億円だという。」

もちろんピラミッドは住宅ではなく王様の墓であるから、時間も、資金も、人材も潤沢に投入できたのだろうが、昔の人たちは、建築物を建てる時、消耗品や消費する建物をつくるつもりで建てていたのではなかったような気がする。

日本においても、縄文時代に竪穴式住居ができた。様々な気候、立地条件、時代背景などにより、多種多様な建築物がつくられてきた。建築物は、「人間が寒暑や風雨や攻撃から身を守るために家をつくり、 また、神をまつり、祖先を葬るために記念物をつくることから始まった」と言われている。そんな重要な建物を悪かろう、安かろうと言って、低価格にして、短期間でつくろうという発想がどうかしているような気がする。

長い時間かけて、耐震度が高く、芸術的にも、機能的にも素晴らしいものをつくれば、すぐ壊すことなく長年使える住宅になる。イタリアでは、古い建物を補修しながら何百年も使うという。本当に良いものは、時間のたつほど、味が出てきて価値が出てくるものなのだろう。日本は木造建築物が多いから、イタリアのような石づくりの建物よりも耐久性が低いのかもしれないが、清水寺も木造で、何度も補修しながらまだ使っているのだから、今の多くの住宅の寿命が数十年というのはあまりにも建物を軽視しすぎているのだと思う。

今、日本では、下請けの中小零細企業がほとんど利益を上げずにゼネコンに滅私奉公し、職人さんが汗水流してマンションなどの建築に携わっているということがわからないのかなあ。どれだけの人たちの汗と血の犠牲の上に建物が建てられているのか、思い巡らすだけでもぞっとする。大手のゼネコンが甘い汁を吸った後、中堅のゼネコンに丸投げし、そこでも甘い汁が吸い上げられ、下請けの、下請けにたどり着く頃には、良い建築物ができるような資金はあまり残っていないとも聞いたことがある。時には、職人さんたちや現場に直接携わる中小零細企業の中には赤字を出しても仕事をすることもあるということだ。ぬくぬくしたオフィスの机上で書類づくりして、建築資金と仕事の振り分けしている人たちよ、いいかげんに目を覚ましてください!

先進国、経済大国である日本の都市計画、住宅政策はあまりにも少数の権力者の私利私欲に影響されすぎていると思う。

鹿やウサギくらいしか使わないといわれるような立派な高速道路を建設するために税金の投入するのではなく、人々が安心して生活を送れるための基本的な生活の場づくりに力と「みんなのお金」を投入してほしい。

衣食住があまりにも軽視されている現状が人々を不安にさせているような気がしてならない。今は、衣というより、医かもしれないが・・・。

2006/02/11

デンマーク発 風刺画騒動

インターネットで探すと、風刺画が出てきます。問題になった風刺画は一つではなかったようで・・・、その中の一つを見てみました。

素朴というか、のんきなデンマーク人は、イスラム教の人々や社会の抑圧された、屈辱的な気持ちを把握していなかったのだろうなあと思わずにはいられません。最近のデンマーク人の素直な思いや考えが風刺画にあらわれてしまったんでしょうか。

イラン人のイスラム教徒の友人がいました。みんな素敵な人たちでした。誠実な人たちだったことが印象的でした。モスクの建築も芸術も大好きです。アラビア語を学ぼうと試みたこともありますが、挫折しました。

デンマーク人の私の印象は、とても善良な人たちだけれど、のんきというか(のんきなのは、私もです・・・)、地球の北の田舎に住んでいる素朴な人たちでした。「世の中みんないい人」だからお互いに何を言っても許されるという雰囲気でした。また、「あれ???」っとおもわせる差別用語を使っていたこともちょっと気になりましたが、悪意のない人たちなんだなあとも思いました。しかし、その一方では、デンマークの保守系右翼の過激な動きも生まれつつあると言うことも聞きましたが。

