るるどの覚書
全く私的な独り言から、素朴な疑問や社会的な関心ごとまで、日本での生活の中で感じたり、思ったり、考えたことの覚書ブログ。気軽にコメントして下さると嬉しいです。
おばあちゃんのお姉さん
おばあちゃんのお姉さんは92歳。
同じ敷地に子供家族、孫家族が住んでいるけれど、92歳のお姉さんは一人で一軒家に住んでいる。その家の一階にあるお店もまかなっている。仕入れもする。家の前の畑もやっている。
草むしりもする。でも、耳が遠いので、会話をする時は補聴器をしている。
最近は足もふらつく時があるという。
畑仕事をしていると、足がふらつく時があり、最近「よくころがる」という。
でも「土はやっこいから」転がっても大丈夫だという。
足がふらついて、ころがったら、ただ起きればいいとあたりまえのことのように言う。
先日着ていたセーターも、チョッキも自分で編んだという。82歳の時に、街の公民館で編み物教室があり、その教室に6ヶ月くらい通いながらセーターの編み方を学んだとのこと。
「おれは目がいいからな」といいながら、まだ編み物も現役。
「おれはどこもわるくないからな、薬の世話にはなりたくない」と言っていた。
耳が聞こえなくなってきたり、足が時々ふらつく程度で、それ以外、悪いところがない様子。
誰の世話にもなりたくないという、独立心旺盛なおばあちゃんのお姉さん。
苦労も人一倍してきたからかもしれない。人に依存しながら生きることの惨めさを悔しいほど知っているからかもしれない。いろんな理由から強くならざるを得なかったのだと思う。とてもたくましい生き方だと思う。
同じ敷地に子供家族、孫家族が住んでいるけれど、92歳のお姉さんは一人で一軒家に住んでいる。その家の一階にあるお店もまかなっている。仕入れもする。家の前の畑もやっている。
草むしりもする。でも、耳が遠いので、会話をする時は補聴器をしている。
最近は足もふらつく時があるという。
畑仕事をしていると、足がふらつく時があり、最近「よくころがる」という。
でも「土はやっこいから」転がっても大丈夫だという。
足がふらついて、ころがったら、ただ起きればいいとあたりまえのことのように言う。
先日着ていたセーターも、チョッキも自分で編んだという。82歳の時に、街の公民館で編み物教室があり、その教室に6ヶ月くらい通いながらセーターの編み方を学んだとのこと。
「おれは目がいいからな」といいながら、まだ編み物も現役。
「おれはどこもわるくないからな、薬の世話にはなりたくない」と言っていた。
耳が聞こえなくなってきたり、足が時々ふらつく程度で、それ以外、悪いところがない様子。
誰の世話にもなりたくないという、独立心旺盛なおばあちゃんのお姉さん。
苦労も人一倍してきたからかもしれない。人に依存しながら生きることの惨めさを悔しいほど知っているからかもしれない。いろんな理由から強くならざるを得なかったのだと思う。とてもたくましい生き方だと思う。
花粉症・・・
また、花粉症の季節が始まった。
二月の下旬頃から喉が痛い・・・。咳もひどい・・・。
甜茶がいいと言われて飲み始めたけれど、私にとっては良いみたい。
あとは、のど飴を口に入れたり、浅田飴の水あめをスプーンで口に入れたりしている。
花粉症に苦しめられているけれど、なぜか花粉を恨めしくは思わない。
花粉のせいにしたら、花粉がかわいそう。
本当は排気ガスなどで汚染された空気がよくないんだろうから・・・。
私の場合、なぜか外に出ても花粉症の症状はひどくならない。職場の建物の中にいる時のほうが咳がひどい。なぜだろう。
二月の下旬頃から喉が痛い・・・。咳もひどい・・・。
甜茶がいいと言われて飲み始めたけれど、私にとっては良いみたい。
あとは、のど飴を口に入れたり、浅田飴の水あめをスプーンで口に入れたりしている。
花粉症に苦しめられているけれど、なぜか花粉を恨めしくは思わない。
花粉のせいにしたら、花粉がかわいそう。
本当は排気ガスなどで汚染された空気がよくないんだろうから・・・。
私の場合、なぜか外に出ても花粉症の症状はひどくならない。職場の建物の中にいる時のほうが咳がひどい。なぜだろう。
臨床の場:営利企業
今行っている職場には病んでいる人たちが少なからずいる。
一人は同じ部署の50代後半の男性。なぜかこの男性のことは、初日からとても気になっていた。自己紹介のとき、彼の自己紹介を聞いていたとき、とても悲しく感じ、将来に対して悲観的だというのがなんとなく伝わってきた。うつ病の傾向がみられるのかなと気になっていた。二週間前、彼は心臓の手術のために入院してしまった。術後の経過が悪く、いまだにこん睡状態で、面会謝絶だという。みんながとても心配している。
もう一人は、同じ部署の50代前半の男性。この人は私に支持命令する”上司。”