それと比べ、アメリカでは悪意はあっても、洗礼された言葉を使わなければ「首」が飛んでしまいます。日本人に対してJAPとか、黒人に対してNIGGERなど言ったら、公の仕事にはついてはいられません。でも、そんな言葉を使わないからといって、人種差別意識がないと言いきることはできません。言葉は綺麗でも、日本人を見下していたり、黒人を見下している人はたくさんいます。そうでない人も大勢いますが。

日本においても、中国をシナという人たちがいますが、これも不思議です。中国の人がいやだというのだから、嫌だという呼び方はやめればいいのにと思います。そんな言葉を執拗に使う人たちは、しつこい悪餓鬼みたいです。

私の経験を国際的な問題と比較するのはなんですが・・・。
子供の頃、同級生に「美香」ちゃんという女の子いました。良く遊んでいた、近所の友達です。私は、その子のことを「みかん」ちゃんと呼んだことがありました。とてもかわいいあだ名を考えついたものだと感心していたくらいでした。ところが、数日後、女の子の軍団が突然私に怒ってきました。その時、「みかん」が云々と色々言われましたが、何を言っているのか、さっぱりわかりませんでした。後で言われたことは、「美香」ちゃんは、わたしが「みかん」ちゃんと呼んでいたので泣いていたそうです。そんなことは全く知らず、かわいいあだ名だなあと思っていた私は、その子の繊細さにビックリ。しかも、女の同級生はみんな「美香」ちゃんの味方でした。それにもビックリ。

その経験から、その人のことで、その人の嫌がることは、私が良しと思ったことでもやめようと思いました。

それは、それで、大きな問題にはならず、「美香」ちゃんともそれからも友達として一緒に遊んでいましたが・・・。まあ、ずうずうしく、神経のずぶとい私が、女の子たちの繊細さを察することができなかったことによる幼少の大失敗の一つです。

人と人の間でも、国と国の間でも、相手の嫌がることはやらないほうがいいと思うな。色々考えますが、最終的には、あたりまえで単純な原点にたどり着きます。

2006/02/09

『白バラの祈り』 言葉のチカラ

日比谷のシャンテシネにて「白バラの祈り」を見てきた。
女性が主人公の、ドイツの反ナチ運動家の実話に基づいた映画だということを聞きとてもみたくなった。

主人公ゾフィーの祈りの姿、神との対話が一番印象的だった。

彼女が真実を語り始める前、トイレに行き自分と向き合い、髪留めを外す場面も忘れられない。

留置所の部屋を共にした女性の優しさや思いやりも胸を打つものがあった。

裁判で死刑を宣告された後、すぐさま処刑だということを知り、独り叫んだ場面も忘れられない。

最後の涙は、死に対しての恐怖や後悔の涙ではなく、「両親との別れの悲しみから来る涙だ」と言い切った彼女の言葉から、神様にすべてをゆだねた彼女の心構えが伝わってきた。

真実は裏切らないと思う。神様も裏切らない。
自分自身の良心に従い、人の眼差しや既存の価値観に振り回されず、生きることができる人は幸いだと思う。彼女の命は無駄にはならなかった、その証拠に今私たちはこの映画を見ることができるのだから。

この映画の判決の場面と今日の横浜事件の再審判決「免訴」を重ねてしまった。日本の法廷は今だに形式だけなのか。とても寂しく感じる。

20060209234514
帰りの電車の中で、穏やかなイメージが背景にあるあの朝日新聞の広告が目に入ってきた。言葉のチカラ信じるならば、自らの報道行動を通して見せて下さい。命を賭けても、真実を伝える媒介になって下さい。「白バラの祈り」を見た後はそう思わずにはいられなかった。

2006/02/09

女の価値・男の価値

紀子様ご懐妊のニュースで、皇位継承制度と関連する制度改正については、様子見の雰囲気が漂っている。ご懐妊はおめでたい。近隣の女性が子供を身ごもること同様に、とてもおめでたいことである。

だけれど、それはそれ。とても、変。なんか、変。
紀子様の赤ちゃんが、男の子だったら、みんなほっとするのだろう。当分の間は世継ぎ問題は考えなくていいことになる。女の子だったら、世継ぎ問題についての検討を再開しなければいけない流れが生まれるのだろう。結局、女は男の子を産む装置にすぎないのか。そう考えるとあまりにもむなしい。

女も男も同じ人間、また、皇室の人たちも、そうでない人も同じ人間なのに・・・。そうでないと考える人たちが、この世の中には多いのだろうか。
天皇家が女系になっても、女帝がいても良いと思うが、何故男系?何故男の天皇にこだわるのか。

なぜ「いえ」は男の子をほしがるのだろう。同級生の友達で田舎に嫁いだ子がいたが、女の子三人生んでも、お連れ合いの家族からは喜ばれなかったという。男の子を産むまで過酷なプレッシャーがあったという。幸い4人目が男の子だったらしい。やっと4人目の男の子のおかげで、友人は「いえ」の中に居場所を得たようだ。私には耐えられないと思う。

そういえば、昔、子供10人の大家族がほしいなと夢見ていた時があった。どんな子供も神様からの授かりもの。大家族っていいなあと思った。今となっては、夢の夢だけれど。生まれ変わったら、今度は早くから、女の子でも、男の子でもどちらでもいい、子供をたくさんつくろうっと。

2006/02/09

電車の中の風景

車内を見回すと本を読んでいる人みんなが英語の本を読んでいます。日本なのに不思議な光景。隣にいるおじ様たちは、銀行の批判をしています。日本の現状に不満を持つ人たちは多いですね。最近、満足している人に会っていないなあ。

男性と若い女性の会話が耳に入ってきます・・・。
男性:「世の中すべて金だぜぇ」
女性:「・・・」
男性:「将来どうするの?」
女性:「全然考えていませ~ん(笑)」
男性:「宗教者にでもなるかあ?」・・・
電車を降りなければならないので、会話の続きは・・・わかりませんが。
勝手に、女性の状況を想像して、一人で納得していました。
今、多くの若い社会人たちが「将来どうするの?」って聞かれると、
「わかりません」っていう反応をしたくなるような気がよくわかります。
実は、私もその一人かも・・・。

考えたくても、これから医療保険、介護保険制度もどうなるかわからない。
年金制度もどうなるんだろう?
消費税も上がるだろうし。貯金もない。まだ、自分自身の生活の拠点もない。
リストラにあうかもしれないし、途中で病気になって障害を持って生活することになるかもしれない。社会のセーフティーネットもない。敗者復活のチャンスもない。地球は異常気象によって、多くの災害に見舞われるかもしれない。
公害や農薬等による食物、空気、水の汚染。

こんな悲観的(現実的)に考えたら、将来のことなんて考えると恐ろしくなる。きっと今の若い人たちは、今の高齢者のように、長生きできないのだろうな。

2006/02/06

キャロル・ギリガン ケアの倫理

今朝、友人との会話で、思い出した一冊がこの本だった。「もうひとつの声―男女の道徳観のちがいと女性のアイデンティティ」(著者:キャロル・ギリガン/川島書店)原書:“In a Different Voice: Psychological Theory and Women's Development”Carol Gilligan(1982)

この本をはじめて読んだ時は新鮮で、とても刺激的だった。
いろんなことを考える人がいるもんだなあと関心したのを覚えている。ギリガンは、女性の倫理観は男性の客観的な倫理観と異なる、どちらが劣るとも勝るともいえないと言っている。ギリガンの言う男性の倫理というのは、盗みは悪いこと、だからどんな状況にあっても盗んではいけない。女性の倫理は、目の前に死にそうな人がいる、でもその人は薬があれば助かる。その人の命を救う薬はあるが、薬を買うお金も何もない。盗むことは絶対に悪いことか。見殺しにするほうが悪いことではないのだろうか。女性はその人の命を救うために薬を盗むことも許される行為だと考える・・・。

男性の倫理に関して論文を書いていたコルバーグは、ギリガンの論文によって叩かれたようで、精神的にもめいってしまったようです。

ギリガンは女性の表現に関心があるように思えます。思春期の女の子による劇団などをつくり、熱心に活動をしていたそうです。鋭い感性の持ち主で、直感を言語表現できる力のある人なんだなあとつくづく思います。心理学の学問の世界ではあまり評価されていない論調の導き方をする人ですが、文学的、社会学的、政治学的視点からみれば、素晴らしい思想家であり、表現者だと思います。