初めて会ったとき、髪もつめも伸びていた。髪の毛は何ヶ月も切っていない様子だった。爪は一センチくらい伸びていた。爪切りを持っていって、「どうぞ」と言って渡そうかと思ったくらい爪が伸びていた。そんな様子を、精神科の関係者と話していたら、「自分を敵から守ろうと防衛的な時、人は髪の毛を伸ばしたり、爪をのばしたりすることもある」とのこと。外資に買収されて、外国人に支持命令されているこの”上司”が、自己防衛したくなる心理はとてもよく理解できる。ある日、気がついたら、床屋に行ったようで、髪の毛は多少短くなっていた。爪も少し切ってあった(でも、まだ長かったけれど。)
それから、最近は会議になると、決まって握りこぶしにした手を口の前に当てて話す。英語を話す時、日本語を話す時、同じように手を口の前に持っていき、そして話しはじめる。そうすると声がとおらず、何を言っているかよく聞こえない。彼の新しい癖に気づいた時は、「あれっ?」と思い、とても不思議だった。今は、もしかすると彼は自分の言っていることに対して自信を失っているからなのかもと・・・も感じる。責任ばかり負わされて、多大な仕事を課せられているその人は・・・精神的にも滅入っているのかも・・・。
それに加えて・・・・。
意見を言われたり、質問されたりすると、その“上司”は毎回「ちがう!」「そうじゃない!」「それはわかってる!」と強く断言し、それから話し始める。そんな風に彼が応答する相手は、同僚の男性、または男性の部下だけ。女性に対しては優しい言葉で対応する。ところが・・・私に対しては、まるで私が男性社員であるかのような対応する。「それは、ちがう!」とか「そうじゃない!」とか「それはわかっているけど」と一言言ってからでないと話が始まらない。癖であるかのように、毎回同じパターン。とっても疲れる。自分では意識していないんだろうと思う。こんな対応をしていると、とても損。対応された相手は、そんな風に言われたら、「えっ?!」「あれっ?!」と感じる。そんな対応をしていたら、建設的なコミュニケーションが成り立たない。私はそんな風に受け答えされると、「むっ」と感じる。頭では「あ〜また言った!これは本当に癖なんだなあ」と冷静に苦笑いできるんだけれど。優しくしてあげれば、対応に変化が見られるのかなあ・・・(“実験”だと自分に言い聞かせて、いろいろ試みてみようか・・・とも思う。このような環境は臨床の場、フィールドワークの場と思っていないと、疲れる)。
なぜそんな受け答えをしてしまうのだろう。もったいないと思う。
********************
自分自身の障害や病気(精神でも、身体でも)を認識して、必要な対応や対処をしようとしている人たちのほうがよっぽど健全にみえる。
大組織の闇は深い・・・。
一人は同じ部署の50代後半の男性。なぜかこの男性のことは、初日からとても気になっていた。自己紹介のとき、彼の自己紹介を聞いていたとき、とても悲しく感じ、将来に対して悲観的だというのがなんとなく伝わってきた。うつ病の傾向がみられるのかなと気になっていた。二週間前、彼は心臓の手術のために入院してしまった。術後の経過が悪く、いまだにこん睡状態で、面会謝絶だという。みんながとても心配している。
もう一人は、同じ部署の50代前半の男性。この人は私に支持命令する”上司。”
初めて会ったとき、髪もつめも伸びていた。髪の毛は何ヶ月も切っていない様子だった。爪は一センチくらい伸びていた。爪切りを持っていって、「どうぞ」と言って渡そうかと思ったくらい爪が伸びていた。そんな様子を、精神科の関係者と話していたら、「自分を敵から守ろうと防衛的な時、人は髪の毛を伸ばしたり、爪をのばしたりすることもある」とのこと。外資に買収されて、外国人に支持命令されているこの”上司”が、自己防衛したくなる心理はとてもよく理解できる。ある日、気がついたら、床屋に行ったようで、髪の毛は多少短くなっていた。爪も少し切ってあった(でも、まだ長かったけれど。)
それから、最近は会議になると、決まって握りこぶしにした手を口の前に当てて話す。英語を話す時、日本語を話す時、同じように手を口の前に持っていき、そして話しはじめる。そうすると声がとおらず、何を言っているかよく聞こえない。彼の新しい癖に気づいた時は、「あれっ?」と思い、とても不思議だった。今は、もしかすると彼は自分の言っていることに対して自信を失っているからなのかもと・・・も感じる。責任ばかり負わされて、多大な仕事を課せられているその人は・・・精神的にも滅入っているのかも・・・。
それに加えて・・・・。
意見を言われたり、質問されたりすると、その“上司”は毎回「ちがう!」「そうじゃない!」「それはわかってる!」と強く断言し、それから話し始める。そんな風に彼が応答する相手は、同僚の男性、または男性の部下だけ。女性に対しては優しい言葉で対応する。ところが・・・私に対しては、まるで私が男性社員であるかのような対応する。「それは、ちがう!」とか「そうじゃない!」とか「それはわかっているけど」と一言言ってからでないと話が始まらない。癖であるかのように、毎回同じパターン。とっても疲れる。自分では意識していないんだろうと思う。こんな対応をしていると、とても損。対応された相手は、そんな風に言われたら、「えっ?!」「あれっ?!」と感じる。そんな対応をしていたら、建設的なコミュニケーションが成り立たない。私はそんな風に受け答えされると、「むっ」と感じる。頭では「あ〜また言った!これは本当に癖なんだなあ」と冷静に苦笑いできるんだけれど。優しくしてあげれば、対応に変化が見られるのかなあ・・・(“実験”だと自分に言い聞かせて、いろいろ試みてみようか・・・とも思う。このような環境は臨床の場、フィールドワークの場と思っていないと、疲れる)。