1982年に出版された本なので、古いといえば古いかもしれませんが、古くなってゴミになる本ではなく、古典になる一冊だといえるのでしょう。

2006/02/05

官僚による政策づくり

元厚生省官僚と障害者の地域での生活支援の件についての討論をした方からの話です。その人は精神障害者の生活支援の向上の為に、討論に加わっていました。官僚は「知的障害者と身体障害とくらべたら精神障害者の数が違う。精神障害者の数は多すぎる。同じ支援はできない」と言っていたとのこと。
結局、官僚もほりえもんとおなじ。倫理観、道徳観、社会的使命感なんてほとんどないんでしょう。数の論理で政策づくりをすすめているのが見えますね。

人権とか自立支援とか、綺麗な言葉を並べ、実際やっているのは、自分たち身内関係者に害のない、数合わせ

2006/02/05

障害をもつ人たちの所得

昨年、デンマークの人福祉担当者の人たちとお話しする機会に恵まれました。
障害を持った人たちへの年金のほうが、高齢者年金よりも、額が大きいということでした。また、年金は個人へ一度全額給付され、その中から税金などを支払う形になっているようです。そして、最低限のお小遣い(月2万円くらい)が手元に残るような計算をするとのことです。障害や病気をもっても安心して生活していける社会をつくるための社会的合意があるようです。

障害を持っても一人の人間として生きていける所得と生活の場の保障は、国がするべきことだと思います。いつ、誰が、どのようにして、どんな障害を持ってしまうかは、誰にもわからないことです。自ら好んで障害を持つ人は、いません。一人ひとりが自分の問題として障害者や疾病を持つ人たちの問題にも取り組めば、みんなにとって生活しやすい社会になるのだと思います。

以前、ある人が言っていたことが印象的でした。
「今はもう障害者差別云々じゃなくて、所得・資産によっての差別のほうが大きいよ。だから、障害者差別運動の意味もだんだん薄れてきてしまっている。」そうだなあと、思いましたが。障害を持ちながら、健常者と同等に長期に長時間働いて同等の給与を得ることは、今の日本では困難なのではないのでしょうか。

どんな人でもこの国にいる限り、それぞれができることを担い合い、最低限の安心した生活を送れる保障をするのが国の役目ではないのでしょうか。コンビニでジュース買ったって消費税を払うし、自販機で煙草を買っても税金払っているんだし、みんな税金をせっせと払っているのですから・・・。

外交や防衛の為ばかりに税金をつぎ込まないでほしい。(それから、既得権温存の為の税金の無駄遣いもやめてください!!!!)国力があっても、その国に住んでいる人々の犠牲の上に成り立ち、大多数の人たちが不幸では国力の意味がなくなります。

2006/02/04

エジプトのフェリーの事故

今、ニューヨークタイムズを見ていたら、こんな見出しが目に入りました。
"Egyptian Ferry Sinks in Red Sea; 1,000 May Be Lost"
まだ、1400人の乗客の324名しか救助されていないようです・・・。
紅海のどこかで1000人以上の人々が、行方不明のままになっているようです。一人でも多くの人が助かりますように。

New York Timesのホームページ:
http://www.nytimes.com/

2006/02/04

自虐的な行為の後

自虐的な行為の後、むかえる翌朝はなんとなく気が重い。
何であんなことをしてしまったのだろう。
よくないってわかっているのに。
間違ったら自殺行為にもなりかねない。
自分にごめんなさいを言っても、またやってしまいそうな自分が怖い。
自分の弱さが恨めしい。
頭でわかっていても、心が現実逃避をすることばかり考えていて、自分を苦しめる行動をとってしまう。
自分の許容範囲を超えている行動をとることで、なにがあっても許されるような気がして。そんなこと本当はないのに。

早く軌道修正しないと・・・。

これは、親友の心の言葉・・・。
辛い体験ばかり積み重ねていっている彼女が痛ましい。
すこしずつでもいいから現実に向き合い、ゆっくりでもいいから一つひとつ自分でできることやって、自分らしい生活を送ってほしい。
自分以外の誰かに、自暴自棄になって自分の人生をゆだねてしまわないでほしい。

2006/02/04

スウェーデン人―我々は、いかに、また、なぜ

昨年北欧を訪れる機会に恵まれました。
最近、北欧、特にスウェーデン関係の書籍や映画に触れてみたいなと思っていたところ、この本を見つけました。「スウェーデン人―我々は、いかに、また、なぜ」です。スェーデン人の国民性が、スウェーデン人の学者により客観的に書かれていて、歴史的なことや、外からは見えないけれど文化・社会に存在している価値観などが見えてきます。

原書名:SVENSKAR : GILLIS HERLITZ〈Herlitz, Gillis〉
新評論 (2005-12-25出版)

2006/02/03

ビューティフル・マインド

非凡な才能を持つナッシュ教授の実話にもとづく映画。
ノーベル賞を受賞した数学者は統合失調症と共に生きてきました。
そのことは、ノーベル賞を受賞した時に発表した自伝の中にも綴られています。奥様のアリシアがいたからこそ、今のナッシュ教授がいることが、映画からも良くわかります"。「愛は病よりも強し」がにじみ出てくる映画です。
今まだ、プリンストン大学で研究に励んでいるそうです。
是非、機会があったら見て下さい。おすすめです。
映画「ビューティフル・マインド」 オフィシャルHP:
http://www.uipjapan.com/beautifulmind/

ジョン・ナッシュについて(ノーベル賞のサイト〔英語〕)
http://nobelprize.org/economics/laureates/1994/nash-autobio.html

The following is a quote from his autobiography.
This part touched me very much. This makes me think that perhaps only a "madman" can make a difference in this world, maybe including Mother Teresa...

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2006/02/02

女と男

一昔前、3高(背、給与、学歴の3つが高い)の男性と一緒になることが、女の求めていることなんていわれていたことがあったけれど、今の女性は何を求めているんだろう。

男の人って女性に何を求めているんだろう。

社会的、経済的に男女が不平等の国では、女性が男性を生きていくための一つの装置として使うような気がする。経済的な安定を結婚で得ることも可能だから。女性にとっても男性にとっても、色々な面で差別がなくなることはよりよい関係を築くうえで大切であるような気がする。

平等って、一律的とか同じということではなくて、異なることや物の間でも、平等であるということは十分にある。だから、男、女、性差はあっても平等はありえる。

2006/02/02

ジャーナリスト宣言

20060202002111
最近、朝日新聞による「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。」という広告が電車の中に貼ってあるのをよくみます。今夜はとある駅の構内で拡大された広告を見ました。何故か、はじめてみた時から、違和感を感じています。一つには、言葉を信じてるといいつつ、言葉よりも、広告のイメージが強烈なのです。言葉の背景になっている写真が、感情に訴えるものだったり、残酷なものだったりするのです。あれを見ると、本当に言葉を信じているのかなあと不思議になります。イメージの力を信じていると訴えているような広告です。まあ、こうやって見る人に考えさせている広告であると考えれば、広告としては成功なのでしょうか。言葉は残酷な時も、無力な時も、武力より強いときもあるけれど。。。最近は、言葉よりも、ビジュアルな「イメージ」の力がより強くなっているような気がする。

2006/02/01

シンデレラが王子様と結婚した後

ガラスの靴はピッタリでも、日々の結婚生活がうまくいくとは限らない。生い立ちや価値観の違いによる不倫、別居、離婚もある。幸せにおばあさんとおじいさんになることも考えられるけど。シンデレラは離婚したらどこに行くのかな。意地悪な継母の所に戻るのは悲惨だけど、他に行き場はあるのかなあ。
シンデレラも自分力つけとかないとね。

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Author:るるど
好きな言葉:"Differences are not a threat, but a treasure" by Jean Vanier (ジャン・バニエは、尊敬する人の一人です)

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