なぜそんな受け答えをしてしまうのだろう。もったいないと思う。
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自分自身の障害や病気(精神でも、身体でも)を認識して、必要な対応や対処をしようとしている人たちのほうがよっぽど健全にみえる。
大組織の闇は深い・・・。
『今なら、ここでなら、この人となら』
周りの人たちに叩きのめされて、人生のどん底に陥り、全くこれからの見通しが立たず絶望感でいっぱいになっている人が「今なら、ここでなら、この人となら」という出会いに恵まれた時、その人は「もしかしたら・・・」という可能性を感じる取ることができるような気がする。
一人でも多くの真っ暗闇をさまよっている人たちが「今なら、ここでなら、この人となら」と実感できる出合いに恵まれ、過ぎ去ってしまった過去に後ろ髪引かれることなく、新たな道を歩み始めることができますように。
一人でも多くの真っ暗闇をさまよっている人たちが「今なら、ここでなら、この人となら」と実感できる出合いに恵まれ、過ぎ去ってしまった過去に後ろ髪引かれることなく、新たな道を歩み始めることができますように。
喉の痛み・・・
先週末から喉が痛い。何もしなくても痛い。つばを飲み込んだり、食事をするのが苦痛。
紅茶としょうがをよく煮詰めて、牛乳を入れて、再度温める。それにたっぷり蜂蜜を入れてカップに注いで飲んでいる。これで治るかな。
**********************
こんなに喉が痛くては腹話術の練習もできない・・・。
腹話術の“師匠”から手紙が届いた。「一日の遅れは一年の遅れ!!」と手紙の最後に一言、書いてあった。85歳の師匠の手紙を読む時、助言を得る時、こんなひねくれもので、天邪鬼で、不可解な私のことをよく理解しているなあと感心してしまう。さすが85年の間、たくさんの人たちと出合ってきた先生。
先生からのその手紙を見た人は「まるで、るるどが最後の弟子みたいね」と言う。病気で手がうまく使えないのに、手書きで一文字一文字きちんとていねいに書いているのが良く伝わってくる気持ちのこもった手紙。とても筆まめな師匠さん。筆不精の私も少し心を入れ替えて、まめになる良い機会かもしれない。
私は本当にやわだ・・・ただの喉の痛みと腫れ!?なのにとっても気が滅入る。心身ともに辛い時、慢性的な病気や痛みや苦痛や障害と共に、毎日寝起きして、生活している人たちのことを考える。共に生きる人間として彼ら、彼女らを改めて尊敬してしまう。試練を与えられた選民なんだと思う。耐えられる人にしか、試練は与えられないんだと思う。試練は、耐えられるからこそ与えられるんだろう。そう思いたい。その試練を受け止めることによって、学び、成長し、徳をつむことになるからこそ、与えられるんだと、そう思う。人間、誰かが背負わなければならない試練を、身代わりに背負ってくれているんだろうと思う。
紅茶としょうがをよく煮詰めて、牛乳を入れて、再度温める。それにたっぷり蜂蜜を入れてカップに注いで飲んでいる。これで治るかな。
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こんなに喉が痛くては腹話術の練習もできない・・・。
腹話術の“師匠”から手紙が届いた。「一日の遅れは一年の遅れ!!」と手紙の最後に一言、書いてあった。85歳の師匠の手紙を読む時、助言を得る時、こんなひねくれもので、天邪鬼で、不可解な私のことをよく理解しているなあと感心してしまう。さすが85年の間、たくさんの人たちと出合ってきた先生。
先生からのその手紙を見た人は「まるで、るるどが最後の弟子みたいね」と言う。病気で手がうまく使えないのに、手書きで一文字一文字きちんとていねいに書いているのが良く伝わってくる気持ちのこもった手紙。とても筆まめな師匠さん。筆不精の私も少し心を入れ替えて、まめになる良い機会かもしれない。
私は本当にやわだ・・・ただの喉の痛みと腫れ!?なのにとっても気が滅入る。心身ともに辛い時、慢性的な病気や痛みや苦痛や障害と共に、毎日寝起きして、生活している人たちのことを考える。共に生きる人間として彼ら、彼女らを改めて尊敬してしまう。試練を与えられた選民なんだと思う。耐えられる人にしか、試練は与えられないんだと思う。試練は、耐えられるからこそ与えられるんだろう。そう思いたい。その試練を受け止めることによって、学び、成長し、徳をつむことになるからこそ、与えられるんだと、そう思う。人間、誰かが背負わなければならない試練を、身代わりに背負ってくれているんだろうと思う。
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